ナルマナからダラダラと歩いてたどり着いたこの街からも、グレティウスはまだ遠い。
そこへ直接向かう定期便の駅馬車はなく、近くのチェノスまで行く便に空きを見つけた。
「グレティウスの手前の街だ。そこから入るより他ないな」
イバンの言葉に、ディータはフンと鼻を鳴らす。
「聖剣士さまっつっても、こんなもんか。直行便に空きを作れるかと思ったぜ」
「私は今、休暇中だと言っただろ」
イバンは俺とフィノーラに切符を渡すと、最後にディータにそれを差し出した。
「嫌ならどうする?」
「お前にコイツらを任せられるかよ」
「ならよかった」
乗客は俺たちの他に八人。
二人の御者を含めると、十四人のパーティーだ。
四、五十代の女性の一人客もいれば、まだ若い男もいる。
その中でも、俺は最年少のようだった。
特に剣士だと思われるような連中も、魔法の臭いを漂わせる者もいない。
ごく一般的な乗客たちだ。
聖剣士と一目で分かるイバンと同行していることで、俺たちは多大な信用を得ていた。
なんとも理不尽な世の中だ。
停車場の隅に停まっていた駅馬車の、木箱のような荷台に直接腰を下ろす。
人を乗せて運ぶ馬車としては、最低ランクだ。
「こんな安っすい馬車で荷物のように運ばれて、二十日以上の旅をしろって?」
「一番早いものを言ったのは、君たちだが?」
「お前が急ぐんだったろ?」
「私はこれで十分だ」
狭い木箱の中に、ぎゅうぎゅうに詰め込まれる。
ディータはそれを見て、木箱の屋根に飛び乗った。
「俺はここでいい。雨さえ降らなきゃ、ここが一番だ」
「好きにしろ。振り落とされるなよ」
俺はフィノーラとイバンに挟まれて、居心地がいいのか悪いのか分からない。
「ナバロは……。元気にしていたのか?」
不意に、イバンが声をかけた。
「ビビさまがとても心配していた。おかげで随分と元気になられて。みな感謝している」
「……。魔法石の礼だ」
「フフ。そういうことだったのか……」
イバンは木の板に背を預けると、顔を上げ目を閉じた。
「魔法が使えるというのも、いいもんだな。私自身は、それを不便に思ったことはあまりないが」
「お前は、簡単な魔法しか使えないからだ」
「きっと魔道士になれる体質だったとしても、私は剣士になっただろうよ」
御者の合図で、馬車は動き出した。
乗り心地もクソもあったようなものじゃない馬車だが、文句は言えない。
長い道のりが始まった。
初めは互いに距離のあった乗客同士にも、旅程が進むにつれ、次第に会話も生まれてくる。
ぬかるみにはまった馬車を押したり、時には食事も分け合った。
急な坂では馬の負担を減らすため荷台から降り、道を歩く。
縮こまった体に、外の世界は開放感にあふれていた。
「なぁ、俺も屋根に上がっていいか?」
イバンとフィノーラの反対をよそに、そう言った俺をディータは屋根に上げた。
夜には寒さと揺れが一段と酷くなったが、流れてゆく星空を見上げていられるのは悪くない。
「やっと半分まで来たな」
ディータはつぶやいた。
すっかり聞き慣れた車輪の音に、そっと目を閉じる。
「なぁナバロ。グレティウスに着いたら、俺は商売でも始めようかと思うんだ」
「商売? 悪夢を探すんじゃなかったのか」
「はは。それも探すには探すけど、グレティウスは今や、ただの魔王城じゃねぇ、一大商業都市だ。魔法関連の道具が飛び交う、特別自治区なんだよ」
「入れないのは、悪夢のせいだけじゃないってこと?」
「そうだ。俺も昔、一度だけ行ったことがある。本当に通り抜けただけみたいなもんだったが、そりゃあもう、凄いところだぞ」
俺がそこに住んでいたころは、ただただ広がる広大な荒れ野に、毒沼が点在しているような土地だった。
その荒野を囲うように、草木も生えない死した山脈が続き、その岩根を削り出して城を造った。
硬い岩盤をくりぬき、いくつもの塔をたて櫓を構えた。
日の当たらない地下の広間には、黒く冷たい一枚岩を魔法石で磨きあげ、そこで沢山の者を処刑した。
命を乞う者がひざまずく玉座の前は、そこだけがうっすらとへこんでいたっけ。
「そういえば、もう魔力は回復したか?」
