山の奥深い崖上に舞い降りる。
いくらドラゴンとはいえ、これだけのチビ竜に三人も乗せて飛ぶことは、これ以上無理だった。
「ありがとう。助かったよ」
その鼻先を撫でてやる。
チビはうれしそうに目を閉じた。
「ねぇ……。どうやって懐かせたの?」
「お、俺も……、触っていいかな……」
気がつけば、フィノーラとディータはキラキラと目を輝かせ、こっちを見ている。
「……。まぁ、平気なんじゃない?」
途端に二人は、チビに飛びついた。
「キャー! かわいい! こういうの憧れだったんだよねー!」
「俺も俺も! やっぱドラゴンだよなぁ!」
チビはしばらく二人に撫でられていたが、突然嫌になってしまったのか、空へ飛び上がった。
「またな」
「え~! もう行っちゃうの?」
「な、また呼んだら来る? まだ呼んだら来てくれる?」
「さぁ。来るんじゃないのか?」
飛び去る姿に、二人はぴょんぴょんと跳びはねながら、盛大に手を振っている。
太陽は間もなく隠れようとしていた。
森の中へ入る。
「魔力はどれくらい残ってる?」
今晩はここで野宿だ。
フィノーラがたき火に火をつけ、ディータは仕留めてきた鳥の皮を剥いでいた。
「残ってるわけねぇだろ。もう全部使い果たした。フィノーラは?」
「私も。もうそんなに大きい魔法は使えない」
俺だってそうだ。
さすがに魔法石で補給しないと、ほぼ枯渇している。
簡単な魔法しか使えない。
「どっかで調達するかぁ?」
「どうやって稼ぐのよ」
魔法石はとても高価な品だ。
「あれ? ビビからもらった石がなかった?」
「あんなもんとっくに使い果たした」
「どうしてよ!」
「でかい魔法使ったんだよ。仕方ないだろ」
焼き上がった肉にかぶりつき、フィノーラの鞄に残っていた乾パンをかじる。
「目的地はグレティウスなんだろ?」
「着いたところで、どうすんのよ。ガッツリ監視がついてるわよ。魔王城の中なんでしょ、悪夢があるのって」
「そもそも悪夢ってなんだ?」
「え、大きな魔法石の結晶じゃないの?」
俺は焼けた肉の、最後のひとくちを飲み込む。
「石の結晶じゃない。力の根源だ」
フィノーラは、肉の刺さっていた小枝をくるくると回した。
「それってどういう仕組み? つーか、なんでナバロはそんなこと知ってるの?」
「本で読んだ」
「どんな本よ。そんなの、見たことないわ」
それには答えない。
呪文を唱える。
あちこちに転がる砂粒ほどの魔法石の欠片が、五つ、六つほど集まってきた。
それを二人に差し出す。
「私、石から直接は無理」
フィノーラは首を横に振った。
ディータは一粒だけそれをつまむと、口に入れかみ砕く。
「俺は嫌いじゃないけど、効率は悪いよな。美味いもんでもないし。薬剤化されている方が、ずっと飲みやすくて力が溜まる」
俺は手の平に残ったそれを、全て丸呑みにした。
ほんのりと甘い後味が舌に残る。
フィノーラはため息をついた。
「エルグリムの転生魔法についての、研究書は読んだわ。理屈は分からないわけではなかったけど、あれが本当に出来るとは思えない」
「で、そのエルグリムの力を集めた結晶とやらを他の魔道士が奪って、自分の物に出来るのか?」
「私は破壊しに行くのよ」
フィノーラは言った。
「私はそんなものが、この世に残されている方がおかしいと思ってるわ」
「だったら大人しく、聖騎士団に任せておけばいいじゃないか。そのために王城を探ってるんだろ?」
「あんな奴らの言うことを、そのまま信じられるの? 見つけ次第、自分たちのものにするつもりよ。そして第二の魔王が誕生する」
「ユファのこと?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。とにかく私は、もう誰かの言いなりになるのは、まっぴらゴメンなのよ。それは中央議会だって同じだわ。そんなヤツらは完全に排除して、好きに生きる。私を支配しようとする連中は、たとえそれが何者であっても、許しはしない。頂点に立とうなんて人間は、この世に必要ないものよ」
「ルールはあっても?」
「私がそのルールよ。排除されない程度に、上手くすり抜けてみせるから」
ディータはたき火の火を消した。
「なぁ、動物避けの結界くらいなら、張れるか?」
フィノーラの呪文が、俺たちを包む。
俺たちは毛布にくるまった。
「とにかく、グレティウスはまだまだ遠い。ドラゴンのおかげでナルマナの管轄地からは離れられたから、しばらく追いかけ回されることはないだろう。大人しくしていれば、そう目をつけられることもないだろうしな。明日からはもっと、地味に慎重に行こう。しっかり休んでおかないとな」
「そうね。もうしばらく、魔力は頼れないわね」
「おやすみ」
フィノーラも背を向けた。
翌日になり、俺たちは夜明けとともに山を下りた。
設定は仲良し魔道士三人組による、旅芸人一座だ。
フィノーラが客寄せをして回り、ディータのギターで俺が歌う。
「やってられるか!」
稼いだカネは、あっという間に飯代と宿代に消えた。
高価な魔法薬を買うなんて、夢のまた夢だ。
三人で入った大衆食堂で、頼める分だけ頼んだ料理をかき込む。
「だからそんなもん、魔法で石ころでも木の葉でも、コインに変えて誤魔化せばいいだろ! 俺は今までずっと、そうやってやって来たんだ!」
「だからダメだったのよ!」
ホワイトソースの絡みついた細長いパスタをかき込みながら、フィノーラが怒鳴る。
「だからアンタはカズの村で悪童で通ってたし、ルーベンでもマークされたんだって! 今時魔法で誤魔化したお金なんて、みんな見破るアイテム持ってるんだから!」
「そうかぁ~。ナバロは、カズ村の出身なのかぁ~」
「だけど、こんなやり方じゃ時間がかかって仕方ないだろ!」
「私はこうやって、地道に稼いでここまで来たのよ!」
「あ、二人とも、パンのおかわりもらうかぁ?」
「なんでここで、いつものガサツさを発揮しない!」
「なんですって?」
俺のお気に入りのサラダボウルを、フィノーラが取り上げた。
フォークを突き刺しそれをむしゃむしゃと咀嚼すると、ゴクリと飲み込む。
ナルマナを出てから、もう三ヶ月近くが過ぎていた。
「そもそもアンタが考えなしで魔力ぶっ放すおかげで、こんな苦労させられてるんですけどね」
ディータは店に置かれていた新聞を広げた。
「派手な記事になってるなぁ~。 『ナルマナでエルグリムの古城にかけられた封印が解かれる。魔王復活の予兆か?』 だって」
「じゃなきゃ、あそこから抜け出せなかっただろ!」
「そもそも、一番最初に、捕まらなければよかっただけの話しでは?」
フィノーラの持つ木製ボウルに指をかける。
奪い返そうと引き寄せるも、腕力では敵わない。
「大体、なんであんたの呪文で、エルグリムの亡霊どもが言うこと聞いたのよ」
「俺の呪文構文が、エルグリムと同じだからだよ」
「だから、その誰もが知りたがるその秘密の構文を、どこで知ったのかって聞いてんの」
「その呪術書は、燃やされてしまったんだ」
「本当に?」
「絵本と一緒に。家のかまどで」
フィノーラからサラダボウルを奪い返す。
これにふりかけられた、魚のチップが美味いんだ。
「エルグリムが本当に生まれ変わっていたら、こんな平和はないだろぉー」
ディータは読んでいた新聞を閉じ、コーヒーをすする。
「エルグリムの世が続いていたら、仲間になってたんじゃなかったのか?」
「そりゃもちろん、長いものには巻かれるさ」
ディータは言った。
「だけど、もうそんな時代は終わったからねぇ。エルグリムは死んで、もう戻ってはこない」
「悪は倒されるのよ。誰もそんなもんの復活なんて、望んでないわ」
フィノーラはテーブルの皿に残っていた、最後の肉の一切れにブスリとフォークを突きたてる。
「そのために私は旅に出たの。悪だろうが善だろうが、もう二度と、中央議会にだって、誰かに支配される世界になんて、絶対にさせない」
彼女が豪快に肉を喰らったところで、食事は終わった。
「さぁ、出るか」
俺たちが立ち上がろうとした時、店の中にいた客の一人が声をかけてきた。
「あんたたち、グレティウスを目指してんだろ?」
「あぁ、そうだ。そこで一発、のし上がろうって手はずだ」
ディータが答える。
「エルグリムの復活に供えて、悪夢を探す聖騎士団の、臨時調査団員募集広告は見たのか?」
その男は、新聞の求人広告を指さした。
「グレティウスに向かう、特別な駅馬車が出てるってよ」
「それはいつだ?」
「さぁね。停留所はこの大通りの先だ。行ってみろよ。調査団に入るなら、タダで乗せてもらえるはずだ」
店を出る。
大通りの人混みを前にして、ディータは立ち止まった。
「さて、どうする? 選択肢は二つだ」
「タダよ、タダ。背に腹はかえられないでしょ」
「本気でそこに行くのか? 聖騎士団だぞ」
「当たり前でしょ。見に行くだけは行ってみましょ」
フィノーラは歩き出す。
「やれやれ。お前の姉ちゃんは元気だな」
その建物は、すぐに見つかった。
四頭、六頭立ての馬車が何台も交差する、随分賑やかな停車場だ。
「ほら、よそ見してると馬車に引かれるぞ」
ディータが俺に手を伸ばす。
さすがにそれにはムッとしたが、黙ってその手を繋いだ。
