朝になって、食事が運ばれてきた。
囚人用とはとても思えない、随分と豪華な朝食だ。
大きな銀のプレートに乗せて運ばれてきたそれには、肉に魚、フルーツに野菜類、小さなクッキーにプリンやゼリーまである。
取っ手のついた壺には、水の他にも五種類の飲み物が用意され、飲み放題だ。
俺はスライスされた三種類のパンの一つに、ハムとチーズを挟んだ。
焼いた肉の塊もきれいに切り分けられ並べられている。
テリーヌを遠慮なくむさぼるディータを、番兵たちは妬ましげに見ている。
「何だよ。お前ら飯は食ったのか?」
「仕事中だ」
「何なら一緒に食うか? 入って来いよ」
「それは無理だ」
「だったらせめて、こっちに来い。そっからじゃ手は届かねぇだろ」
戸惑う番兵たちに、ディータは何でもないことのように言った。
「イェニーには、俺から言っておいてやるから」
これらは全て、イェニー団長からの差し入れだそうだ。
なかなかに愛されている。
「ナバロ。食い終わったら作戦会議だぞ」
「なんの?」
「脱獄計画だよ」
俺たちは牢獄の中にいて、檻の向こうにいる番兵二人と、一緒に飯を食っている。
「そうだよなぁ、番兵さん。入れられた牢からは、自力で脱出しないとなぁ」
「また団長が泣くぞ。いい加減諦めて、一緒になってくれ。俺たちのためにも」
「お前さえ犠牲になれば、他は全て上手くいく」
「俺は関係ねぇよ」
ふわりと魔法の臭いが漂ってきた。
それに気づいたディータも顔を上げる。
モリーだ。
「まぁ! 私はこの団城における服務規範の徹底について、いま一度審議会にかけなくちゃいけないわ」
そう言うと彼女はしゃがみ込み、檻の隙間からカボチャのパイを手に取った。
香ばしい焼き色のついたそれを、もしゃもしゃと食べ始める。
「あら、おいしいわね」
「主席魔道士さま自ら、何の用だ」
「ディータも食べた?」
「質問に答えろ」
「ふぅ。食べ終わるまでちょっと待ってよ。相変わらずせっかちね」
モリーは最後の一口を食べ終わると、指についたパイクズを舐めている。
「今朝一番に、女の子がお城に乗り込んで来たの。黒髪のとってもかわいい魔道士よ。ディータ、あなたの知り合い?」
「残念だが、かわいい女の子の知り合いは多くてね。もちろん君もその一人だよモリー」
「ナバロの姉だと名乗ったわ」
「お前、姉さんがいたのか!」
「……。あぁ、まぁ、うん……」
フィノーラか。
どうして追いかけて来た?
「もっと早く言えよ!」
「その様子だと、ディータも知らなかったみたいね」
俺は骨付き肉を手に取った。
丁寧に一口大にカットされたそれには、何かのソースがかかっている。
随分クセのある味だが、悪くはない。
「ルーベンの正式な通行許可証を持っていたわ」
「なんだよ。だったら何の問題もないじゃないか。さっさとここから出せ」
「いま、イェニーが丁寧に取り調べているわ。あなたと彼女の関係について」
ディータの手から、持っていたフォークがこぼれ落ちた。
盛大にため息をつく。
「またアイツか!」
俺はもう一本の、違う骨付き肉に手を伸ばす。
うん。
これは香辛料がしっかりきいているうえに、肉自体にもクセがなく美味い。
「いま上は、すっごいピリピリしてるわよ。あんたは早くそっちに行って、何とかしてきなさいよ。いつものことじゃない」
そう言いながらも、モリーは別のクッキーに手を伸ばす。
それを口の中に放り込むと、プレートに添えられていたナプキンで指先を拭った。
ディータは俺を振り返る。
「お前の姉ちゃんなんだろ? 一緒に行くか」
「あら、この子はダメよ、ディータ。あなたたち、中央議会から緊急通告が出てるって、知らなかったのね。とっても優秀な我がナルマナの聖騎士団は、手配書に描かかれた少年と、よく似た男の子を昨晩確保したわ」
モリーはにっこりと微笑んだ。
「だから私が、今から取り調べをするの。お迎えに来たのよ。さ、行きましょ」
差し出されたモリーの手を、ディータはパッと遮った。
「待て。どういうことだ」
「これはどれだけあんたが暴れても、イェニーに泣きついたってダメな話よ。ユファさまからのお達しだもの」