「いや。体力は戻ったけど、それ以上はあんまり……」
ディータは暗闇の中、ゴソゴソとポケットから小瓶を取りだす。
「さっき止まった休憩所で手に入れたんだ。ほら、あの後から入ってきた、グレティウスへ向かうという積み荷の連中さ。それほどいいものじゃないが、ないよりはましだ」
受け取ったその魔法薬を飲む。
変に味をつけたそれは、かなり薄めて作られた粗悪品だ。
ディータも同じものを口にすると、走る木箱の上からその空き瓶を投げ捨てる。
「グレティウスに店を構えて、そこを拠点にあちこちを飛び回るんだ。あそこには珍しい品や、聞いたことのない話しがいくらでもある。そうだな、お前にも分かりやすく言えば、冒険の日々ってやつだ」
ディータは楽しそうに笑った。
「ナバロはそういうのに、興味はないのか?」
走り続ける馬車の振動で、全身は絶え間なく揺れている。
流れる星空のその速さは、俺が乗っているこの木箱の進むスピード、そのまんまだ。
「そんな風に思えたら、ずいぶん楽になれただろうな」
ディータはガバリと起き上がった。
「お前さぁ、前からちょっと思ってたんだけど……」
ヒュ!
空気を切り裂く音に、サッと身を屈めた。
闇夜に目をこらす。
街道を挟む草原の奥、その木々の間から、複数の人間が飛び出して来た。
「盗賊だ!」
恐怖に怯えた馬が加速する。
御者はその勢いに任せ、スピードを上げた。
異変に気づいた乗客たちが目を覚ます。
放たれた矢が、木箱の板を撃ち抜いた。
「ディータ!」
「任せろ」
呪文を唱える。
ディータの呪文で、飛んでくる矢は、全て地面に落とされた。
「魔法の臭いがする!」
狙いは馬の足だ。
深い泥沼にでも落ち込んだかのように、四肢を高くあげ、ばたつかせている。
その魔法を解いてやってもいいが、ここは逃げることを選択するより、迎え撃つ方が得策のような気がする。
「ディータは御者と馬を守れ」
ついに、駅馬車の車輪は止まった。
夜風に波打つ草原を、武器を手にした盗賊たちが駆け下りて来て取り囲む。
木箱からイバンが出てきた。
甲冑こそ身に纏っていないものの、聖剣士の紋章が入った剣を、スラリと引き抜く。
「残念だったな。ここに私がいる限り、通行の邪魔はさせない」
俺は呪文を唱える。
閃光弾だ。
『この場を照らせ! 誰の目にも、その姿を隠れなく映し出せ』
打ち上げた光りの球はパッと広がり、煌々と辺りを照らした。
イバンの影が素早く動く。
相手の不意をつく鮮やかな剣さばきは、さすがに聖剣士のものだ。
「フン。銀の星を背負ってるだけのことはあるなぁ。そうたいしてデキは悪くないようだ」
「まぁ、悪くはないと思うね」
「なんだ、ナバロ。知り合いじゃなかったのか?」
「ちゃんと戦うところを見るのは、初めてかも」
ディータはそう言いながら、怯える馬たちをなだめている。
「よしよし、いい子だ。俺がついてる。安心しな」
そのささやくような低い呪文に、馬たちは落ち着きを取り戻した。
俺は木箱の上に腰を下ろしたまま、イバンの様子を見ている。
動こうとしない俺に、ディータが言った。
「……なぁ、あいつ、手伝った方がいいのかな?」
「さぁ。まぁ人数は多いけど、運動不足解消にはいいんじゃないか」
「まぁ、ナバロがそう言うなら……」
「やりたいなら、手伝ってやれば?」
「いや、そういうワケでも……」
ふと、背後からの複数の気配に、俺とディータは振り返った。
盗賊の別働隊が、木箱を狙っている。
「じゃ、俺はこっち」
ディータは腰にあったムチを取りだす。
「魔法は使わないのか?」
「ずっと馬車に乗ってりゃ、体がなまってくるだろ」
ディータのムチがしなる。
それは盗賊の持つ剣を叩き落とした。
「お前はカードに剣に、ムチも拳銃も使うのか。実に器用だな」
「飽きっぽいタチなんでね。ムチは練習中!」
なんだ。 ディータも退屈してただけか。
顔を上げる。
魔法の臭いだ。
ほんのわずかだが、夜風にのって離れた所から臭ってくる。
馬の足を止めた者とは違う、それよりは、強く臭いを感じる。
街道を見下ろす土手の上に、騎馬隊の姿が現れた。
盗賊団の首領を囲む一団か?
