「ねぇイバン。悪夢が割れたら、エルグリムはどうなるの?」

「魔力を失う。今度こそ、本当に滅びるだろう。その力の根源を、失うことになるからな」

「それが本当の最期だってことか」

 ディータの緑に強く輝く目が、チラリと俺を見た。

「ナバロはどう思う?」

「割ればいいじゃないか。少しくらい、分け前をもらってもいいだろ」

 俺の本体。俺の魂。

数百年の時を生かし続けた、その力の源。

「きっと、キレイに割れて砕け散るだろうな……」

「だといいだろうな」

 立ち並ぶ列柱の先の、行き止まりについた。

その広間には、巨大な扉が立ち塞がる。

この扉の全てが、悪夢を守る魔法石だ。

一面に敷かれた魔法陣は、なに一つ欠けてはいない。

俺の描いた結界が、無傷のまま残っている。

「す……、すごい……。ついに来たのね……。ちょ、鳥肌たってるんだけど!」

「俺もだ。こんなビリビリするのは、初めてだよ。エルグリムの力を、この扉の向こうから全身に感じるね。怖いくらいだ」

 俺はぼんやりと緑に光るその魔方陣の中心に、真っ直ぐに左手を差し出す。

その意志を、悪夢へ向けた。

『さぁ。悪夢よ、その姿を見せよ。永い眠りの時は、いま終わりを迎えた!』

 光りが走る。

轟音が鳴り響いた。

扉に描かれた模様が、ゆっくりと動き出す。

その光りは歯車のように回転し、中心に集約されてゆく。

やがでそれは、扉中央を貫く真っ直ぐな線となり、静かに開き始めた。

「これが……悪夢への扉なのか!」

 走り出そうとしたディータの前に、剣が振り下ろされる。

「フィノーラ……。お前……」

 彼女は勇者スアレスの剣を、ディータの前に構えた。

「悪いけど、これから先は、誰にも邪魔させない。私が一人で行く」

「どういうことだ」

 イバンはハンマーを構えた。

支給品とはいえ、賢者ユファの呪いがかかった聖槌だ。

「あんたたちには渡さない。私が一人で壊す」

「なぜそれをお前が判断する。悪夢は誰のものでもない。この世から消えてなくなるべきものだ」

 ハンマーを持つイバンは、ジリジリとフィノーラとの間合いを詰める。

くだらない。

「おい、ちょっと待てよ。貴様ら、あの悪夢が誰のものだか、忘れてないか?」

 魔力解放。

もはやコイツらに、用はない。

緑の炎が全身を包む。

この地域一帯に眠った力が、死んだ魔物たちに与えた残余が、俺の元に戻ってくる。

「ナバロ!」

 フィノーラの聖剣が、俺に向かった。

「あんたには、話しがある!」

「そうか。だが俺にはない」

 ここで殺しておいた方が、この先、俺がラクだろうな。

フィノーラの振る勇者の剣が、胸のすぐ手前を横切った。

「その力を制御出来ないのなら、あんたは悪夢を持つべきじゃないわ!」

 振り下ろされる勇者の剣を、イバンのハンマーが受け止めた。

「なぜそんなことを、お前が決める!」

「言ったでしょ。私は聖騎士団なんて、大っ嫌いだって!」

 フィノーラの聖剣は、イバンに向かう。

「あんたたち聖騎士団の連中が、エルグリム狩りにかこつけて魔道士の子供たちにしたことを、私は一生忘れない!」

 火花を散らし、聖剣と聖槌が交差する。

「そんな連中に悪夢を渡すくらいなら、私がもらう!」

 くだらない。

ふわりと体を宙に浮かせる。

先へ急ごう。

コイツらを黙らせるためにも、俺には悪夢が必要だ。

扉の奥へと飛ぶ。

フィノーラの言う通りだ。

そもそも俺に、こんなものを作らせたあいつらが悪い。

 遠い記憶が蘇る。

魔道士の子供が忌み嫌われ、悪魔の子として葬られていた時代の話しだ。

逃げることを覚え、自分の身を自らの力で守ることを教えたのは、何だったのか。

「そこから抜けだしたいのなら、圧倒的な力をつければいい!」

 悪夢とは、皆が言うような魔法石の結晶でも、力の残余でもない。

あれは装置だ。

有り余る魔力を蓄積し増幅させ、エルグリムの元へと送り続ける、供給機だ。

悪夢がある限り、いくら倒されても俺は死なない。

必ずこの悪夢が、俺の元へ魔力を送り続ける。

最後の扉が見えた。

その前に舞い降りる。

見上げるほどの高く頑丈な扉の前で、俺は呪文を唱えた。

『王の帰還だ。いまここに作り主は帰った。その力を解放し、我に全てを与えよ。そなたの役は目的を果たした。新たに生まれ変わり、次の使命を果たせ!』

 大地が揺らぐ。

最後の扉が、静かに開き始めた。

乳白色に濁った淡い琥珀色の、縦に長い双角錐の物体が光る。

ゆっくりと回転しているそれに、俺は一歩を踏み出す。

 パン! 

