固唾を呑む音が、広間に響く。

俺の指し示す方向へ、皆が歩き出した。

玉座の背にある壁には、その全面に複雑な文様が刻み込まれている。

今は何の役にも立たないただの凹凸だが、これらは全て、一種の魔方陣のような役目を果たす。

「すげぇな。さすが世紀の大魔王の城だ。ここからどんな魔物でも呼び寄せられる」

「それが強さの秘密ということか。魔力を結晶化して保管したり、分け与えたり。能力を分散することで、全滅することを回避していたんだ」

「だから中央議会は、悪夢があるかぎり安心できないのね」

 俺はその壁の一部に手をかざす。

呪文を唱えた。

緑の光りが、凹凸に沿って走りだす。

壁の一部が長方形に切り取られ、音も立てず開いた。

「この奥か?」

 俺は何も言わず、三人を見上げた。

歩き始めた後ろから、彼らがついてくる。

そうだ。

そうやって、黙ってついてくるといい。

お前たちはきっと、エルグリムの悪夢を実際に目にした、最初で最後の人間になるだろう。

この先も全て、魔法石を魔力でもって磨いた通路になっている。

俺がいなければ、決して中には入れない道だ。

黒く光り輝く、魔法で塗り固められた通路を進んでゆく。

目の前に、再び扉が現れた。

「この先か?」

 ディータが真っ先に飛びついた。

そこに刻まれた魔方陣を、かぶりつくようにして眺めている。

「す……、すっげぇなこの模様。こんな術式、見たこともないぜ……」

「どうやってこの封印を解く? 一度本部に戻って、ユファさまの指示を……」

 そう言ったイバンの隣で、フィノーラは勇者の剣を抜いた。

「そんなの、ぶち壊せばいいのよ」

「おい、やめろ!」

 刃こぼれしている剣先を、思い切り扉に叩きつけた。

耳を切り裂くような高い高音が、周囲に響き渡る。

大の男二人が呆気にとられるなか、俺はつい腹を抱えて笑ってしまった。

「あはははは。だからどうして、お前はそう乱暴なんだ!」

「うるさいわね、やってみなくちゃ分からないでしょ」

「勇者の剣なんだぞ、もっと大切に扱ってくれ」

 扉には傷一つ入っていない。

当たり前だ。

そんなもので壊れるくらいなら、もうとっくにここも見つかっていただろう。

「じゃあどうやって開けるのよ! また転送魔法を使うっていうの?」

「つーか、だったら最初っから、大魔王のところじゃなくて、悪夢のところへ行きたいって願えばよかったんじゃね?」

「そんな単純なことではないのだろうな、きっと」

 笑いすぎて腹が痛い。

もういいや。

扉に手をつくと、それはスッと開いた。

「……。開いたな」

 ディータはため息をつく。

イバンは静かに首を横に振った。

「何が起きた?」

「扉を開いたんだよ。俺が。悪夢へ向かうために」

「……。とにかく、先へ進みましょうよ」

 扉の向こうは、むき出しの地層がそのままになっている。

ここからはまた、蟻の巣のように複雑なダンジョンだ。

支給品の松明で進むとか、そんなダルいことを言い出したから、暗視魔法をかけてあげる。

「ナバロはこの魔法で、落とし穴から決戦の間まで来たのか?」

 イバンが言った。

「王の間だよ。決戦の間だなんて、そんな縁起の悪いことを言わないでくれ」

「そういう魔法を知っていたんなら、最初からかけてくれればよかったのに」

「なんだか急に、思い出したんだ」

 悪夢はもうすぐだ。

「フィノーラ、そっちじゃないよ。ディータも間違ってる。イバン、その先には罠が仕掛けてあるから、武器が呪われてしまう。悪夢はこっちだ」

 むき出しの土は、酷く乾いていた。

地表は草も木も生えぬ程の岩盤で覆われているのだ。

岩の割れ目から染みこんだ水は、地下を流れる大水脈となって、この地を抜けグレティウスの城下町まで続いている。

ここにはもう、魔物たちの気配すらない。

「ナバロは、悪夢の臭いを感じているの?」

 ふいに、フィノーラが言った。

「まるで場所が分かるみたい」

「感じるね。強い魔法の香りを。この城全体を覆う魔力の中でも、ひときわいい匂いがしている」

「ディータには分かるのか?」

 イバンの問いに、彼は首を振って笑った。

「魔王の力にかき消されて、そんなのサッパリ分かんねぇよ」

「だけどここにも、聖騎士団の連中がかけた結界が、効力を発揮しているわ。どうしてかしら」

「……。エルグリムが、死んだからだろ」

 土塊の狭い道を、歩いては曲がり、上っては下りる行軍が続く。

俺以外の三人には、うっすらと汗が滲み始めた。

「しっかし、熱ぃな」

「空気が悪いのよ。吐きそう」

「もう少しだ。頑張ろう」

 お前たちさえ来なければ、もうとっくに終わっていた話だ。

こんな迷路、作った俺ですら、まともに歩いたことなんてなかったのに。

どうして俺は、こんなことをしているんだろう。

「なぁ、悪夢を見つけたら、本気でどうする?」

 ディータはそう言って、流れる汗を拭った。

「かち割って山分けとか、やっぱナシ?」

「……。割ること自体には賛成よ。だって見つけたら、即刻割るように、ハンマー持たされてるんだから。そうよね」

「……。そうだな」

 最後の角を曲がる。

それまで狭かった通路が、一気に広がった。

悪夢を守る魔方陣である柱が、二重列柱の対となり、一直線に建ち並ぶ。

この気配を、ようやく三人も感じ取ったようだ。

奥に続く深い暗闇に、目を向ける。

「この先か……」

 俺には聞こえる。

悪夢がそこに存在し、絶え間なく呼んでいるのを。

それと一つになれば、俺は蘇る。

もう魔力が尽きることはない。