フィノーラと三人、待合室へ入る。
ディータは俺たちを残し、ごった返す人の波を泳いで、受付らしき場所に並んだ。
あまりの狭さと人の多さに、フィノーラは俺を抱き上げる。
「おい。あまり俺を子供扱いするな」
「まぁ。みんな子供はそう言うものよ」
「バカにしてんのか?」
「してないって。子供ほど大人になりたがるもんだから」
受付でディータが騒いでいる。
何やら揉めていると思ったら、案の定怒りながら戻ってきた。
土埃舞う喧騒の中に、ディータの声が混ざる。
「くそっ。もうグレティウスへ向かう特別便は出た後だってよ。次の便は志願者が集まってからだそうだ。そもそも、聖騎士団の審査に合格したものだけが乗れるってよ」
「じゃあ無理じゃない」
「そうだな。そこにだけは世話になれない」
「ちっ。聖騎士団っていうだけで、うんざりするぜ。やっぱ地道に稼いで歩くかぁ~?」
しかしそれでは、あと何ヶ月かかるか分からない。
ふとこちらに向かって歩いてくる、がたいのいい男と目があった。
「こんなところにいたのか」
「イバン!」
白金の髪にブルーグレイの瞳。
いつだって上品めかしたその立ち居振る舞いは、この喧騒と土埃の中でもひときわ目を引いた。
「たまには連絡しろ。ビビさまが心配している」
「あんたこそどうしたのよ。ここで何してんの?」
「私か? 私はこれから、エルグリムの悪夢を探す調査隊に……」
「それだ!」
俺たちは、同時に声を上げた。
「確かに私は、調査隊に志願して行くが、それは聖剣士として参加するんじゃない。あくまで休暇中の暇潰しだ」
場所を移した俺たちは、駅馬車の行き交う大通りを見渡す、テラス席に腰を下ろした。
「は? なんで休暇中に行くんだ?」
ディータは眉をしかめる。
「仕事中じゃないんなら、仕事すんなよ」
「他にすることもないからな」
「休みがたまってたんでしょ? 石頭イバンさまっぽい」
フィノーラの言葉に、彼は頬を赤くする。
「いいじゃないか別に。これが私にとっての、余暇の過ごし方だ」
「グレティウスに行くのか?」
「そうだよ」
俺の言葉に、イバンは静かに視線を向けた。
剣を教えると言った、その時の彼が頭をよぎる。
「確か君たちも、グレティウスを目指しているんだったな。一緒に行くか?」
「それは助かる!」
声をそろえた俺とフィノーラに対し、ディータは明らかに不満気な表情を浮かべた。
「冗談じゃない。だれが聖剣士なんかと……」
「確かに私は聖騎士団の一員だが、今は休暇中だぞ」
「バカねディータ。これからどうやってグレティウスまで行くつもりよ」
「地道に日銭を稼いで行くんだろ?」
「ねぇ、イバン?」
フィノーラは、キラキラと輝く目でじっと彼を見上げた。
「私たち三人分の、駅馬車代出せる?」
「はい?」
「それは違う。俺は子供料金で大丈夫だ」
「……。ちょ、ちょっと待て。君たちは一体、どうやって旅をしてきたんだ? ビビさまから、ちゃんとまとまった金額を……」
「色々あって、没収されちゃったのよ。きっとナルマナの聖騎士団のところに行けば、預かり分があるわ」
イバンは大きくため息をつくと、その頭を抱えた。
「君たちはまた何かやらかしたのか。そういえば、ナルマナ聖騎士団の団城が最近……」
「ね! イバンなら同じ聖騎士団だもの、すぐに話しがつくでしょ。お金がないワケじゃないの。イバンならそれを知ってるじゃない?」
彼はその青い目で、指の隙間からじっとフィノーラを見た。
その視線は、今度は俺に注がれる。
フィノーラはディータを振り返った。
「ほら。この騎士さまが私たちの駅馬車代を立て替えてくれるってよ。一緒に行きましょう?」
「信頼できるのか」
「それはもう!」
ディータはかなり不満げだったが、その顔を背けて言った。
「……。まぁ、そういうことなら……。仕方ない、かな……」
「これで決まりね!」
結局フィノーラの一言で、イバンは三人と一人分の切符を購入した。
ナルマナからダラダラと歩いてたどり着いたこの街からも、グレティウスはまだ遠い。
そこへ直接向かう定期便の駅馬車はなく、近くのチェノスまで行く便に空きを見つけた。
「グレティウスの手前の街だ。そこから入るより他ないな」
イバンの言葉に、ディータはフンと鼻を鳴らす。
「聖剣士さまっつっても、こんなもんか。直行便に空きを作れるかと思ったぜ」
「私は今、休暇中だと言っただろ」
イバンは俺とフィノーラに切符を渡すと、最後にディータにそれを差し出した。
「嫌ならどうする?」
「お前にコイツらを任せられるかよ」
「ならよかった」
乗客は俺たちの他に八人。
二人の御者を含めると、十四人のパーティーだ。
四、五十代の女性の一人客もいれば、まだ若い男もいる。
その中でも、俺は最年少のようだった。
特に剣士だと思われるような連中も、魔法の臭いを漂わせる者もいない。
ごく一般的な乗客たちだ。
聖剣士と一目で分かるイバンと同行していることで、俺たちは多大な信用を得ていた。
なんとも理不尽な世の中だ。
停車場の隅に停まっていた駅馬車の、木箱のような荷台に直接腰を下ろす。
人を乗せて運ぶ馬車としては、最低ランクだ。
「こんな安っすい馬車で荷物のように運ばれて、二十日以上の旅をしろって?」
「一番早いものを言ったのは、君たちだが?」
「お前が急ぐんだったろ?」
「私はこれで十分だ」
狭い木箱の中に、ぎゅうぎゅうに詰め込まれる。
ディータはそれを見て、木箱の屋根に飛び乗った。
「俺はここでいい。雨さえ降らなきゃ、ここが一番だ」
「好きにしろ。振り落とされるなよ」
俺はフィノーラとイバンに挟まれて、居心地がいいのか悪いのか分からない。
「ナバロは……。元気にしていたのか?」
不意に、イバンが声をかけた。
「ビビさまがとても心配していた。おかげで随分と元気になられて。みな感謝している」
「……。魔法石の礼だ」
「フフ。そういうことだったのか……」
イバンは木の板に背を預けると、顔を上げ目を閉じた。
「魔法が使えるというのも、いいもんだな。私自身は、それを不便に思ったことはあまりないが」
「お前は、簡単な魔法しか使えないからだ」
「きっと魔道士になれる体質だったとしても、私は剣士になっただろうよ」
御者の合図で、馬車は動き出した。
乗り心地もクソもあったようなものじゃない馬車だが、文句は言えない。
長い道のりが始まった。
初めは互いに距離のあった乗客同士にも、旅程が進むにつれ、次第に会話も生まれてくる。
ぬかるみにはまった馬車を押したり、時には食事も分け合った。
急な坂では馬の負担を減らすため荷台から降り、道を歩く。
縮こまった体に、外の世界は開放感にあふれていた。
「なぁ、俺も屋根に上がっていいか?」
イバンとフィノーラの反対をよそに、そう言った俺をディータは屋根に上げた。
夜には寒さと揺れが一段と酷くなったが、流れてゆく星空を見上げていられるのは悪くない。
「やっと半分まで来たな」
ディータはつぶやいた。
すっかり聞き慣れた車輪の音に、そっと目を閉じる。
「なぁナバロ。グレティウスに着いたら、俺は商売でも始めようかと思うんだ」
「商売? 悪夢を探すんじゃなかったのか」
「はは。それも探すには探すけど、グレティウスは今や、ただの魔王城じゃねぇ、一大商業都市だ。魔法関連の道具が飛び交う、特別自治区なんだよ」
「入れないのは、悪夢のせいだけじゃないってこと?」
「そうだ。俺も昔、一度だけ行ったことがある。本当に通り抜けただけみたいなもんだったが、そりゃあもう、凄いところだぞ」
俺がそこに住んでいたころは、ただただ広がる広大な荒れ野に、毒沼が点在しているような土地だった。
その荒野を囲うように、草木も生えない死した山脈が続き、その岩根を削り出して城を造った。
硬い岩盤をくりぬき、いくつもの塔をたて櫓を構えた。
日の当たらない地下の広間には、黒く冷たい一枚岩を魔法石で磨きあげ、そこで沢山の者を処刑した。
命を乞う者がひざまずく玉座の前は、そこだけがうっすらとへこんでいたっけ。
「そういえば、もう魔力は回復したか?」
「いや。体力は戻ったけど、それ以上はあんまり……」
ディータは暗闇の中、ゴソゴソとポケットから小瓶を取りだす。
「さっき止まった休憩所で手に入れたんだ。ほら、あの後から入ってきた、グレティウスへ向かうという積み荷の連中さ。それほどいいものじゃないが、ないよりはましだ」
受け取ったその魔法薬を飲む。
変に味をつけたそれは、かなり薄めて作られた粗悪品だ。
ディータも同じものを口にすると、走る木箱の上からその空き瓶を投げ捨てる。
「グレティウスに店を構えて、そこを拠点にあちこちを飛び回るんだ。あそこには珍しい品や、聞いたことのない話しがいくらでもある。そうだな、お前にも分かりやすく言えば、冒険の日々ってやつだ」
ディータは楽しそうに笑った。
「ナバロはそういうのに、興味はないのか?」
走り続ける馬車の振動で、全身は絶え間なく揺れている。
流れる星空のその速さは、俺が乗っているこの木箱の進むスピード、そのまんまだ。
「そんな風に思えたら、ずいぶん楽になれただろうな」
ディータはガバリと起き上がった。
「お前さぁ、前からちょっと思ってたんだけど……」
ヒュ!
