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 028_死の森合同作戦(七)
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 ドルバス侯爵軍がSSランクのエルダートレントを討伐したと、伝令から聞いたイリアは眉間にシワを寄せた。ドルバス侯爵が自慢することが目に見えているからではない。ゲーレという戦力が使い物にならなくなったからだ。
 ドルバス侯爵の部下であれば、それはイリアにとっての陪臣である。ゲーレが今後戦力にならないということは、いざという時に使える戦力が低下したことを意味するのだ。

「あのバカは何をしているのか。エルダートレントなど、もっと戦力を集めて戦うものを、たかが五〇〇の軍で戦うなんて本当にバカね」
 犠牲になった兵士たちが可哀想だわと、首を振って戦死した兵らを悼むイリア。
「しかし困りましたな。今回のことで戦力が大幅に下がってしまいました」
「合同作戦は魔物を間引くだけでなく、実戦訓練です。このような被害を出すようなものではないというのに、侯爵にも困ったものです」
 貴族たちが首を振ってドルバス侯爵の愚行に呆れる。

 その夜、満面の笑みを浮かべたドルバス侯爵と、イリアは食事を共にすることになった。
「がーっはははは! SSランクのエルダートレントなど、何ほどのものでもないわ!」
 ドルバス侯爵は不愉快な笑い声をあげ、イリアの精神を逆なでする。
「そんなに笑って、何がおかしいのか。ドルバス侯は事の重大さが分かっているのか?」
 イリアは冷ややかね視線を向ける。

「公爵閣下は何が言いたいのですかな」
 いい気分のドルバス侯爵は、イリアの僻みだとにやけ顔で応えた。
「戦力の三分の二も失い、さらにはゲーレが片足を失ったと聞いた。それがどれだけ大きな損失か、ドルバス侯は分かっているのか?」
「兵士など補充すればいい。ゲーレの怪我も、同様の力を持つ者を召し抱えればいいことではないですかな、公爵閣下」
 その場に居た全ての貴族が、こいつ本気か!? という顔をした。

「合同作戦の目的は、死の森の魔物を間引きつつ、兵士の質を上げること。その兵士を失って、この作戦になんの意味があるのか。ドルバス侯は何を考えているのか、私にはさっぱり理解できない。ゲーレにしても、元SSランク冒険者をそこら辺に転がっている石のように思っているようだが、どれほど貴重な人材を使い潰したかまったく分かっていない。それでよくも侯爵の地位に就いているものだ」
 イリアは至極まっとうな意見を述べただけだが、ドルバス侯爵は肩をわなわなと震わせ、顔を真っ赤にして怒った。

「ワシを侮辱されるか!?」
 ドルバス侯爵はイリアに責められ、激高して立ち上がった。その際に、隣に座っていたザルド伯爵にスープがかかってしまう。
「ドルバス候!」
 スープをかけられたザルド伯爵が、声を荒げる。悪いのはドルバス侯爵なのは誰の目にも明らかだが、ドルバス侯爵は「ふんっ」と発しただけで謝りもせずにその場を立ち去ってしまった。
 この失礼極まりない行為に、ザルド伯爵は怒りを露わにした。だが、内心ではほくそ笑んでいるのだった。
(あの老害め、墓穴を掘ってくれたわ)
 ドルバス侯爵がどれほど愚か者で礼儀知らずか、盛大に吹聴できるのだから顔は怒りに満ち心は満面の笑みである。この場にはドルバス侯爵派の貴族もいる。その貴族たちが証人だ。盛大に言いふらしてやろう。

 そんな光景を冷めた目で見ていたのは、弾路である。
(あの侯爵、本当に貴族なのかな? 兵士をまるで物のように言うあのような人が人の上に立つなんて、間違っている。あいつはサマンサと同じ穴の狢だ)
 弾路はドルバス侯爵という下衆な奴に殺意を覚えた。
 サマンサに殺されかけた弾路は、サマンサと同類のドルバス侯爵を酷く憎んだ。直接害を与えられたわけでもないのに、心から突き上げる怒りを覚えたのだ。




 翌日は公爵直轄軍が死の森に入ることになっている。
 ただし、イリアは後方の総司令部に陣取っている。総司令官たるイリアが前線に出て指揮をすることはない。どんな軍でも総司令官が前線指揮など執らないものだ。

 弾路は今日も総司令部でイリアの横に座っているだけ。のはずだった。
 だが、それは昼過ぎに起こった。
「た、大変です!」
 総司令部になっている大型テントに駆けこんで来た伝令がやけに慌てていた。
「SSランクのエルダートレントが現れました!」
「またエルダートレントですか」
 伝令の報告を聞き、イリアが呟いた。
「しかも七体です!」
 その瞬間、貴族たちが身を乗り出し、イリアはギリリッと奥歯を噛んだ。
「そんなバカなことがあるか!? SSランクが一体も現れるだけでも珍しいというのに、そられが七体だと!?」
 イスバハン子爵の叫ぶような声を聞き、イリアは逆に冷静になれた気がした。

「全軍を後退させなさい。エルダートレントが森から出て来たところで、魔法の総攻撃を行います」
 イリアは凛とした声で、指示を与えた。横でその指示を聞いていた弾路には、イリアの手が震えているのが見えた。
(怖いのに気丈に振る舞っているんだね。イリアのような女の子が、公爵として魔物と戦う軍の指揮を執らなければならないのだから大変な苦労を背負っているんだろうな……。イリアを助けてあげたい。でも、今僕が魔物を倒したら、僕のことがサマンサに知られるかもしれない……)
 サマンサに知られたら暗殺者が送られてくるかもしれないと考え躊躇する弾路。
(そんなことじゃない。イリアは右も左も分からない僕に、とてもよくしてくれた。そのイリアが困っているのに、手を差し出すことを躊躇してどうするんだ。いつから僕はそんなクズになり下がったんだ)
 人を無理やり召喚しておいて、不要だから殺そうとしたサマンサのようなクズにはなりたくない。

「ダンジ、司令部を後方に移す。行くぞ」
 弾路は両手を強く握った。
「どうしたのだ、ダンジ」
 立ち上がろうとしない弾路に、イリアがもう一度声をかけた。
「僕に手伝わせてほしい」
 サマンサと同類になるのだけは嫌だ。それにイリアのために何かしてやりたい。
「……嬉しい申し入れだが、いいのか?」
「うん。イリアが困っているのに、それを見過ごすことなんてできない」
「ダンジ……ありがとう」
「僕たちは友達だよ。困ったことがあったら、助け合うのが当然じゃないか」
「嬉しい……」

 ビンセントがスッと音もなく近づいた。
「ダンジ様。どのような状況を作ればよろしいでしょうか」
 柔和な笑みを浮かべたビンセントが、そう聞く。
(え、ビンセントさんなら状況を作り出せると言うの? さすがはできる執事!)
 できる執事でもSSランクの魔物相手に、思ったような状況を作ることは簡単ではない。弾路がどの程度のことを望むのかによっても、成功率は全く違うだろう。

「少し高い場所があればいいですが、なくてもなんとかなります。それ以上に、僕と魔物の間に誰も入らないでほしいです」
「承知しました」
 ビンセントは音もなく離れていく。
(相変わらずビンセントさんの動きに音がないんですが……)