鎧兜を身につけ、それなりに武器も揃っている。
その中に、魔道士がいた。
「イバン、屈め」
炎の呪文。
小さな火球が、イバンに向かって飛んだ。
俺は風の呪文を唱える。
刃のように鋭い刃先を持つ一陣の風が、無数のブーメランとなって草原に飛んだ。
とっさに身を屈めたイバンの頭の先を、その風は切り裂き、放たれた火球をかき消す。
伸びた草を刈り取り、隠れていた盗賊の一部も切りつけた。
「魔道士二人に、聖剣士か。その馬車の積み荷はなんだ?」
その盗賊の声に、木箱の扉が開いた。
「もちろん、絶世の美女が山積みよ!」
フィノーラの放つ暴風が、草原を吹き荒らす。
盗賊の幾人かは吹き飛ばされ、馬たちは驚き暴れ出した。
「お前のノーコンは、まだ直ってないのか!」
混乱に乗じて、イバンは目の前の盗賊を切りつける。
「助けに来た相手に向かって、なに失礼なこと言ってんの?」
フィノーラの呪文
。衝撃弾が、敵味方関係なく頭上から降り注ぐ。
「馬が怖がってんだろ!」
ディータが叫んだ。
その馬に近寄る盗賊を、一蹴りで沈める。
盗賊団の一部は、ライフル銃を構えていた。
「フィノーラ!」
シールドを張る。
辛うじて間に合ったそれは、全ての弾丸を弾いた。
「私にケンカ売ろうなんて、上等じゃない」
彼女はそのまま、何かの呪文を唱えている。
その間にも、イバンは木箱に迫る敵を斬り倒した。
「おい、ディータ! お前も手伝え」
「うるせぇ、俺はお馬ちゃんたちの相手で忙しいんだ」
ディータは愛おしそうに、その鼻先を撫でている。
「ゴメンな、驚いただろ? だけど大丈夫だ。俺がいるから安心しな」
フィノーラの放つ暴風は、今度はイバンをも巻き込みよろけさせた。
煽られた盗賊どもは、地面に転がっている。
その様子をみた土手上の連中から、あざ笑う声が響いた。
「あの女を黙らせろ」
魔封じの呪文。
相手の魔道士は、どうやらそこそこ高等な魔法を使える、上級者のようだ。
「悪いがこっちにも、ちゃんとした魔道士はいるんだ」
放たれたその魔法を、俺はそのまま術者に返す。
その魔道士と思われる盗賊は、息苦しそうにもだえたかと思うと、馬からドサリと落ちた。
「数が多いぞ」
生真面目なイバンは、ずっと剣を振り回し続けている。
「だから俺は、そういう頭悪そうな剣士のやり方は、見てて嫌になっちゃうんだよね。やる気が削がれる」
「は? 何を言ってるんだお前」
ディータの言葉に、イバンは彼を振り返った。
「乗客の安全を守るのがお前の役目だろう」
「じゃあお前の役目はなんだ?」
「乗客の安全を守ることだ」
「俺とカブってんじゃん!」
「当たり前だ!」
「意味分かんねー」
フィノーラは勝手に暴風を吹きあらしている。
「ナバロ、暗くなった。もっと明かりを増やして!」
「は~い」
閃光弾。
二つでいい? あ、やっぱ三つにしよう。
それくらい上げておけば、後で文句も言われないだろ。
駅馬車の背後にも敵は迫る。
ディータのカードが、三匹の狼に変わった。
「ハコに戻って、馬車を動かした方がいいんじゃねぇか? もうお馬ちゃんが可哀想だ。おい、イバン。戻って来いよ」