薬莢の弾ける音と、火薬の臭い。

俺はサッと身をかわした。

「チッ。さすがに避けやがるぜ」

 ディータの構えた銃口から、煙が上がった。

「おい、イバン。聖騎士団の弾丸じゃあ、悪夢は壊せないってよ」

 振り返る。

悪夢の表面に、わずかなヒビが入っていた。

「貴様ら……」

 俺のこの体が、全身が、怒りに震える。

ここまでやってきた道のりを、なんだと思っている。

お前らは何のために、俺をここまで連れてきた!

「悪夢に手を出すことは、この俺が許さん!」

 その瞬間、フィノーラの持つ聖剣が左肩に落ちた。

ギリギリと肉に食い込むそれを押しのけようとするも、力が及ばない。

「今よ、イバン。ナバロはここまでに、もう随分魔法を使っている。そろそろ体力が切れるころだわ。この強い聖騎士団の結界のなかで、よくバレないと思ったわね。あんたはあんたの意識と体を保っているだけでも、精一杯だったはずよ」

「お前……。それを待っていたのか……」

「あら、どれだけ一緒にいたと思ってるの? グレティウス入りしてから、ほとんど魔力の補給はしていないし、休めもしなかったはずよ。溶け出しそうな体を、守るのに必死だったもの。聖騎士団の中枢本部じゃ、さすがに大人しかったものね」

 ディータの銃口は、俺に向けられたままだ。

イバンはハンマーを片手に、悪夢へ近づく。

「これで本当に、ナバロの呪いは解けるのか?」

「どっちにしろ、一石二鳥でしかないだろ。さっさとやれ」

 ユファの聖槌が、悪夢の前で振り上げられる。

「やめろ!」

 風起こし。

爆風が吹き荒れる。

吹き飛ばされたフィノーラの前に、ディータが立ちはだかった。

「目を覚ませ、ナバロ!」

 撃たれた弾丸は、聖騎士団の魔法弾だ。

それはわずかな黒煙を上げ、周囲に飛散する。

魔力を封じる、吸魔の粉だ。

「クソが! これくらいのことで、俺がくたばると思うなよ!」

 呪文を、呪文を唱えなければ!

『魔力解放! 悪夢よ、力を!』

 三人は、手に持った武器を同時に掲げた。

『聖剣よ、力なきものを守りたまえ!』

 三人の声が重なる。

イバンの槌とフィノーラの剣、ディータのライフルが、正三角形のバリアを作る。

聖騎士団の紋章が光った。

聖騎士団の特有の、黄色みを帯びた緑の正三角形が、頭上を覆う。

抵抗しようにも、悪夢捜索用に支給された武器だけのことはある。

魔法攻撃に対する耐性がハンパない。

「あ……、悪夢に何をした……」

 悪夢からの返事が、返ってこない。

この忌々しいバリアに、弾かれた様子もない。

「何もしてない。大人しくするんだ」

 黄緑のバリアが、頭上に近づいてくる。

この殻を破ろうにも、この体に残った力だけでは、それも叶わない。

「ユファどもめ……」

 聖騎士団の結界は、この世界の全てを包み込んでいたんだ。

俺は知らぬ間に、その呪いに冒されていたのかもしれない。

「ナバロ! お前が死んでも死なない体なら、もう一度やり直せ!」

 ディータの言葉に、勇者の剣を持つフィノーラが動いた。

結界が落とされる。

「これでお終いよ!」

 スアレスの剣が頭上に振り下ろされた。

それを避けようとする体に、ディータの投げた双剣が突き刺さる。

聖なる呪いを受けたの剣だ。

終末の叫びが、腹を突いてほとばしる。

三人の創り出した結界が、俺の体を包み込んだ。

「ぐあああ!」

 俺を守っていた結界が、力によって破られる。

その力は全身を縛り上げ、圧迫する。

その圧力に、俺はなんの身動きも取れなくなる。

イバンは悪夢を振り返った。

その聖槌が、クリーム色の双角錐に振り下ろされる。

「もう悪夢など、ここに必要ない!」

 その瞬間、俺の中で何かが砕け散った。

それはいま俺の目の前にある、悪夢なんかじゃない。

ガクリと膝をつく。

体から全ての体力が奪われてゆくのは、いつものアレか? 

鉛のように重たくなった体が、ずしりと地面に倒れる。

「ナバロ!」

 フィノーラの手が、俺を抱き上げた。

あぁ、そういえば出会った時から、俺はこの手に助けられていたっけ。

イバンの顔が、ディータの顔が、順番にのぞき込む。

伸ばしたその小さな少年の手は、本当に自分の手か? 

力なく震えるそれは、ぱたりと落ちた。

俺は大魔道士エルグリムだ。

巨悪をなし、誰からも忌み嫌われ、いつまでも憎み恨まれ罵倒され続け、決して愛されることはない。

だとしたら俺は、もう一度魔王として、復活するよりなかったじゃないか。

どうすれば、いつになったら、俺はこの世から認めらる? 

死んでもなお生き返る呪いをかけたのは、俺自身だったのか? 

それともこれが、罪にたいする罰だとでもいうのだろうか。

何に対する罰だ? 生まれたせい? やったこと? 

悪だもんな。

当然の報いだ。

だから人に蔑まれ、殺されるのは、当たり前なんだ。

それを受け入れろ。

大魔道士エルグリムだ。

俺はまた復活するだろう。

それは永遠に繰り返される、果てしない呪いだ。

誰よりも最悪で、最も許されない、汚く下劣で醜い、浅ましく卑しい下等なこの世のゴミとして……。