空気を切り裂く音に、サッと身を屈めた。
闇夜に目をこらす。
街道を挟む草原の奥、その木々の間から、複数の人間が飛び出して来た。
「盗賊だ!」
恐怖に怯えた馬が加速する。
御者はその勢いに任せ、スピードを上げた。
異変に気づいた乗客たちが目を覚ます。
放たれた矢が、木箱の板を撃ち抜いた。
「ディータ!」
「任せろ」
呪文を唱える。
ディータの呪文で、飛んでくる矢は、全て地面に落とされた。
「魔法の臭いがする!」
狙いは馬の足だ。
深い泥沼にでも落ち込んだかのように、四肢を高くあげ、ばたつかせている。
その魔法を解いてやってもいいが、ここは逃げることを選択するより、迎え撃つ方が得策のような気がする。
「ディータは御者と馬を守れ」
ついに、駅馬車の車輪は止まった。
夜風に波打つ草原を、武器を手にした盗賊たちが駆け下りて来て取り囲む。
木箱からイバンが出てきた。
甲冑こそ身に纏っていないものの、聖剣士の紋章が入った剣を、スラリと引き抜く。
「残念だったな。ここに私がいる限り、通行の邪魔はさせない」
俺は呪文を唱える。
閃光弾だ。
『この場を照らせ! 誰の目にも、その姿を隠れなく映し出せ』
打ち上げた光りの球はパッと広がり、煌々と辺りを照らした。
イバンの影が素早く動く。
相手の不意をつく鮮やかな剣さばきは、さすがに聖剣士のものだ。
「フン。銀の星を背負ってるだけのことはあるなぁ。そうたいしてデキは悪くないようだ」
「まぁ、悪くはないと思うね」
「なんだ、ナバロ。知り合いじゃなかったのか?」
「ちゃんと戦うところを見るのは、初めてかも」
ディータはそう言いながら、怯える馬たちをなだめている。
「よしよし、いい子だ。俺がついてる。安心しな」
そのささやくような低い呪文に、馬たちは落ち着きを取り戻した。
俺は木箱の上に腰を下ろしたまま、イバンの様子を見ている。
動こうとしない俺に、ディータが言った。
「……なぁ、あいつ、手伝った方がいいのかな?」
「さぁ。まぁ人数は多いけど、運動不足解消にはいいんじゃないか」
「まぁ、ナバロがそう言うなら……」
「やりたいなら、手伝ってやれば?」
「いや、そういうワケでも……」
ふと、背後からの複数の気配に、俺とディータは振り返った。
盗賊の別働隊が、木箱を狙っている。
「じゃ、俺はこっち」
ディータは腰にあったムチを取りだす。
「魔法は使わないのか?」
「ずっと馬車に乗ってりゃ、体がなまってくるだろ」
ディータのムチがしなる。
それは盗賊の持つ剣を叩き落とした。
「お前はカードに剣に、ムチも拳銃も使うのか。実に器用だな」
「飽きっぽいタチなんでね。ムチは練習中!」
なんだ。 ディータも退屈してただけか。
顔を上げる。
魔法の臭いだ。
ほんのわずかだが、夜風にのって離れた所から臭ってくる。
馬の足を止めた者とは違う、それよりは、強く臭いを感じる。
街道を見下ろす土手の上に、騎馬隊の姿が現れた。
盗賊団の首領を囲む一団か?
鎧兜を身につけ、それなりに武器も揃っている。
その中に、魔道士がいた。
「イバン、屈め」
炎の呪文。
小さな火球が、イバンに向かって飛んだ。
俺は風の呪文を唱える。
刃のように鋭い刃先を持つ一陣の風が、無数のブーメランとなって草原に飛んだ。
とっさに身を屈めたイバンの頭の先を、その風は切り裂き、放たれた火球をかき消す。
伸びた草を刈り取り、隠れていた盗賊の一部も切りつけた。
「魔道士二人に、聖剣士か。その馬車の積み荷はなんだ?」
その盗賊の声に、木箱の扉が開いた。
「もちろん、絶世の美女が山積みよ!」
フィノーラの放つ暴風が、草原を吹き荒らす。
盗賊の幾人かは吹き飛ばされ、馬たちは驚き暴れ出した。
「お前のノーコンは、まだ直ってないのか!」
混乱に乗じて、イバンは目の前の盗賊を切りつける。
「助けに来た相手に向かって、なに失礼なこと言ってんの?」
フィノーラの呪文
。衝撃弾が、敵味方関係なく頭上から降り注ぐ。
「馬が怖がってんだろ!」
ディータが叫んだ。
その馬に近寄る盗賊を、一蹴りで沈める。
盗賊団の一部は、ライフル銃を構えていた。
「フィノーラ!」
シールドを張る。
辛うじて間に合ったそれは、全ての弾丸を弾いた。
「私にケンカ売ろうなんて、上等じゃない」
彼女はそのまま、何かの呪文を唱えている。
その間にも、イバンは木箱に迫る敵を斬り倒した。
「おい、ディータ! お前も手伝え」
「うるせぇ、俺はお馬ちゃんたちの相手で忙しいんだ」
ディータは愛おしそうに、その鼻先を撫でている。
「ゴメンな、驚いただろ? だけど大丈夫だ。俺がいるから安心しな」
フィノーラの放つ暴風は、今度はイバンをも巻き込みよろけさせた。
煽られた盗賊どもは、地面に転がっている。
その様子をみた土手上の連中から、あざ笑う声が響いた。
「あの女を黙らせろ」
魔封じの呪文。
相手の魔道士は、どうやらそこそこ高等な魔法を使える、上級者のようだ。
「悪いがこっちにも、ちゃんとした魔道士はいるんだ」
放たれたその魔法を、俺はそのまま術者に返す。
その魔道士と思われる盗賊は、息苦しそうにもだえたかと思うと、馬からドサリと落ちた。
「数が多いぞ」
生真面目なイバンは、ずっと剣を振り回し続けている。
「だから俺は、そういう頭悪そうな剣士のやり方は、見てて嫌になっちゃうんだよね。やる気が削がれる」
「は? 何を言ってるんだお前」
ディータの言葉に、イバンは彼を振り返った。
「乗客の安全を守るのがお前の役目だろう」
「じゃあお前の役目はなんだ?」
「乗客の安全を守ることだ」
「俺とカブってんじゃん!」
「当たり前だ!」
「意味分かんねー」
フィノーラは勝手に暴風を吹きあらしている。
「ナバロ、暗くなった。もっと明かりを増やして!」
「は~い」
閃光弾。
二つでいい? あ、やっぱ三つにしよう。
それくらい上げておけば、後で文句も言われないだろ。
駅馬車の背後にも敵は迫る。
ディータのカードが、三匹の狼に変わった。
「ハコに戻って、馬車を動かした方がいいんじゃねぇか? もうお馬ちゃんが可哀想だ。おい、イバン。戻って来いよ」
その言葉に、御者はムチを入れた。
しかしそれは、わずかに動いたところで、ガタリと傾く。
「ば、馬車が動きません!」
「おーい。ナバロ~」
魔法の臭いはしない。
