目を覚ますと、俺は客間のベッドに寝かされていた。

枕元に座っていたビビが起き上がる。

「ナバロ? まぁ、気がついたのね」

 彼女はうれしそうに飛び上がった。

「急いで他の皆を呼んでくるわ!」

 酷い頭痛がする。

魔力酔いを起こしたのか。

クソ。

十一年使った体でも、まだどのくらいの能力を出していいのか、その限界が分からない。

というよりも、自分の力を抑えなければならないことに、何よりもいらだちと腹立たしさを覚える。

出来るはずのことが出来ないのが、何より辛い。

ベッドから起き上がろうとして、胸から異様なむかつきがせり上がってきた。

魔法によるヘタな治療を施した痕跡が見える。

チッ、どんな術をかけやがった。

ヤブ医者どもめ。

「あら、本当に気づいたんだ。まだまだ先かと思ってたのに。以外と早かったわね」

 フィノーラだ。

ベッドに身を起こした俺を腕組みで見下ろし、大きなため息をつく。

「あんたさ、あんまり大人をナメてると、痛い目みるよ」

「そんなつもりはない。ただ時々……。自分の立場を忘れるだけだ」

「はぁ? 何よそれ」

 扉が開く。

イバンとビビが連れ立って入ってきた。

イバンはフィノーラと全く同じ格好で腕を組み、俺を見下ろす。

「子供。お前の本当の名を……うわっ」

 ビビはイバンの巨体を押しのけると、俺の手を握った。

「ね、ナバロ。ナバロは『ナバロ』っていう名前なのよね?」

「あぁ、そうだけど……」

「じゃあ、あなたはナバロなのね、ナバロなのよね」

「何が言いたい」

 イバンはビビの上からにらみつけた。

「カズの村から、お前のご両親が心配して見に来たぞ。身元を確認した」

「もう大丈夫よ。あなたのお父さまも認めたの。あなたはナバロとして、ここで魔法の修行をしていいって!」

「魔法の修行?」

 冗談じゃない。

俺に魔法を教えられるのは、俺だけだ。

「そんなもの、必要な……」

 起き上がろうとして、自分が繋がれていることに気づいた。

目には見えない、魔法の鎖だ。

ここの魔道士がかけたのか? 

かなりしっかりしている。

「なるほど。やはりそれに気づけるくらいには、魔法が使えるようだ」

「まぁ、凄いわねナバロ。あなたを診察したお医者さまが、念のためにって繋いだの。だけど分からないようにしましょうねって。それを見せられる私も辛いからって、ある程度は自由に動けるようにお願いして、あなたの体力と魔力が回復したら、すぐに……」