その言葉に、御者はムチを入れた。
しかしそれは、わずかに動いたところで、ガタリと傾く。
「ば、馬車が動きません!」
「おーい。ナバロ~」
魔法の臭いはしない。
俺は木箱に近づいていた盗賊の、口を封じたうえで地面に縫い付ける。
「車輪かな? さっき飛ばしたから、おかしくなったのかもな。お前、見て分かるか?」
「魔法は感じないけど……」
ディータは馬に寄り添ったまま、馬車の足元をのぞき込む。
「あ、本当だ。馬車が止まったのは、魔法のせいじゃない。道路に仕掛けをしてやがった」
「ではやはり、戦わなくてはいけないではないか」
イバンの息が上がり始めている。
「そっちは貴様らで何とかしろ!」
仕方ないなぁ。
俺は屋根から飛び降りた。
ディータは狼を操り、迫る盗賊を倒すことに忙しい。
車輪をのぞき込むと、前後左右に四つある車輪のうち、後輪の二つにべっとりとゼリー状のものが張り付いていた。
「なんだこれ?」
こんなものは見たことがない。
ドロリとした透明な固い粘着質の中に、わずかに緑の結晶が輝く。
そこへ直接向かう定期便の駅馬車はなく、近くのチェノスまで行く便に空きを見つけた。
「グレティウスの手前の街だ。そこから入るより他ないな」
イバンの言葉に、ディータはフンと鼻を鳴らす。
「聖剣士さまっつっても、こんなもんか。直行便に空きを作れるかと思ったぜ」
「私は今、休暇中だと言っただろ」
イバンは俺とフィノーラに切符を渡すと、最後にディータにそれを差し出した。
「嫌ならどうする?」
「お前にコイツらを任せられるかよ」
「ならよかった」
乗客は俺たちの他に八人。
二人の御者を含めると、十四人のパーティーだ。
四、五十代の女性の一人客もいれば、まだ若い男もいる。
その中でも、俺は最年少のようだった。
特に剣士だと思われるような連中も、魔法の臭いを漂わせる者もいない。
ごく一般的な乗客たちだ。
聖剣士と一目で分かるイバンと同行していることで、俺たちは多大な信用を得ていた。
なんとも理不尽な世の中だ。
停車場の隅に停まっていた駅馬車の、木箱のような荷台に直接腰を下ろす。
人を乗せて運ぶ馬車としては、最低ランクだ。
「こんな安っすい馬車で荷物のように運ばれて、二十日以上の旅をしろって?」
「一番早いものを言ったのは、君たちだが?」
「お前が急ぐんだったろ?」
「私はこれで十分だ」
狭い木箱の中に、ぎゅうぎゅうに詰め込まれる。
ディータはそれを見て、木箱の屋根に飛び乗った。
「俺はここでいい。雨さえ降らなきゃ、ここが一番だ」
「好きにしろ。振り落とされるなよ」
俺はフィノーラとイバンに挟まれて、居心地がいいのか悪いのか分からない。
「ナバロは……。元気にしていたのか?」
不意に、イバンが声をかけた。
「ビビさまがとても心配していた。おかげで随分と元気になられて。みな感謝している」
「……。魔法石の礼だ」
「フフ。そういうことだったのか……」
イバンは木の板に背を預けると、顔を上げ目を閉じた。
「魔法が使えるというのも、いいもんだな。私自身は、それを不便に思ったことはあまりないが」