「ユファさまの?」
大魔道士エルグリムだった俺を、倒した勇者スアレス。
それに予言と加護を与え、最大攻撃魔法を与えたのが、ユファだ。
当時は五歳程度だったと聞いている。
今頃は十七になるかならないかの占い師だ。
ディータは呆れたように首を振る。
「ライノルトの大賢者さまは、なんて言ってんだ?」
「ユファさまは、エルグリムの悪夢を見たそうよ」
その言葉に、ディータはチラリと俺を見た。
一瞬目が合う。
「は? そりゃもう、とっくの昔に終わった話だろ」
「私たちにとってはね。だけど、エライ人たちはまだ、その存在を信じている。大魔王最期の地、グレティウスから遙か南西の方角に飛んだ魂は、そこで復活の時を待っているってね。どうもそれが、最近になって本当に蘇ったと考えてるみたい」
「面倒くせぇ年寄りどもだな。それで子供狩りとはね。頭大丈夫か」
「守りたいのよ。今の平和な時代をね。その気持ちは私も同じだから」
モリーの緑灰色の目が、深く強く輝く。
「だからゴメンね。私にはあなたが、今後エルグリムのようになりうる脅威かどうか、確かめて報告しなければならない義務があるの。来てくれる?」
俺はフウと一つため息をついてから、食べていたポテトパイのクズを払った。
どうせ拒否したくとも、出来ない話しだ。
だったら、さっさと済ませてしまった方がいい。
今後の手間が省ける。
「いいよ。いくらでも調べればいい。自分では手を下さず、他人に任せてその後ろに隠れているような連中に、何が出来る」
俺は立ち上がると、彼女に手を差し出した。
「行こう」
「あら、カッコいい。こういう人間は、大人も子供も大好きよ」
手を繋ぐ。
モリーはしっかりとそれを握り返した。
「さぁ、行きましょう。椅子に座っているだけの、簡単なお仕事だから」
モリーと檻をくぐる。
この地下牢に張られた結界の強さは、ただ捕らえられた囚人を拘束するためのものではないようだ。
「俺も行く」
ディータも立ち上がった。
「ナバロが本当にエルグリムの生まれ変わりとなる存在なのか、確かめたい」
「あら」
モリーが振り返った。
「あなたはそんなこと言ってる余裕、ないと思うわよ」
地下牢へと下る階段を、一人の聖剣士が駆け下りてきた。
「ディータ! 上で団長と、お前の知り合いだという女性が揉めている。何とかしろ!」
「知るか! お前らでカタをつけろ。俺はナバロの方に……」
その男はディータの胸ぐらを掴むと、思い切り引き寄せた。
「もうキーガンでは抑えられなくなってるんだよ。オマエが来い」
「だからなんで俺が、いつもアレの相手をしないといけないんだ」
もみ合う二人に、モリーはヒラヒラと手を振った。
「じゃ、そういうことで。よろしくね」
ディータはまだ何かを叫んでいたが、この城の結界とモリーの魔法のせいで、抵抗が出来ない。
階段を上がる俺たちの後ろを、聖剣士の男にそのまま引きずられていく。
「私たちはこっちよ」
廊下に出たところで、俺たちは二つに分かれた。
彼女の白く細い手に引かれ、赤い絨毯の上をゆっくりと歩いてゆく。
彼女の灰色の真っ直ぐな髪がサラリと流れた。
繋いだ手に導かれるまま、城の外へ出る。
小さな庭の緑の芝は、朝日にキラキラと輝いていた。
狭い庭をぐるりと囲む高い城壁からは、空しか見えない。
ここは、ナルマナ聖騎士団の団城だ。
あちこちに武器や、呪いのかけられた道具が並べられている。
不意に、城門付近で爆発音が起こった。
振り返ると、団員たちは続々とそちらに集まっている。
「向こうは、あなたを助けにきたお姉さんの相手で精一杯よ。イェニーが疑ってるの。お姉さんとディータが付き合ってんじゃないかって。本当にバカよねぇ。ここにこんないい女がいるってのに。私には見向きもしないのよ、イェニーったら」
一旦庭に出たモリーは、再び南に位置した門から城内に入る。
「だから、邪魔が入らないうちに、さっさと済まそうと思って。そうすればあなたもお姉さんも、早く帰れるか一緒に捕まるか、はっきりするもの」
