何かの滴が頬に落ち、俺は目を覚ます。

「ナバロ起きて! 起きてよ、ナバロ!」

 フィノーラの声だ。

目があったとたん、彼女は大声を上げた。

「気がついた! 気がついたわよ、みんな!」

 辺りを見渡す。

ここはグレティウス、魔王城の最深部。

悪夢を設置してあった最後の扉の前だ。

開かれた扉の向こうに、破壊された悪夢が見える。

「壊されたのか?」

 誰かの声が聞こえた。

それはどうやら、俺の口から出た言葉だったらしい。

聞き慣れているはずの声なのに、聞き慣れない感じがする。

「あぁ。……。多分、な」

 ディータがのぞき込み、その顔を歪めた。

聖騎士団の紋章をつけた連中が、この地下空洞にあふれかえっていた。

「壊れるには壊れた。だけどまだ、壊れきっちゃいねぇ」

 人混みの向こうに、半壊した悪夢が見えた。

欠けたクリーム色の台座の中に、どす黒く浮かぶ真球が浮かんでいる。

それは全ての光りを吸収する黒だ。

「だけどなぁ、ナバロ……。お前、死んだかと思ったぜ」

 ふと自分の体を見る。

頸動脈は切られ、肩口は裂け、腹には大きな穴が開いていた。

結界を落とされた時の衝撃で、全身の骨が砕けている。

赤黒く染まった包帯が、血を吸った服の上から巻かれていた。

「……。また生まれ変わったのか?」

「は? 何言ってんだお前。助かったんだよ。奇跡的に」

 ディータの手が、俺の頭を撫でた。

悪夢の側にいたイバンがやってきて、フィノーラの膝から俺を抱き上げる。

「帰ろう。動けないのだろう。手当と休息が必要だ」

 イバンが立ち上がった瞬間、悪夢の本体は、その殻を破り外へ飛び出した。

驚きと戦慄が広がる。

それをあざ笑うかのように、黒の真球は広間の天上へ激突した。

「が……、岩盤を突き破るつもりだ!」

 それは砲弾のように岩肌にめり込むと、そのまま山を打ち砕き、どこかへと消えてゆく。

「エ……、エルグリムの悪夢だ! エルグリムの魂が、またどこかへ飛んで逃げたんだ!」

 それは空を飛び雲をまき散らし、山を越え街を飛び越え、とある場所へ落ちる。

俺にははっきりと、その場所が分かる。

「まだ悪夢は続くんだ。エルグリムは再び蘇る!」

 大騒ぎの中を、俺はイバンに抱かれ運ばれて行く。

再び生まれ変わったエルグリムとして、もう一度。

いつかその正体を、誰かに話せる日はやってくるのだろうか……。

「ナバロ。体が治ったら、俺とルーベンへ行かないか?」

 イバンは言った。

「ビビさまに挨拶をしに行こう。お前の聖騎士団への入隊を、楽しみにしている」

 そのすぐ両脇を歩く、フィノーラとディータが言った。

「私は嫌だからね。そんなとこ、絶対に行かない」

「ルーベン? なんだってそんな片田舎に、わざわざ戻らなきゃならねぇんだ?」

 二人の声に、イバンは笑った。

その目で俺を見下ろす。

「どうするかは、ナバロが好きに決めればいいさ」

「……。そうだね。傷がちゃんと治ったなら、考えてみるよ」

 俺は大きな腕に抱かれながら、光りあふれる魔王城の外の世界へと、運ばれて行った。



【完】