「お前は、簡単な魔法しか使えないからだ」
「きっと魔道士になれる体質だったとしても、私は剣士になっただろうよ」
御者の合図で、馬車は動き出した。
乗り心地もクソもあったようなものじゃない馬車だが、文句は言えない。
長い道のりが始まった。
初めは互いに距離のあった乗客同士にも、旅程が進むにつれ、次第に会話も生まれてくる。
ぬかるみにはまった馬車を押したり、時には食事も分け合った。
急な坂では馬の負担を減らすため荷台から降り、道を歩く。
縮こまった体に、外の世界は開放感にあふれていた。
「なぁ、俺も屋根に上がっていいか?」
イバンとフィノーラの反対をよそに、そう言った俺をディータは屋根に上げた。
夜には寒さと揺れが一段と酷くなったが、流れてゆく星空を見上げていられるのは悪くない。
「やっと半分まで来たな」
ディータはつぶやいた。
すっかり聞き慣れた車輪の音に、そっと目を閉じる。
「なぁナバロ。グレティウスに着いたら、俺は商売でも始めようかと思うんだ」
「商売? 悪夢を探すんじゃなかったのか」
「はは。それも探すには探すけど、グレティウスは今や、ただの魔王城じゃねぇ、一大商業都市だ。魔法関連の道具が飛び交う、特別自治区なんだよ」
「入れないのは、悪夢のせいだけじゃないってこと?」
「そうだ。俺も昔、一度だけ行ったことがある。本当に通り抜けただけみたいなもんだったが、そりゃあもう、凄いところだぞ」
俺がそこに住んでいたころは、ただただ広がる広大な荒れ野に、毒沼が点在しているような土地だった。
その荒野を囲うように、草木も生えない死した山脈が続き、その岩根を削り出して城を造った。
硬い岩盤をくりぬき、いくつもの塔をたて櫓を構えた。
日の当たらない地下の広間には、黒く冷たい一枚岩を魔法石で磨きあげ、そこで沢山の者を処刑した。
命を乞う者がひざまずく玉座の前は、そこだけがうっすらとへこんでいたっけ。
「そういえば、もう魔力は回復したか?」
「いや。体力は戻ったけど、それ以上はあんまり……」
ディータは暗闇の中、ゴソゴソとポケットから小瓶を取りだす。
「さっき止まった休憩所で手に入れたんだ。ほら、あの後から入ってきた、グレティウスへ向かうという積み荷の連中さ。それほどいいものじゃないが、ないよりはましだ」
受け取ったその魔法薬を飲む。
変に味をつけたそれは、かなり薄めて作られた粗悪品だ。
ディータも同じものを口にすると、走る木箱の上からその空き瓶を投げ捨てる。
「グレティウスに店を構えて、そこを拠点にあちこちを飛び回るんだ。あそこには珍しい品や、聞いたことのない話しがいくらでもある。そうだな、お前にも分かりやすく言えば、冒険の日々ってやつだ」
ディータは楽しそうに笑った。
「ナバロはそういうのに、興味はないのか?」
走り続ける馬車の振動で、全身は絶え間なく揺れている。
流れる星空のその速さは、俺が乗っているこの木箱の進むスピード、そのまんまだ。
「そんな風に思えたら、ずいぶん楽になれただろうな」
ディータはガバリと起き上がった。
「お前さぁ、前からちょっと思ってたんだけど……」
ヒュ!