俺は木箱に近づいていた盗賊の、口を封じたうえで地面に縫い付ける。
「車輪かな? さっき飛ばしたから、おかしくなったのかもな。お前、見て分かるか?」
「魔法は感じないけど……」
ディータは馬に寄り添ったまま、馬車の足元をのぞき込む。
「あ、本当だ。馬車が止まったのは、魔法のせいじゃない。道路に仕掛けをしてやがった」
「ではやはり、戦わなくてはいけないではないか」
イバンの息が上がり始めている。
「そっちは貴様らで何とかしろ!」
仕方ないなぁ。
俺は屋根から飛び降りた。
ディータは狼を操り、迫る盗賊を倒すことに忙しい。
車輪をのぞき込むと、前後左右に四つある車輪のうち、後輪の二つにべっとりとゼリー状のものが張り付いていた。
「なんだこれ?」
こんなものは見たことがない。
ドロリとした透明な固い粘着質の中に、わずかに緑の結晶が輝く。
「マジックアイテムだ。それで馬車が止められてる」
呪文を唱える。
単純に剥がそうとしても剥がれないヤツだ。
この物体にかけられた呪文を解くか、施術者に解除させないことには、解放されない。
「ちっ、簡単にはいかねぇってことか!」
ディータのムチがしなった。
呪いを解く方法は色々あるが、こういった道具を作る連中には、職人芸として、パズルのように細かな仕掛けを入れていることが多々ある。
それを見抜いて解除するのは、なかなかに難しい。
てゆーか、面倒くさい。
「車輪ごと交換するのが、一番早いな」
「そんなこと、この状況で出来ませんよ!」
御者の悲鳴に、フィノーラは声を荒げた。
「私に任せて!」
「任せられるか!」
珍しくイバンとディータの意見が一致した。
誤爆を全く躊躇しないフィノーラの爆風弾に、盗賊たちも引き気味だ。
馬車に向かって弾け飛んだそれを、イバンの剣が切り裂く。
「馬車が動かないのなら、盗賊団を捕らえるしかなかろう」
「アホか。キリがねぇだろ。馬車に近寄る連中だけを相手にして、逃げちまえばいいんだよ。それに今は、聖騎士団の仕事中じゃないんだろ?」
「休暇中でも必要があれば、任務を全うする!」
「あぁもう! とにかく追い払えばいいんでしょ!」
だがまぁ、こういったパズルゲームは、厄介だが嫌いではない。
かつては俺も、あちこちに仕掛けて楽しんだ。
「呪いを解く。少し静かにしててくれ」
「だがそれでは、作戦の話し合いにはならない」
「話してる場合じゃねぇだろ。盗賊の仲間が増えたぞ」
「だから全部追い払えばいいのよ!」
呪文の声。
三人が三様に何かを唱えている。
『もう一度我に力を』
『風よ我が身を運べ』
『最大暴風風起こし!』
イバンが回復魔法で、ディータはスピードアップ。
フィノーラに関しては、呪文まで雑過ぎてよく分からない。
ぎゃあぎゃあわめきながら戦っている横で、俺はパズルゲームに取りかかる。
「う~ん。単なる足止めだからなぁ……」
この粘土のような、ゼリーのような物体に、使われている魔法石の質量はさほど大きくない。
つまり、それほど難しい仕掛けではないということだ。
それに、これはどうやら、盗賊団の魔道士連中が作ったものではないようだ。
魔法の臭いが違う。
どこからか買ってきた量産品か?
「それにしては、よく出来てるなぁ~。これは値が張っただろうに」
面白そうなパズルは、じっくりと解くに限る。
蹄の音が響いた。
土手上に、さらに盗賊団の数が増える。
「仲間が現れたじゃないか。くそ、首領はどこだ」
「フィノーラ、自慢の馬鹿力でぶっ飛ばせ!」
『総力全包囲!』
ゆらりと、大きく風が動いた。
フィノーラの魔力回復も進んでなかったか?
いつもの勢いがない。
大きな斧を担いだ男が、馬に乗ったまま進み出た。
「テメーら! さっさとあの聖剣士さまの首を取れ! そうすりゃ腐れ魔道士どもは、すぐだ!」
そう言うと、男は馬を走らせた。
雄叫びが上がる。
散々イバンたちが暴れ回ったあとで、ようやく現れた首領だ。
その後ろに、数十人の騎馬隊が続く。
「狙いはイバンだ。ノーコンフィノーラ。馬ぐらいからなら、ヤツを落とせるか?」
ディータのムチがしなる。
それは斧を持つ男の手に絡みついた。
フィノーラ衝撃弾が、首領の頭をかすめる。
男はくるりと体をひねると、馬上から飛び降りた。
その腕に絡みついたままの、ムチを引く。
ディータの体が引きずられた。
「そこまでだ!」
飛び上がったイバンの剣が、男の上に降りかかる。
首領は斧を持ったまま、グッと体を反らせると、イバンを蹴り上げた。
「チェノスの大斧だ! グレティウスへ向かう荷馬車を襲う、大盗賊団だ!」
ガタガタと震える御者の言葉に、俺は顔を上げた。
「有名なのか?」
「あいつらに見つかって、無傷で済んだ者はいねぇんだ」
「だってさ!」
蹴り飛ばされたイバンは、草の中でゆらりと立ち上がる。
「だとしたらなおさら、ここで捕らえてしまわなくてはな」
「フン! 面白れぇじゃねぇか」
『急速大回転!』
男は右手に持っていた斧を、左手に持ち変えると、ムチの上に振り下ろす。
ディータはそれをサッと引いた。
大斧は地響きをあげ、地面に突き刺さる。
イバンの剣が、男の腕を狙った。
首領はその斧を、ブンと振り上げる。
「イバン!」
斧と剣がかち合った。
火花が飛び散る。
フィノーラの放ったエアカッターが、交差する二人を同時に切り裂く。
騎馬隊の群れが、駅馬車を取り囲んだ。
「ナバロ、そっちは任せたぞ」
あぁ、面倒くさいな。
どうして俺がこんなこと……。
右手を上げる。
呪文は何にしよう。
もういっそのこと、コイツら全員、息の根を止める魔法を……。
そう思った瞬間、木箱の扉が開いた。
「俺たちも戦う!」
「こっちは任せろ!」
乗客たちが、それぞれ身につけていた武器を片手に飛び出した。
車輪の横にいる俺を振り返る。
「坊主はそこから動くなよ」
「みんな戦ってるんだ。せめて馬車くらいは、俺たちに守らせてくれ」
「……。分かった」
乗客たちに、動くなと言われてしまったのだから、仕方がない。
戦い慣れた盗賊団に比べ、乗客たちの動きはぎこちない。
それでも必死になって、自分たちの身を守ろうとしていた。
「なんで戦ってるんだ?」
二人いる御者のうちの一人が、必死の形相で御者台から拳銃を撃っているが、ほとんどろくに当たってもいない。
「黙って見てるわけにはいかないからさ」