 フン。

この程度のもので俺を縛り付けようなんて、片腹痛い。

呪文を唱える。

それは簡単に砕け散った。

「ふざけるな。俺にこんなことをしておいて、ただで済むと思うなよ」

「その減らず口がいつまで続くのか、見物だな」

 ベッドから下りる。

床についた足の衝撃だけで、頭に響いた。

思わず膝をつく。

「どこで覚えたか知らんが、お前の唱える呪文は、自分の能力を遙かに超えて強すぎるんだ。物事には何事も、順番というものがある。お前はそれをここで学べ」

 違う。

俺の体を、クソなヤブ医者に診せたせいだ。

薬の調合も術のかけかたも、よくはない。

あぁ、確かにこうやって、無理にねじ曲げられたような体では、この館に張り巡らされた結界を破るのは、難しいかもな。

来た時とは違う、また別の種類の結界が幾重にも張り直されている。

破ろうと思えば、出来ないこともないけど……。

「おい。ナバロ聞こえてるのか?」

「は?」

「お前はここで、魔術の訓練を受けるんだ」

「チッ。そんなものは、必要ない」

 ため息をつき、顔を背けた。

体はまだ休まらないが、こんなところでのんびりしているほど、俺は暇でもない。

そんな俺を見下ろし、イバンは声を出して笑った。

胸ぐらを掴むと、グイと引き寄せる。

「まだ体が戻ってないことを、幸せに思うんだな。そうじゃなきゃ、一発ぐらいぶん殴ってやるところだ。聞きしにまさる生意気さだな。これではカズの村にいられないわけだ」

 イバンは俺を突き放すと、くるりと背を向けた。

「まぁいい。お前を預かると決めたのは、俺だ。他にも何人かの先生をつけてくれるそうだ。ビビお嬢さまに、感謝するんだな」

 扉が閉まる。

イバンが消えた瞬間、ビビは俺の手をぎゅっと握りしめた。

「ね、ナバロ。私もご一緒していいかしら。いいわよね? ね、私も魔法の勉強がしたいの」

「いい加減な冗談は、もううんざりだ」

 それを振り払い、ベッドから抜け出す。

歩くだけで頭に響く。

俺はすぐ目の前のソファに横たわった。

「まだ辛いのね。もうすぐ先生が診に来てくださるわ。ナバロが気づいたら、すぐに呼ぶように言われていたの。お使いを頼んだから、きっともうすぐよ。ね、フィノーラ」

「えぇまぁ、そうでしょうね」

「お前の体を診ている、ヤブ医者か?」

「ちゃんとしたお医者さまよ」

 何の病か興味はないが、確かにこの女から感じる命の炎は弱い。

「なぜ魔法に興味を?」

「だって、魔法が使えたら、それは素敵だと思わない?」

 真っ青な目。

この女は、魔法使いではない。

魔法石を魔力に変え、体内に取り込める体質ではない。

「処方される魔法石の粉を飲んでいても、使えるようにならないのに?」

「だけど、勉強するのは自由でしょ」

「勉強ね……」

 聞いて呆れる。

腹の立つほど平和で呑気な女だ。

フィノーラはため息をつく。

「いずれにしても、あんたはしばらくここから動けない。体力的にも社会的にもね」

「社会的?」

「監視がついたってこと」

「ねぇ! ナバロはどこかで、秘密の魔道書を見つけたのでしょう? じゃないと、こんな小さな子供が、あんな難しい呪文構文を整えられるはずがないって……」

 ビビの唐突な発言に、フィノーラは慌てた。

「ビビさま、それは秘密にしとけって!」

「あら、いいじゃない。どうせ分かることだもの。隠してこそこそ探るなんて、私は嫌い」

 俺の横たわるソファに足元に、ビビは腰を下ろした。

「みんな、その魔道書を見たがってるわ。今までにない難しいやり方だって。先生たちは、ナバロに魔法を教えるフリして、それを聞き出すつもりよ。とっても楽しみにしているわ」

 俺はため息をつく。

それはエルグリムをやっていた時にも、散々言われたセリフだ。

「それをお嬢さまが、バラしちゃダメじゃん」

「私も教えてほしい。教えて欲しいのなら、素直に頭を下げるべきではなくて?」

「聞いてどうする?」

「私も、魔法が使えるようになりたい。魔法使いとしての体質を持って生まれてこなかった人間にも、魔法が使えるようになる方法はないのかしら。それを研究したいの」

「……。そんなこと、考えたこともなかったな」

 だけどそれは、非常に面倒くさいうえに、厄介な頼み事だ。

それを叶えたとして、マトモに使える魔道士になるとも思えない。

適当に誤魔化して、利用するだけ利用したら、さっさと引き上げよう。

「分かった。いいよ。俺の秘密を教えてやろう」

「本当に!」

「信じちゃダメですよ、ビビさま!」

「あぁ。だたし、これから処方される薬は、俺が自分で調合する。魔法石をそのままくれ」

「ナバロは、そのまま食べてしまえるのよね」

「そう。それが俺の秘密。生まれ持った能力、それだけ。誰かに習ったわけでも、努力したわけでもない」

「だって、魔法石は魔法体質じゃない人にとっては、ただの石ころだもの」

 ビビの顔色が曇る。

そうだ。そうやって悔しがれ。

「呪文構文だなんて難しいことは、考えたこともないね。自分の意志を、知っている呪文の型にのせるだけ。あとは魔力の摂取量」

「それじゃ、秘密にならないじゃない」

「そうだよ。特に秘密でもない」

「……。先に診察を受けてくるわ」

 がっくりと肩を落としたビビは、静かに部屋を出て行く。

ここに残ったのは、俺とフィノーラだけになった。

彼女はため息をつくと、ドカリと向かいのソファに腰を下ろす。

「本当に秘密って、それだけ?」

「……。他になにがある」

「よっぽど恵まれた体質なのね」

 彼女の持つ魔道士特有の、深い緑の目がじっと俺を見つめる。

「あの子、体が弱いのよ。だからこの館に閉じ込められて甘やかされて、世間しらすのまま、うっとうしい性格になっちゃってるのよね。魔法使いになったところで、自由になんてなれっこないのに」

「なれるさ。なろうと思えばね。そのために俺は、村を出た」

 転生したんだ。

いつまでも、こんな扱いに甘んじるつもりはない。

もう一度、本来の自分を取り戻す。

それの何が悪い。

「子供になにが出来るの?」

「そういうお前だって、まだ若いだろう」

「十八よ。あんたよりは大人ね」

 フィノーラの緑の目は、じっと俺を見つめる。

「カズを出て、一人でどうするつもりだったの?」

 どうするも何も、やるべきことは決まっている。

まずはこの頭痛の原因となっている、ふざけた魔術を解かないと……。

フィノーラがじっと見つめる中、俺は呪文を唱えた。

ヤブ医者にかけられたおかしな術を解き、正しい流れに戻す。

全身のだるさが一気に吹き飛んだ。

「ふぅ。やっと楽になった」

「……。あんた、そうやって魔法で誤魔化してきたのね。だけど本当の体は、まだ回復してないよ。どんな魔法も、真実の姿には勝てない」

「それがやっかいなんだ」

 体力と、使える魔法のバランス。

さっさと先へ進みたいが、この体が、とにかくやっかいで仕方がない。

これからどうしたものか……。

「……。ねぇ、さっきの……。その、あんたが使った魔法なんだけど……」

 フィノーラの目が、くまなく俺を観察していた。

「あんな呪文、初めて聞いたわ。どこで覚えたのよ」

「……。どの魔法のことだよ」

「ぶっ、ぶっ倒れる直前のやつ! ……。普通出来ないから。あんなこと。広域魔法? 天候を操ろうとした? なによあれ。何がしたかったの? 一体、誰に、何を伝えたかったわけ? 世界に向かって、何を宣言しようとしたのよ。それとも、ただのバカ?」

 あの程度の魔法も見たことがないとは、聞いて呆れる。

俺が死んでから、よほど退屈な魔道士しか、この世に存在しなかったらしい。

「子供特有の、全能感ってヤツ? 自意識過剰? だけどあんたには、それを使える可能性が確かにある。体が出来上がればね。もう少し成長すれば……」

 フィノーラの視線が、じっと俺に注がれたまま離れない。

彼女は俺に、何を求めているのだろう。

「これから、どこへいくつもり?」

 それには答えない。

教えたところで、コイツらにはどうしようもない。

それでも彼女が望むというのなら、まぁちょっとくらい、教えてやってもいいか。