ここは魔法の臭いも剣士の臭いも、強すぎるそれぞれら全てが混ざりあって、息が苦しい。
「怖がることはないわ。ライノルトにある中央議会の、大賢者ユファさまの予言よ。間違えっこないですもの。あなたがそうじゃないってことを、ただ証明するだけ」
二人きりで通された部屋は、実に簡素な部屋だった。
テーブルに椅子、それと向かい合うように、一脚の椅子が置かれている。
シンプルな白木に青に濃く染められた皮が張られた、どこにでもあるような椅子だ。
「そこに座って」
モリーの手が離れた。
強い結界が張られたこの部屋では、体が動かせない。
呪文を唱えようにも、声すら出せない。
俺は白い椅子をにらみつけた。
「そうよ。それは呪いの椅子。分かってて座るのは、怖いわよね。だけど、それに座る前からそうと気がつくなんて、そんな子は初めてよ。やっぱりあなたは、ちょっと違うみたい」
モリーは向かいのテーブルに座った。
そこに置かれてあった書類を手に取る。
「魔法は使えないわよ。地下で散々味わったでしょ。自分の足で歩くのよ」
深い濃く緑灰色の目は、それなりの訓練を受け、しっかりと魔力を貯め込んだ者の目だ。
ここの主席魔道士というのも、うなずける。
その自信も、ハッタリなどではないのだろう。
俺はゆっくりと片足を動かす。
生身のこの体に宿る十一歳の筋肉だけを使っても、動けないわけではないのだ。
「そうよ。上手上手」
モリーの視線は、手元の書類に向いたままだ。
床にはべったりと魔方陣が書かれている。
見えないように小細工しているつもりだろうが、俺には分かる。
そこから椅子を引き寄せようとしても、この位置から動かせないのは、コイツのせいだ。
囚人用とはとても思えない、随分と豪華な朝食だ。
大きな銀のプレートに乗せて運ばれてきたそれには、肉に魚、フルーツに野菜類、小さなクッキーにプリンやゼリーまである。
取っ手のついた壺には、水の他にも五種類の飲み物が用意され、飲み放題だ。
俺はスライスされた三種類のパンの一つに、ハムとチーズを挟んだ。
焼いた肉の塊もきれいに切り分けられ並べられている。
テリーヌを遠慮なくむさぼるディータを、番兵たちは妬ましげに見ている。
「何だよ。お前ら飯は食ったのか?」
「仕事中だ」
「何なら一緒に食うか? 入って来いよ」
「それは無理だ」
「だったらせめて、こっちに来い。そっからじゃ手は届かねぇだろ」
戸惑う番兵たちに、ディータは何でもないことのように言った。
「イェニーには、俺から言っておいてやるから」
これらは全て、イェニー団長からの差し入れだそうだ。
なかなかに愛されている。
「ナバロ。食い終わったら作戦会議だぞ」
「なんの?」
「脱獄計画だよ」
俺たちは牢獄の中にいて、檻の向こうにいる番兵二人と、一緒に飯を食っている。
「そうだよなぁ、番兵さん。入れられた牢からは、自力で脱出しないとなぁ」
「また団長が泣くぞ。いい加減諦めて、一緒になってくれ。俺たちのためにも」
「お前さえ犠牲になれば、他は全て上手くいく」
「俺は関係ねぇよ」
ふわりと魔法の臭いが漂ってきた。
それに気づいたディータも顔を上げる。
モリーだ。
「まぁ! 私はこの団城における服務規範の徹底について、いま一度審議会にかけなくちゃいけないわ」
そう言うと彼女はしゃがみ込み、檻の隙間からカボチャのパイを手に取った。
香ばしい焼き色のついたそれを、もしゃもしゃと食べ始める。
「あら、おいしいわね」
「主席魔道士さま自ら、何の用だ」
「ディータも食べた?」
「質問に答えろ」
「ふぅ。食べ終わるまでちょっと待ってよ。相変わらずせっかちね」
モリーは最後の一口を食べ終わると、指についたパイクズを舐めている。
「今朝一番に、女の子がお城に乗り込んで来たの。黒髪のとってもかわいい魔道士よ。ディータ、あなたの知り合い?」
「残念だが、かわいい女の子の知り合いは多くてね。もちろん君もその一人だよモリー」
「ナバロの姉だと名乗ったわ」
「お前、姉さんがいたのか!」
「……。あぁ、まぁ、うん……」
フィノーラか。
どうして追いかけて来た?