空気を切り裂く音に、サッと身を屈めた。
闇夜に目をこらす。
街道を挟む草原の奥、その木々の間から、複数の人間が飛び出して来た。
「盗賊だ!」
恐怖に怯えた馬が加速する。
御者はその勢いに任せ、スピードを上げた。
異変に気づいた乗客たちが目を覚ます。
放たれた矢が、木箱の板を撃ち抜いた。
「ディータ!」
「任せろ」
呪文を唱える。
ディータの呪文で、飛んでくる矢は、全て地面に落とされた。
「魔法の臭いがする!」
狙いは馬の足だ。
深い泥沼にでも落ち込んだかのように、四肢を高くあげ、ばたつかせている。
その魔法を解いてやってもいいが、ここは逃げることを選択するより、迎え撃つ方が得策のような気がする。
「ディータは御者と馬を守れ」
ついに、駅馬車の車輪は止まった。
夜風に波打つ草原を、武器を手にした盗賊たちが駆け下りて来て取り囲む。
木箱からイバンが出てきた。
甲冑こそ身に纏っていないものの、聖剣士の紋章が入った剣を、スラリと引き抜く。
「残念だったな。ここに私がいる限り、通行の邪魔はさせない」
俺は呪文を唱える。
閃光弾だ。
『この場を照らせ! 誰の目にも、その姿を隠れなく映し出せ』
打ち上げた光りの球はパッと広がり、煌々と辺りを照らした。
イバンの影が素早く動く。
相手の不意をつく鮮やかな剣さばきは、さすがに聖剣士のものだ。
「フン。銀の星を背負ってるだけのことはあるなぁ。そうたいしてデキは悪くないようだ」
「まぁ、悪くはないと思うね」
「なんだ、ナバロ。知り合いじゃなかったのか?」
「ちゃんと戦うところを見るのは、初めてかも」
ディータはそう言いながら、怯える馬たちをなだめている。
「よしよし、いい子だ。俺がついてる。安心しな」
そのささやくような低い呪文に、馬たちは落ち着きを取り戻した。
俺は木箱の上に腰を下ろしたまま、イバンの様子を見ている。
動こうとしない俺に、ディータが言った。
「……なぁ、あいつ、手伝った方がいいのかな?」
「さぁ。まぁ人数は多いけど、運動不足解消にはいいんじゃないか」
「まぁ、ナバロがそう言うなら……」
「やりたいなら、手伝ってやれば?」
「いや、そういうワケでも……」
ふと、背後からの複数の気配に、俺とディータは振り返った。
盗賊の別働隊が、木箱を狙っている。
「じゃ、俺はこっち」
ディータは腰にあったムチを取りだす。
「魔法は使わないのか?」
「ずっと馬車に乗ってりゃ、体がなまってくるだろ」
ディータのムチがしなる。
それは盗賊の持つ剣を叩き落とした。
「お前はカードに剣に、ムチも拳銃も使うのか。実に器用だな」
「飽きっぽいタチなんでね。ムチは練習中!」
なんだ。 ディータも退屈してただけか。
顔を上げる。
魔法の臭いだ。
ほんのわずかだが、夜風にのって離れた所から臭ってくる。
馬の足を止めた者とは違う、それよりは、強く臭いを感じる。
街道を見下ろす土手の上に、騎馬隊の姿が現れた。
盗賊団の首領を囲む一団か?