なんだ、それ。
あぁ、馬上の盗賊が、剣を振り回している。
乗客の一人が腕を斬られた。
大斧を持つ男も暴れているのに、これではよけいにイバンたちがやりにくいじゃないか。
ほらみろ、フィノーラは自分の暴走魔法が使えなくなって、困っている。
ディータの背後に近づいた盗賊を、乗客の一人が切りつけた。
ディータはそこへ、膝蹴りを加える。
イバンが大斧の男と距離を取った。
その瞬間、御者の撃った弾が斧に当たった。
そこに気を取られたすきに、イバンは剣を振り下ろす。
その光景は、まるで協力しているようにも見えた。
「よけいに戦況が混乱したじゃないか」
「子供の目には、そう見えるかもしれないな。だけど……」
御者はヘタな鉄砲を撃ち続ける。
「何もしないでいるよりは、ずっといいだろ」
フィノーラのコントロールが精度を増す。
あいつ、ちゃんと狙って魔法を打とうと思えば、狙えるんだ。
いつもより小さな衝撃弾を、乗客たちの動きを見ながら、丁寧に馬上の盗賊にぶつけている。
フィノーラの魔法で馬から落ちた盗賊を、乗客たちが羽交い締めにしている。
「なぜ助け合う」
「なぜ? だって、そういうもんだろ。それにしても、あんたの仲間は強いな」
そう言って、彼は笑った。
「お前もカッコいいよ」
ディータのムチが、大斧の柄を捕らえた。
「そのまま動くなよ……」
ディータがムチを引く。
と、男はわずかに斧の角度を変えると、不意にその手を放した。
「ディータ!」
ムチのその反動で、斧の刃先がディータに向かう。
フィノーラの衝撃弾が、大斧の位置をわずかにずらした。
首領の男は、剣を持つイバン腕を、ガッツリと上から抑えつけた。
「矢を撃て!」
遠巻きに見ていた盗賊団から、一斉に矢が放たれる。
それの標的は、木箱や馬たちも例外ではない。
『最大暴風風起こし!』
俺が呪文を唱えるより早く、フィノーラの声が響いた。
大地から湧き上がるそれは、飛んでくる弓矢もろとも、盗賊団もイバンもディータも、一緒に戦う乗客たちも、空高く巻き上げる。
「あ」
「だからお前は、加減を覚えろ!」
イバンはその空中で首領の背後を取り、その刀身は男の首を捕らえた。
ディータは魔法で、全員をゆっくりと着地させる。
朝日が昇り始めた。
「さぁ、お終いだ。どうする?」
主にフィノーラの誤爆によって、擦り傷だらけになったイバンは、首領に迫った。
辺りにはまだ、無数の盗賊団が残っている。
「どうするも何も、俺が死んでも仲間はまだ生きてる。ここで首を斬ったところで、あいつらが襲ってくるだけだぞ」
「先を急ごうぜ、イバン。盗賊団の行く末なんて、知ったこっちゃねぇよ」
「そういうワケにはいかん!」
ディータとイバンがにらみ合う。
「じゃあどうすんだよ」
この三人はともかく、これ以上乗客たちが戦うのは無理だ。
長引けば怪我人どころか、死人がでる可能性がある。
「ねぇナバロ。何とかして!」
朝日を浴びて、車輪に取り憑いていたゼリーが溶け始めた。
「なんだ。太陽の光で溶けるのか……」
マジックアイテムの仕組みとしては、簡単なものだ。
簡単過ぎてそこに気づかなかった。
盗賊団にしても、このアイテムが解除されると同時に、引き上げるタイミングか。
襲って手に入れた馬車だって、最低でも朝日の昇るこのタイミングくらいでは、移動させたいしな。
そんなことにも、俺は気づかなかった。
「そういうことかよ。案外つまんなかったな」
「ねぇ、ナバロ!」
「分かってるよ」
顔を上げる。
とは言ったものの、土手上にはまだ、二、三十の騎馬隊と歩兵がいる。
隙を見て逃げ出すつもりだ。
「面倒だな」
俺は少し考えてから、印を結ぶ。
『最大暴風風起こし!』
草原の空気が、ガツンと揺らめいた。
地面から湧き上がる風が、盗賊団を巻き上げる。
全てを捕らえた風は、馬と人間をきれいに分離し着地させた。
『この地に生える草の根よ。ここで多くの血を流した者たちを、捕らえて放すな』
足元の草がシュルシュルと勢いよく伸び、盗賊たちの体を締め上げる。
馬はそのまま逃げ出していった。
「魔法ってのは、こうやって使うんだよ。フィノーラ」
「フン。だからなに」
きっと今は、こうするのが正解なのだろう。
他に方法はたくさんあっても、そうじゃないような気がする。
イバンはようやく、その剣を鞘に収めた。
朝日を受け、草原はキラキラと輝く。
盗賊たちが逃げだそうと、もがけばもがくほど、しっかりと伸びて絡みつく葉に、彼はため息をついた。
「やはり魔道士の力というのは、恐ろしいものだな」
「そうだね。本当はもっと、単純でいいやり方はあると思うんだけど……」
「いや。これで十分だよ」
イバンは笑った。
後続の駅馬車が、俺たちを追い抜いてゆく。
グレティウスへ金や資材を運ぶ貨物便だ。
聖騎士団の剣士ではないが、傭兵が二人ついている。
「ねぇ、本当の盗賊団の狙いは、こっちだったんじゃないの?」
「だとしたらフィノーラ、俺たちは全員皆殺しだったな。お前は売られてたかも」
ディータはウインクを飛ばす。
捕らえた盗賊たちを片付けに来るよう、先に行く貨物便の御者に、イバンは伝言を頼んでいた。
「これで、チェノス聖騎士団の手柄になるはずだ」
ようやく馬車は動き始めた。
俺はイバンと二人、木箱の背の踏み台に腰をかけ、背後の安全を見ている。
朝日に揺れる森の木々が、絶え間なく後方に流れてゆく。
「……。あれは、イバンの手柄じゃなくてもよかったのか?」
「この街道が、誰もが安全に使えるようになることが、私にとっての一番の喜びだからな」
そう言って目を閉じる。
傷だらけになった、その端正な横顔を見上げた。
この男は、本気でそんなことを思っているのだろうか。
「報奨金が出たかもしれないのに? そしたら、聖剣士の格もきっと昇格したぞ? どうしてそれをアピールしないんだ?」
「はは。それなら、確かにそうしてもよかったけどな。いずれにしろ、私はいま、休暇中なんだよ」
イバンはうっすらと目を開けると、流れてゆく景色をぼんやりと見ている。
「たまにはそんなことがあっても、いいと思わないか?」
彼は静かに微笑むと、その大きな手で俺の頭をグッと掴み、くしゃりと撫でた。
「ナバロは本当に強い魔力の持ち主だな。きっといい魔道士になる」
この俺が? いい魔道士?