「もっと早く言えよ!」
「その様子だと、ディータも知らなかったみたいね」
俺は骨付き肉を手に取った。
丁寧に一口大にカットされたそれには、何かのソースがかかっている。
随分クセのある味だが、悪くはない。
「ルーベンの正式な通行許可証を持っていたわ」
「なんだよ。だったら何の問題もないじゃないか。さっさとここから出せ」
「いま、イェニーが丁寧に取り調べているわ。あなたと彼女の関係について」
ディータの手から、持っていたフォークがこぼれ落ちた。
盛大にため息をつく。
「またアイツか!」
俺はもう一本の、違う骨付き肉に手を伸ばす。
うん。
これは香辛料がしっかりきいているうえに、肉自体にもクセがなく美味い。
「いま上は、すっごいピリピリしてるわよ。あんたは早くそっちに行って、何とかしてきなさいよ。いつものことじゃない」
そう言いながらも、モリーは別のクッキーに手を伸ばす。
それを口の中に放り込むと、プレートに添えられていたナプキンで指先を拭った。
ディータは俺を振り返る。
「お前の姉ちゃんなんだろ? 一緒に行くか」
「あら、この子はダメよ、ディータ。あなたたち、中央議会から緊急通告が出てるって、知らなかったのね。とっても優秀な我がナルマナの聖騎士団は、手配書に描かかれた少年と、よく似た男の子を昨晩確保したわ」
モリーはにっこりと微笑んだ。
「だから私が、今から取り調べをするの。お迎えに来たのよ。さ、行きましょ」
差し出されたモリーの手を、ディータはパッと遮った。
「待て。どういうことだ」
「これはどれだけあんたが暴れても、イェニーに泣きついたってダメな話よ。ユファさまからのお達しだもの」
「ユファさまの?」
大魔道士エルグリムだった俺を、倒した勇者スアレス。
それに予言と加護を与え、最大攻撃魔法を与えたのが、ユファだ。
当時は五歳程度だったと聞いている。
今頃は十七になるかならないかの占い師だ。
ディータは呆れたように首を振る。
「ライノルトの大賢者さまは、なんて言ってんだ?」
「ユファさまは、エルグリムの悪夢を見たそうよ」
その言葉に、ディータはチラリと俺を見た。
一瞬目が合う。
「は? そりゃもう、とっくの昔に終わった話だろ」
「私たちにとってはね。だけど、エライ人たちはまだ、その存在を信じている。大魔王最期の地、グレティウスから遙か南西の方角に飛んだ魂は、そこで復活の時を待っているってね。どうもそれが、最近になって本当に蘇ったと考えてるみたい」
「面倒くせぇ年寄りどもだな。それで子供狩りとはね。頭大丈夫か」
「守りたいのよ。今の平和な時代をね。その気持ちは私も同じだから」
モリーの緑灰色の目が、深く強く輝く。
「だからゴメンね。私にはあなたが、今後エルグリムのようになりうる脅威かどうか、確かめて報告しなければならない義務があるの。来てくれる?」
俺はフウと一つため息をついてから、食べていたポテトパイのクズを払った。
どうせ拒否したくとも、出来ない話しだ。
だったら、さっさと済ませてしまった方がいい。
今後の手間が省ける。
「いいよ。いくらでも調べればいい。自分では手を下さず、他人に任せてその後ろに隠れているような連中に、何が出来る」
俺は立ち上がると、彼女に手を差し出した。
「行こう」
「あら、カッコいい。こういう人間は、大人も子供も大好きよ」
手を繋ぐ。
モリーはしっかりとそれを握り返した。
「さぁ、行きましょう。椅子に座っているだけの、簡単なお仕事だから」
モリーと檻をくぐる。
この地下牢に張られた結界の強さは、ただ捕らえられた囚人を拘束するためのものではないようだ。
「俺も行く」
ディータも立ち上がった。