鎧兜を身につけ、それなりに武器も揃っている。
その中に、魔道士がいた。
「イバン、屈め」
炎の呪文。
小さな火球が、イバンに向かって飛んだ。
俺は風の呪文を唱える。
刃のように鋭い刃先を持つ一陣の風が、無数のブーメランとなって草原に飛んだ。
とっさに身を屈めたイバンの頭の先を、その風は切り裂き、放たれた火球をかき消す。
伸びた草を刈り取り、隠れていた盗賊の一部も切りつけた。
「魔道士二人に、聖剣士か。その馬車の積み荷はなんだ?」
その盗賊の声に、木箱の扉が開いた。
「もちろん、絶世の美女が山積みよ!」
フィノーラの放つ暴風が、草原を吹き荒らす。
盗賊の幾人かは吹き飛ばされ、馬たちは驚き暴れ出した。
「お前のノーコンは、まだ直ってないのか!」
混乱に乗じて、イバンは目の前の盗賊を切りつける。
「助けに来た相手に向かって、なに失礼なこと言ってんの?」
フィノーラの呪文
。衝撃弾が、敵味方関係なく頭上から降り注ぐ。
「馬が怖がってんだろ!」
ディータが叫んだ。
その馬に近寄る盗賊を、一蹴りで沈める。
盗賊団の一部は、ライフル銃を構えていた。
「フィノーラ!」
シールドを張る。
辛うじて間に合ったそれは、全ての弾丸を弾いた。
「私にケンカ売ろうなんて、上等じゃない」
彼女はそのまま、何かの呪文を唱えている。
その間にも、イバンは木箱に迫る敵を斬り倒した。
「おい、ディータ! お前も手伝え」
「うるせぇ、俺はお馬ちゃんたちの相手で忙しいんだ」
ディータは愛おしそうに、その鼻先を撫でている。
「ゴメンな、驚いただろ? だけど大丈夫だ。俺がいるから安心しな」
フィノーラの放つ暴風は、今度はイバンをも巻き込みよろけさせた。
煽られた盗賊どもは、地面に転がっている。
その様子をみた土手上の連中から、あざ笑う声が響いた。
「あの女を黙らせろ」
魔封じの呪文。
相手の魔道士は、どうやらそこそこ高等な魔法を使える、上級者のようだ。
「悪いがこっちにも、ちゃんとした魔道士はいるんだ」
放たれたその魔法を、俺はそのまま術者に返す。
その魔道士と思われる盗賊は、息苦しそうにもだえたかと思うと、馬からドサリと落ちた。
「数が多いぞ」
生真面目なイバンは、ずっと剣を振り回し続けている。
「だから俺は、そういう頭悪そうな剣士のやり方は、見てて嫌になっちゃうんだよね。やる気が削がれる」
「は? 何を言ってるんだお前」
ディータの言葉に、イバンは彼を振り返った。
「乗客の安全を守るのがお前の役目だろう」
「じゃあお前の役目はなんだ?」
「乗客の安全を守ることだ」
「俺とカブってんじゃん!」
「当たり前だ!」
「意味分かんねー」
フィノーラは勝手に暴風を吹きあらしている。
「ナバロ、暗くなった。もっと明かりを増やして!」
「は~い」
閃光弾。
二つでいい? あ、やっぱ三つにしよう。
それくらい上げておけば、後で文句も言われないだろ。
駅馬車の背後にも敵は迫る。
ディータのカードが、三匹の狼に変わった。
「ハコに戻って、馬車を動かした方がいいんじゃねぇか? もうお馬ちゃんが可哀想だ。おい、イバン。戻って来いよ」
その言葉に、御者はムチを入れた。
しかしそれは、わずかに動いたところで、ガタリと傾く。
「ば、馬車が動きません!」
「おーい。ナバロ~」
魔法の臭いはしない。
俺は木箱に近づいていた盗賊の、口を封じたうえで地面に縫い付ける。
「車輪かな? さっき飛ばしたから、おかしくなったのかもな。お前、見て分かるか?」
「魔法は感じないけど……」
ディータは馬に寄り添ったまま、馬車の足元をのぞき込む。
「あ、本当だ。馬車が止まったのは、魔法のせいじゃない。道路に仕掛けをしてやがった」
「ではやはり、戦わなくてはいけないではないか」
イバンの息が上がり始めている。
「そっちは貴様らで何とかしろ!」
仕方ないなぁ。
俺は屋根から飛び降りた。
ディータは狼を操り、迫る盗賊を倒すことに忙しい。
車輪をのぞき込むと、前後左右に四つある車輪のうち、後輪の二つにべっとりとゼリー状のものが張り付いていた。
「なんだこれ?」
こんなものは見たことがない。
ドロリとした透明な固い粘着質の中に、わずかに緑の結晶が輝く。