冗談じゃない。
駅馬車は街道を進んで行く。
日が昇る頃には、大きな聖騎士団の部隊とすれ違った。
ご大層な装備に武器までしっかり揃え、まるでこれから魔王城へでも乗り込んでいくみたいだ。
あの呪いは、聖騎士団の鎧を身に纏ったものが触れると、解けるようにしてある。
きっとあいつらは、これから聖騎士団に酷い目に合わされるのだろう。
荷馬車はようやく、グレティウス手前のチェノスへ入った。
駅馬車を降りる。
「今回は本当に助かったよ。よい旅を」
「あんたらがいてよかったわ。ありがとうね」
数日を共にしただけの、素性も分からぬ乗客たちが、次々と俺たちに礼を言っては去ってゆく。
「なぜ礼を言って行くんだ?」
「挨拶だよ」
ディータはそう言った。
どこだって土埃の舞う、ごちゃごちゃと落ち着かない停車場だ。
「みんなお前に感謝してる」
「俺に? それは違うだろ」
「そんなことはないさ」
「感謝が挨拶なのか?」
「そうだ」
乗客たちがようやく見えなくなると、ディータの手は俺の手を握る。
「よそ見してると、迷子になるぞ」
それでも俺は、どこまでも子供扱いだ。
停車場を出る。
チェノスはグレティウスへ向かう街道と、首都ライノルトへ向かう街道を結ぶ交易都市だ。
遙か東には、遠く連なる黒い山脈が見える。
その麓には、かつての俺の居城がある。
「イバンとはここでお別れね」
停車場の近くにある、聖騎士団の事務所前で立ち止まる。
聖剣士であるイバンには、グレティウス行きの通行許可証はすぐに発行されるが、俺たちのような平民は、審査を受けないことには中に入れない。
「悪夢の調査隊に入るんだろ?」
ディータはイバンに言った。
「見つけたら、ちょっとくらいカスめといて、俺にもくれ」
「休暇中の暇潰しだよ。本気で見つけられるとは、思っていない」
「すぐに追いつくわ。グレティウスに入る。そして宝を見つける」
フィノーラのその言葉に、イバンは笑った。
「はは。だとしたら、君たちも立派な犯罪者になるな」
その背後が、急に騒がしくなった。
振り返ると、街道で俺たちを襲った盗賊団が、荷馬車に乗せられ運ばれている。
鋼鉄の檻に入れられ、両手両足を鎖に繋がれていた。
俺たちが草原で捕らえた時に比べ、あちこちが打たれ傷つき血を流している。
首領の男と目が合った。
男はギロリと強い視線をこちらに向けた。
そのまま、何も発することなく運ばれてゆく。
「草地に繋がれ身動き取れなくなって、逆に襲われたか」
「仕方ないわよ。今まで自分がしてきたことが、返ってきただけだわ」
「これからは、正当な裁判と刑が待っている。己の犯した罪の報いを受け、それを償うといい」
彼らはあのだだっ広い草原に繋がれ、何をされ、何を見たのだろうか。
「大罪は、大罪だからな」
そう言った俺を、イバンは見下ろした。
「休暇が終われば、私はルーベンに戻る。お嬢さまはお前を心配している。気が向いたら、顔を見せてやってくれないか」
「あのキレイで頭の弱いお嬢さまね」
フィノーラはフンと鼻で笑った。
「反吐が出るわ」
「お前のことも、心配しておられたぞ」
イバンは静かに微笑む。
「じゃあな。健闘を祈る」
聖騎士団専用の停車場に、グレティウス行きの馬車が待機していた。
イバンはそこへ向かう。
各地から集まってきた悪夢捜査隊の志願者で、ごったがえしている。
野外に机を出しただけの受付に、イバンは懐から出した、何かの書類を渡す。
それを受け取った聖騎士団の剣士は、顔を上げた。
「一人で来たのか? 他の志願者はどうした。いないのか?」
「他の志願者を連れてきてもよかったのか。審査があるのでは?」
「中央議会から、特別要請が出てる。今月いっぱいは聖騎士団団員の推薦があれば、それに同行するかぎり、期間限定で調査隊入隊が認められるんですよ」
そう言った男は、ひょいと首をのぞかせた。
「そこにいる魔道士たちは、一緒じゃないのか?」
イバンは俺たちを振り返った。
その目と目と目があう。
「い……、一緒です!」
「そうです! 私たちも行きます!」
ディータとフィノーラが、同時に叫ぶ。
「あー。その子も、聖騎士団予備隊入隊志願者なのかな? 社会見学代わりに、参加ということで、いいのかな?」
「え……、えっと……」
「そうです。私が指導しています」
イバンの手が、俺の肩に乗った。
「私が彼の後見人です」
「じゃ、どうぞ」
イバンの持参した志願者名簿に、俺たちはサインする。
「いいボランティア経験になりましたね。よい休暇を!」
書類にドンと朱印が押される。
俺たちは、グレティウス行きの馬車に飛び乗った。
聖騎士団の立派な馬車に揺られ、俺たちはグレティウスへ向かっている。
「あははは! 聖騎士団の馬車に乗るのは、これで二回目だよなぁ、なぁナバロ!」
ディータは上機嫌で、俺の背中をバシバシと叩く。
フィノーラは初めてなのか、少し緊張気味だ。
「あんたは何度も乗ってんじゃないの?」
「ディータ! 君は聖騎士団の関係者だったのか?」
驚くイバンに、フィノーラは腹を抱えて笑い出す。
「関係者もなにも、連行されてく専門だけどねぇ!」
昨日まで乗っていた、木箱同様の駅馬車とは大違いだ。
革張りのベンチに、車体にはクッションがついている。
車内における荷物置き場もあれば、小物入れまであって、個別に仕切れるカーテンもついていた。
しかも乗客は俺たち四人だけときたもんだから、やりたい放題だ。
「俺は捕まりたくて、捕まってたんじゃねぇよ!」
フィノーラは笑い転げ、イバンは頭を抱えて、ため息をつく。
「ルーベンを出てから、君たちは一体、何をやっていたんだ……」
「ま、とにかくあんたがいま、休暇中で助かったぜ」
「職場復帰したら、驚くかもよ~」
イバンはもう、色々と考えることを諦めたらしい。
「少し眠ろう。明日の昼前には、グレティウスに到着するはずだ」
石畳の、とても丁寧に整備された街道を進む。
イバンの言った通り、車内がムッと暖まってくる頃には、窓の風景が変わり果てていた。
「起きろ、ナバロ。これがグレティウスだ」
その街の大きさに、俺は目を見張った。
急斜面いっぱいに、ぎゅうぎゅうと細い三角屋根の、赤や青、色とりどりの塔が建ち並ぶ。
みんな魔道士特有の家の作りだ。
かまどで煮立った薬草スープが、あちこちで煙を上げている。
壁や路上を問わず、そこかしこに魔方陣が描かれ、俺と同じくらいの子供が、魔法の練習をしていた。
火を吹き、水を泳がせ、風に乗り空を飛んでいる。
あちこちから魔法の匂いがした。
これでは気配もなにも、まるで分からない。
高価なはずの魔法石の結晶が、飾り物のように彫刻され、それはまるで生きているかのように動いていた。
「あんな魔法、どうやって仕掛けたんだ?」
「ここが、かつて恐怖と死の大地だった、大魔王の王城跡だとは思えないだろ? 大魔道士エルグリムの残した魔力の結晶が、あちこちに残っているんだ」
ディータはその目を輝かせていた。
「それを掘り出して、加工している。ヤツの犯した罪は大きいが、残した功績もでかい」
「そんなことを言ってる魔道士は、お前ぐらいじゃないのか。ディータ」
イバンの目が光った。
「ここではその名を口にするな。禁句だ」
「関係ないね。死んだヤツに、なにが出来る」
「まだ中央議会は、死んだと認めていない。正式な処刑発表が出るまで、ヤツは生きている」
「フン。だから再びこの地に現れる前に、見つけ出して先に奪っちまおうっていうんだろ? エルグリムの悪夢、大魔王の力の結晶を!」
ごちゃごちゃとしたカラフルな街並みの向こうに、真っ黒な巨城がそびえ立つ。
「それって、盗賊のやってることと、同じじゃねぇのか?」
「グレティウス産の魔法石は、とても質がいいもの」
フィノーラはため息をつく。
「人間だったエルグリムが、魔法石から魔力に変化させたものだもの。そりゃ他の魔道士たちにとっても、使いやすいし馴染みもいいわ。めちゃくちゃ高いけど」
「しかもエルグリム本人の力で、磨き上げられている。精製される精度が違うんだ。未だにそれを越えることは、誰も出来ない。その遺産を掘り出して売った金で、この街がこれだけ発展したんだ。しかもその売り上げの一部は、中央議会の懐に入り込む」
「結局、やってることは、魔王とほとんど変わらないじゃない」
「それは違う。それは違うぞ、フィノーラ」
イバンはゆっくりと口を開いた。
「俺たちはもう二度と、魔王の復活を望まない。だからこうして分け合い、助け合うんだ」
「ユファがそうなる可能性は?」
フィノーラの言葉に、イバンは彼女をギロリとにらみつけた。
慌てたディータが間に入る。
「まぁまぁ落ち着けって。俺たちは悪夢を探しに来た。それだけだ。な、そうだろ?」
「世界の平和と安全のために」
「そんなもの、ぶち壊してやるわ。もう誰にも世界を、好き勝手させない」
「だってさ、ナバロ」
ディータは俺を抱き寄せる。
「まぁ見とけって。もう二度と、お目にかかれない光景かもしれないぞ」
気分が悪くなるほど、平和な光景だ。
ここにはこんな、のどかな風景は似合わない。
俺の居た場所だ。
街に入ってから、あらゆるところにかけられている魔除けの結界が強い。
このままでは俺の身が溶けそうだ。
身を守る魔法をかける。
馬車が止まった。
聖騎士団本部は、魔王城入り口の、すぐ脇に建てられていた。