「ナバロが本当にエルグリムの生まれ変わりとなる存在なのか、確かめたい」
「あら」
モリーが振り返った。
「あなたはそんなこと言ってる余裕、ないと思うわよ」
地下牢へと下る階段を、一人の聖剣士が駆け下りてきた。
「ディータ! 上で団長と、お前の知り合いだという女性が揉めている。何とかしろ!」
「知るか! お前らでカタをつけろ。俺はナバロの方に……」
その男はディータの胸ぐらを掴むと、思い切り引き寄せた。
「もうキーガンでは抑えられなくなってるんだよ。オマエが来い」
「だからなんで俺が、いつもアレの相手をしないといけないんだ」
もみ合う二人に、モリーはヒラヒラと手を振った。
「じゃ、そういうことで。よろしくね」
ディータはまだ何かを叫んでいたが、この城の結界とモリーの魔法のせいで、抵抗が出来ない。
階段を上がる俺たちの後ろを、聖剣士の男にそのまま引きずられていく。
「私たちはこっちよ」
廊下に出たところで、俺たちは二つに分かれた。
彼女の白く細い手に引かれ、赤い絨毯の上をゆっくりと歩いてゆく。
彼女の灰色の真っ直ぐな髪がサラリと流れた。
繋いだ手に導かれるまま、城の外へ出る。
小さな庭の緑の芝は、朝日にキラキラと輝いていた。
狭い庭をぐるりと囲む高い城壁からは、空しか見えない。
ここは、ナルマナ聖騎士団の団城だ。
あちこちに武器や、呪いのかけられた道具が並べられている。
不意に、城門付近で爆発音が起こった。
振り返ると、団員たちは続々とそちらに集まっている。
「向こうは、あなたを助けにきたお姉さんの相手で精一杯よ。イェニーが疑ってるの。お姉さんとディータが付き合ってんじゃないかって。本当にバカよねぇ。ここにこんないい女がいるってのに。私には見向きもしないのよ、イェニーったら」
一旦庭に出たモリーは、再び南に位置した門から城内に入る。
「だから、邪魔が入らないうちに、さっさと済まそうと思って。そうすればあなたもお姉さんも、早く帰れるか一緒に捕まるか、はっきりするもの」
ここは魔法の臭いも剣士の臭いも、強すぎるそれぞれら全てが混ざりあって、息が苦しい。
「怖がることはないわ。ライノルトにある中央議会の、大賢者ユファさまの予言よ。間違えっこないですもの。あなたがそうじゃないってことを、ただ証明するだけ」
二人きりで通された部屋は、実に簡素な部屋だった。
テーブルに椅子、それと向かい合うように、一脚の椅子が置かれている。
シンプルな白木に青に濃く染められた皮が張られた、どこにでもあるような椅子だ。
「そこに座って」
モリーの手が離れた。
強い結界が張られたこの部屋では、体が動かせない。
呪文を唱えようにも、声すら出せない。
俺は白い椅子をにらみつけた。
「そうよ。それは呪いの椅子。分かってて座るのは、怖いわよね。だけど、それに座る前からそうと気がつくなんて、そんな子は初めてよ。やっぱりあなたは、ちょっと違うみたい」
モリーは向かいのテーブルに座った。
そこに置かれてあった書類を手に取る。
「魔法は使えないわよ。地下で散々味わったでしょ。自分の足で歩くのよ」
深い濃く緑灰色の目は、それなりの訓練を受け、しっかりと魔力を貯め込んだ者の目だ。
ここの主席魔道士というのも、うなずける。
その自信も、ハッタリなどではないのだろう。
俺はゆっくりと片足を動かす。
生身のこの体に宿る十一歳の筋肉だけを使っても、動けないわけではないのだ。
「そうよ。上手上手」
モリーの視線は、手元の書類に向いたままだ。
床にはべったりと魔方陣が書かれている。
見えないように小細工しているつもりだろうが、俺には分かる。
そこから椅子を引き寄せようとしても、この位置から動かせないのは、コイツのせいだ。