実に不愉快かつ皮肉なものだな。
こんなものが、あの美しかった庭園を破壊し、その後に建てられたのか。
俺たちは手続きを済ますと、本部奥にある宿舎に案内された。
「今夜はここで、ゆっくり休んでくれ。明日は早朝からガイダンスがある。その後、携帯品と武器の支給を受けたら、さっそく探索の始まりだ」
朝になり、大会議室に集められた俺たちは、悪夢捜索に当たっての、丁寧な説明と注意事項を受けた。
エルグリム復活の兆を受けた中央議会の方針により、エルグリム本人の捜索と、悪夢の安全確保が最優先課題となっているらしい。
「フン。ここじゃ『悪夢』じゃなくて、『残余』と言わせるんだな」
ディータは鼻で笑った。
「間違った表現ではないだろう。ある意味、それは奴の片割れであり体の一部だ」
「つまり、それが残っている限り、魔王の復活はあり得るってことなんでしょ。だったら活用だとか何とか言ってる前に、さっさと壊せばいいのよ」
「金になるって分かったからね。この街の発展を見てみろよ。魔王の残した金塊で、大もうけだ。この残余って、後で復活した大王に、返せとか訴えられねぇのかな」
「魔物たちに能力を分け与えていた方法が、これに近いものだったようだ。他者に能力を分け与え、支配する。最低なやり方だな」
「別にいいじゃねぇか。能力だろうがカネだろうが、やってることは俺たちと変わりねぇ。それでイイ思いしてる人間がいるってだけだろう。今も昔も」
そう言ったディータを、イバンはギロリとにらむ。
「それは、中央議会への批判か?」
「イんや! 俺は自分が楽しけりゃ、後はどうだっていいんだ。常に強い方、勝ってる方につく。それだけだ」
「行くぞ。ナバロ」
イバンは立ち上がった。
俺の肩に一度手を置いてから、先に歩き出す。
いつの間にかガイダンスは終了し、支給武器の受け取りのために、人が流れ始めていた。
「子供用の武器があればいいんだがな」
武器庫前では、聖騎士団専用の支給武器が、ずらりと並んでいた。
イバンはその中から、予備隊の剣を選ぶ。
「そういえば、あれから剣の訓練を続けているか?」
俺は首を横に振った。
これは訓練用の武器なのだろうか。
随分使い込まれているが、しっかりと整備され、ご丁寧に加護までついている。
「……。あのメンバーの中じゃ、それは出来ないか」
イバンは子供用の剣を手に取ると、丹念に一本一本、その刃先を確認している。
「魔道士の体質を持って生まれてくることは、それは恵まれたことだ。だけどもしあの魔王に、剣の腕があったらどうだったのだろうと、私は思うのだよ。それは単純に、私が剣士だからかもしれない。だから余計に、そんなことを考えるのかもな」
「魔王は剣士に敗れたから」
俺はイバンを見上げる。
「きっと魔道士より、剣士の方が強いよ。だって、大魔王エルグリムを倒した勇者スアレスさまは、剣士だったもの」
「そうだな」
イバンの大きな手が、俺の頭をしっかりと撫でる。
「お前が心配することは、何もない。これは大人の問題だ。未来にツケは残さない。そのために私たちがここにいる」
「俺もここにいるのに?」
「はは、そうだったな。ナバロも立派な、調査隊の一員だ」
調査期間は、十日で一区切りとされていた。
一度に携帯できる食料の問題と、悪夢を我がものにせんとするヤカラを排するための他、経過報告など、色々理屈があるようだ。
コンパクトにまとめられた携帯備品を受け取る。
「十日で本当に見つけられると、思ってるのかしらね? 中央議会はやる気あんの?」
フィノーラは、ナイフ状の双剣を背に担いでいる。
またよりにもよって、乱暴な武器を選んだものだ。
「ローラー作戦だ。代表者に地図が配られている。人員を増やして、担当地区を手分けし、くまなく捜索するんだ」
ディータはライフルを肩にかけてた。
「どっちにしろ、先に見つけたモン勝ちだろ。報奨金を手にするか、砕いて持ち去るか」
「ハンマーは私が持っている」
それは聖騎士団の団員だけが持てる、特殊なハンマーだった。
大賢者ユファの祝福が与えられたハンマーで、悪夢を打ち砕くことの出来る、唯一のマジックアイテムだという。
「とにかく、十日で与えられた範囲を調査する。準備は出来たか? 出発だ!」
空を見上げる。
青く高く澄んだ空に、闇よりも黒く巨城がそびえ立つ。
俺たちはそこへ向かって、侵入を開始した。
削り出した岩の形を、そのまま生かした巨城の中へ入ってゆく。
結界がさらに強化されている。
俺は自分の身を保つための魔法を強化した。
そうでなければ、このまま中には入れない。
すぐにでも体が溶け出しそうだ。
城周辺の施設は跡形もなく破壊されていたが、内部は比較的、そのままに残されているようだった。
まぁ、どこに悪夢が隠されているのか分からないのだから、仕方ないか。
磨き上げられた黒い床石は、歩き回るザコどものせいで、すっかりくすんでいる。
そのエントランスにあたる大ホールを、ディータとフィノーラは見上げた。
「すっげぇな。なんだこのホール!」
「天上は吹き抜けになってるのね」
「巨大なドラゴンやモンスターたちが、ひっきりなしに出入りしていたんだ。比較的間口は、広く作られていたんだよ」
ここへ初めて、フレアドラゴンを連れ込んだ時は楽しかったな。
鎖に繋ぎ引きずられ、大暴れしたんだ。
おかげで装飾の何もかもが壊され、以来ずっとそのままだ。
散々見世物にして楽しんだ後で、なぶり殺した。
あの時の恨めしそうな目は、いまだに覚えている。
あの怒りと苦しみに満ちた目は、アイツが一番だった。
それにしても聖騎士団のやつらも、ついでに壁の壊れたところも、直しておいてくれればいいのに。
コイツら、そういうことはしないんだなぁ。
「計画的なのか全くの考えなしか。この山脈の中といい地下といい、全てが複雑なダンジョンになっていて、未だにその全てが攻略されていない。与えられた地図は、現在分かっているところまでのものだ。俺たちの指命は、このダンジョンの全貌解明でもある」
「なんで大賢者ユファさまは、直接捜索しないんだ? その方が早いだろ」
「お忙しい方なんだ。他にやるべきことが、沢山おありになる」
フン。そうか。
ということは、本当にまだ悪夢は見つかっていないし、そこにかけておいた術も、解かれていないということだ。
だからユファと生き残ったかつての仲間たちは、この城に入れない。
「気分は悪くない?」
フィノーラが話しかけてくる。
「ここの空気、確かに悪いわ。エルグリムはまだ死んでない、滅んでないって、ようやく分かった。ここに来た今なら、それが理解できる」
「だよな。ここにはまだ、魔王の力が残っている。これこそが確かな、生きている証だ」
黒い城内に、外からの光りが降り注ぐ。
俺はようやく居城に戻ってきた感激に、全身が震えている。
この城は、俺とその仲間たちで造ったんだ。
地下のダンジョンも、ほぼ覚えている。
「なんだナバロ。怖ぇのか?」
ディータの言葉に、イバンは微笑む。
「恐れることはない。ここに魔王はいない。私たちといれば、絶対に大丈夫だ」
「そうだね、イバン。みんなと一緒に居れば、きっと大丈夫だ」
通路には、所々にロープが張られていた。
地図を見ると、シロと判断された所を区切っているらしい。
その案内に従って、奥へ奥へと進む。
「こんな大きな城で、エルグリムは一人で暮らしていたのかしら」
「常に大勢の魔物たちが仕えていた。今、グレティウスで採れる魔法石は、全てその魔物たちに与えられていた魔力が、石化したものだと言われている」
「だとしたら、本当に凄い魔力の持ち主だったんだな。人間じゃねぇ」
「血の通った人間は、何百年も生きたりはしないし、あんな残酷非道な真似も出来ない」
黒い城の、城下町を見下ろす通路を抜け、野外の崖上に設置された祭壇横を通る。
空に突き出たその場所には、灯籠と台座がまだ残されていた。
「ここが処刑場跡だ」
「最悪。何人もの人が殺されたんでしょう?」
「何百、何千って話しじゃなかったか?」
「かつてこの地に繁栄した国王にその妃たち、王子、王女、王族に並ぶ騎士や貴族たち。僧侶や名だたる名君も、戦士たちも全て、ここで殺され魔物たちに生け贄として与えられた」
「酷い」
「まだ流された血の跡が残っているんだな」
泣いて命乞いをする者、寝返りを誓う者、歯を食いしばり、苦痛と恐怖に耐える者。
色々だ。
滴り落ちた血はそこから崖を伝い、流れる川を赤く染めた。
「つーか、武器の携帯が必要ってことは、まだ魔物が潜んでるってことか?」
「ガイダンスをちゃんと聞いていなかったのか。報告数は少ないが、ゼロではない。怪我人や死者も出ている」
「悪夢発見の内部抗争じゃなくて?」
ディータはそう言って、ニヤリと口角を上げる。
イバンはそれを無視し、淡々と答えた。
「発見の報告はまだない。そこに悪夢はなかったし、討伐されたモンスターの死骸も回収されている。ここに残る魔力の残余が、それらを呼び寄せているんだ」
俺自身が自分の体を保つのさえやっとなんだ。
他の魔物たちは、とうていこの結界の中には入れまい。
さらに奥へと進む。
かつて舞踏会が開かれた大広間を横切り、美術品をいくつも並べた展示室脇を通る。
そこに飾られていたはずの、かつての国王たちの頭蓋骨や宝剣は、すでにない。
あの光り輝く宝石や王冠、首飾りはどうした?
まさか全て処分されたとも考えにくい。
ユファどもが奪ったのか?
あの白くピカピカと光る、新しい立派な中央議会の館へ、移されたのか……。
「どうした、ナバロ?」
イバンの問いかけに、我に返る。
気づけばフィノーラとディータも、じっとこっちを見ていた。
「いや、何でもない」
再び歩き出す。
大食堂から厨房を抜け、控えの間の、前を通った。
地図を頼りに進むイバンが、廊下の角を曲がる。
「こっちは?」
俺が指で示した方向には、規制線のロープが張られていた。
分からないように何重にもマジックバリアまで仕掛けられていて、随分ご大層に侵入を禁止している。
「そこは……。なんだろうな。地図でも立ち入り禁止区域に指定されている。過去になにか、事件があったのかもしれない」
その言葉に、フィノーラの顔に不安がよぎる。
「モンスターが出たとか?」
「殺された兵士たちの、怨霊なのかもしれないぜ。ナバロには分かるか?」
ディータは俺を振り返った。
「いや……。イバンに聞けよ」
「私にも、そこまでは分からない。先を急ごう。この城はとてつもなく広い」
図書館だ。
この先には、世界各国から集めた、様々な書物や珍しい資料を集めた博物館もあった。
確かにそれらには一つ一つ魔法をかけ、持ち出されないようにはしていたが、それはさっき見た宝石類に関しても同じことだ。
なのにここだけを封じているとは、どういうことだ?
残っていた備品や装飾品は跡形もないのに……。
もしかして、そのままにされている?
すぐにでも行って確かめたいが、今はそれが出来ない。
魔力を使う、余力がない。
奪われたものの大きさに、ギリギリと歯を食いしばる。
「……。なにもかも、全て取り戻すんだ……」
「そうよ、ナバロ。私たちはもう、誰にも支配されない。奪われない」
「大魔王の息の根を、完全に止めるためにここまで来たんだ」
フィノーラは決意を固め、ディータはニヤリと微笑む。
イバンは力強くうなずいた。
「その通りだよ、ナバロ」
さらに奥へと進む。
イバンの地図を見ると、俺のプライベートゾーンだった場所は、立ち入り禁止区域に指定されていた。
あの快適で過ごしやすかった俺の部屋は、どうなっているのか。
捕らえて飼っていたお気に入りの人魚やハルピュイアたちも、聖騎士団に皆殺しか?
ようやく城を抜け、尾根に入る。
ここからが本当の保管庫であり、勝手に住み着いたモンスターたちが作ったダンジョンだ。
俺ですらその全貌を知らない。
「ようやく調査対象地域に入ったぞ」
真っ暗な山の中だ。宿舎を出発してから、もう数時間が経っていた。
「ここで一旦、休憩にしよう」
支給品の携帯食料で、簡単な昼食を済ます。
魔力で焚いた火の灯りで、イバンは地図を広げた。
「ここまでは魔王城の、いわゆる表の面を通ってきた。建物の中では、外交的な部分だ。ここからは本当のダンジョンに入る。通路が整備されているところもあれば、そうでないところもあるようだ。俺たちが調査するのは、ここだ」
ダンジョンの入り口に当たる現在地からは、まだ距離がある。
「迷路が完全に攻略されている階から、三つ下層に降りる。この階にあるこの扉の向こうが、まだ未調査で地図も完成されていない。それを調べるのが、俺たちの仕事だ」
「今日中にその扉までたどり着ける?」
「何とかたどり着けるだろう。ここまで行って、そこで今夜は休むとしよう。明日からは本格的な調査だ」
フィノーラは水筒から水を飲む。
「なんだか、気味が悪いわ」
「魔王城の中にいるんだ。平気な奴なんているかよ」
支給品の松明に明かりを灯す。
マジックライトだ。
これで暗闇に悩まされることなく、地下ダンジョンを歩ける。
イバンの持っている地図は、俺のみる限りでも正確なものだった。
各階に仕掛けられた罠も、全て解除されている。
俺たちは見えない橋を渡り、隠し通路を抜け、落とし穴を回避しながら、順調に先へと進む。
「ここだ」
ようやく行きついた通路の先に、それを塞ぐ大きな扉があった。
ディータがそれをこじ開けようとしても、固く閉じられていて、開かない。
「まさか、この扉を開けるのも、ミッションって言うんじゃねぇだろうな」
「鍵はある」
イバンがそれを差し込むと、スッと扉は開いた。
禍々しい風が、奥の闇から吹きつける。
その臭いに、全身の毛が逆立った。
「ねぇ、やっぱちょっと閉じとこうよ」
「そ、そうだな……」
ディータまでもが、その空気に恐れている。
彼らはすぐにその扉を閉じた。
イバンはその仕掛けを、丹念に調べている。
「とんでもない所まで来ちまったなぁ。一度閉じたら、また鍵がないと開かないんだろ?」
「どうやらそのようだ。この付近で魔物の出現は報告されていない。全て駆逐済みだそうだ。結界も張られている。だがこの扉の先には、その保証はない。ゆっくり休めるのは、ここまでだ」
「最悪ね。こんなところで寝るはめになるなんて」
松明の明かりはつけたまま、各々が毛布にくるまる。
俺はなぜか他の三人と同様に、なかなか寝付けずにいた。
本当に久しぶりに、ぐっすりと眠れるはずなのに……。
「眠れないの?」
フィノーラの声に、俺は頭から毛布を被る。
「ナバロ、辛いんだったら、辛いとそう言え」
イバンの目が、じっと俺を見ている。
「もしかして、怖ぇのか?」
「そんなこと、あるわけないだろ」
俺には分かる。
ナルマナの団城よりも、さらに強くその臭いを感じている。
ここに残る自分の臭いと、その臭気に満たされたかつての仲間たちが、このすぐ足元に眠っている。
俺の城だ。
復活の時を、生き残ったあらゆる者たちが待っている。
聖騎士団によってかけられている、この強固な結界も、一切問題にならない。
俺は身を保つ魔法を、もう一度強化する。
明日にはいよいよ、その時が来る。
翌日になって旅支度が整うと、もう一度イバンはその扉を開いた。
マジックライトである松明で照らしてみても、数メートル先までしかその光は届かない。
「どうやって調べるんだよ」
ディータはため息をついた。
「全員で松明を灯してくれ。互いに目に見える範囲で、ダンジョンを行き交い、ゆっくりでいいから、確実に地図を完成させて行こう。手間はかかるが、この灯りが灯る範囲は安全だ。もし消えたら、すぐに戻ってくれ。それが仲間と離れ過ぎているという、危険信号にもなる。近づけば、また火は灯る」
「安全には変えられないものね。分かったわ」
「モンスターには注意して。あと、罠や仕掛けにもな。何かあっても、簡単に暴れるなよ、フィノーラ」
「分かってるわよ」
「では、行こう」
なんて面倒な作業を始めるつもりだ。
こんなことをしているから、俺が死んだ後、十年経っても悪夢を見つけられないワケだ。
やってられるか。
隠し場所まで、まだまだ遠い。
「俺はこっちを見に行ってみてもいい?」
松明を片手に、一人奥へと進む。
「それは構わないが……。ナバロ、あまり遠くへは行くなよ」
イバンの険しい目が、じっと俺を見つめる。
「当たり前じゃないか。こんなところまで来て、誰がそんなヘマをするかよ」
フラリと歩き始める。
ようやくここまで来た。
これで本当のお別れだ。
ご苦労だったな。
ここまで安全に俺を連れてきたことを、後悔するといい。
「遠くへはいかないよ。うん。分かってる……」
ここは俺の城、俺の造り出した迷宮、俺の闇だ。
こんなところ、目をつぶっていたって通れるさ。
悪夢が俺を歓迎し、こんなにも呼んでいるのが、どうしてあいつらには分からないのだろう。
手にした松明の灯りが消えた。
俺はそれを床に落とす。
離れたら消える仕掛けだって?
消えたら戻ってこい?
バカバカしい。
俺はこんなにも、彼らと離れたがっているのに……。
「どうした、ナバロ。灯りが消えたぞ、戻ってこい!」
イバンの声が聞こえる。
すぐ目の前に、吹き抜けとなっている暗闇が、口を開けていた。
通路から足を踏み外すと、階下に落ちる落とし穴だ。
ちょうどいい。
ここから一気に、下層階まで行ってしまおう。
多少の遠回りにはなるが、その方が奴らを巻く手間は省ける。
「すぐ行くよ。待ってて」
そう返事をして、俺はその闇へ踏み出した。