「え? ちょっとまって兄ちゃんなに言ってるのかわからない」
ある日のこと、家に帰って来るなり、日出ずる国に行くと言い出したシュエイインの言葉に、コンは戸惑いを隠せない。
とりあえず蒸していた蓮の葉ちまきを食台の上に乗せ、シュエイインに食べさせる。
湯気が立つ蓮の葉を破かないようにそろりと剥き、中に入っている角煮入りの餅米を囓ると、甘みと塩っ気、それに肉の脂が口の中に広がる。粘り気のあるちまきを噛みながらシュエイインの話を聞くと、以前話していた人間の娘を娶るのに、どうしても日出ずる国に行って氷のような翡翠を採ってこないといけないと言う。
氷のような翡翠とはどんなものなのだろうか。コンが知っている限り、翡翠という石は不透明でまだらに緑色になっているか、透明感のある物でも向こう側が透けて見えると言う事はなく、深い緑色をした物だ。
わりと頻繁に裕福な人間の娘から貢ぎ物を貰うコンですら、滅多に質の良い翡翠はお目にかかれない。娘をまともにたぶらかす事の出来ないシュエイインがそう言った玉のことを知っているとは思えなかった。
「あのさ、兄ちゃん」
「ん? なぁに?」
にこにこしながらちまきを食べるシュエイインに、コンは毅然とした態度でこう言った。
「もうあの娘のことは諦めた方がいいよ。
そんな無理難題言ってくるなんて、厄介払いしようとしてるとしか思えない」
「そんな、でも」
「でもじゃないの。有るかどうかわからない玉を要求して海を渡らせて、厄介払いと思ってるだけならまだ良い。最悪、兄ちゃんが消えたらいいんじゃないかって、そう言う事考えてるかも知れないんだぞ?」
それを聞いてシュエイインはぐっと口を結ぶ。暫く手に持ったちまきを見つめて、口も付けない。
これは素直に思い直したかとコンが安心しそうになったその時。
「なんで、なんでコンは会ったことも無い人の事そんなに悪く言えるの?」
「なんでって、うーん……」
泣きたいのか怒っているのかわからない声色の言葉に、コンは思わず考え込む。そもそも、人間のことを良く思うだとか、悪く思うだとか、そう言う事を気にしたことが無いのだ。夢魔にとって人間はただの食糧で、自分達に物申す事が出来る物だという認識は無かった。ただただ従属する物だと思っていたのだ。だから多分、兄をここまで夢中にさせる人間の存在が許せないのだろうと、コンは結論づける。
ふと思う。ここでシュエイインのことを強引に引き留めても良いのだろうか。引っ込み思案で、今まで自分の影に隠れるように生活していた兄が、ようやく自分で目標を見付けて、それに向かっていこうとしているのだ。
正直言って頼りないシュエイインを、ひとりで長旅に出すのは不安しかない。でも、ここで過保護にしてしまったら、それこそ自分が居なくなった時、シュエイインが自活できなくなるのではないかと思ってしまうのだ。
手元のちまきはすっかり冷めてしまった。いろいろと考えて、コンが重い口を開く。
「どうしても行くのか?」
「うん」
間を置かずに返事をするシュエイインに、言い聞かせるように言葉を重ねる。
「兄ちゃんがひとりで日出ずる国に行っても、はっきり言って帰ってこられない可能性の方が高い。だからやっぱり、俺は反対だ」
ここで反論しないようなら、絶対に行かせられない。コンがそう思っていたら、シュエイインはきっとコンを見返して言葉を返した。
「帰ってこられないかも知れないけど、僕は行く。
行かなきゃ僕は、トオゥのことを諦めなきゃいけない。そんなのは絶対に厭なんだ。
海を渡ってもちゃんと、精気を食べて生き残るから。どれだけ時間が掛かっても帰ってくる」
今まで自分を頼ってばかりだった兄が、自力で生き残ると心に決めた様を見て、コンはもう反対など出来なかった。
コンはシュエイインの目の前に指を三本立てて突きつける。
「行くのなら条件が三つ。
一つ目は、出発まで六日待つこと。この間に、船に乗ってる間に食べる精気を俺が集める。
二つ目は、人間の寿命は有限だって事を忘れないこと。あの娘が死んだ後に帰ってきたんじゃ、元も子もないだろうからな。
そして三つ目は」
一旦言葉を切ったコンを恐る恐る覗き込みながら、シュエイインが訊ねる。
「三つ目は?」
「絶対に帰ってくること。喩え何百年、何千年経っても、絶対にここに帰ってくること。
わかったな?」
三つ目の条件を聞いて、シュエイインはぼろぼろと泣き始めた。怖じ気づいたのかと思ったら、喉を引っかからせながら何度も、絶対に帰ってくると、そう答えた。
自分の手元を離れることを決めた兄を見て、コンは寂しさとも諦めとも、安堵とも取れない気持ちになった。
それから、約束の六日が過ぎた。この間にコンは、街に住む沢山の娘達から精気を集め、玉に閉じ込めた物を用意し、シュエイインに渡した。その玉は上等な物ではないけれども、価値が無い物でもない。これが無くなったら食べる精気も無くすことになるから、絶対に人間には見つからないようにしろとシュエイインに言い聞かせる。ずっしりと重い、玉が沢山入った袋を受け取ったシュエイインと、コンも一緒に港町まで向かった。
道中、お互い口数は少なかった。それは歩き疲れたからなのか、それともこれからへの不安からなのかはわからない。長い道のりを経て港町に着き、シュエイインは日出ずる国へと向かう交易船に忍び込んだ。
このまま密航したことに気づかれないかどうかなど、不安は沢山有ったけれども、もう後には引けない。
兄が乗り込んだ船が港を離れていくのを眺めていると、コンの視界が滲んだ。
ある日のこと、家に帰って来るなり、日出ずる国に行くと言い出したシュエイインの言葉に、コンは戸惑いを隠せない。
とりあえず蒸していた蓮の葉ちまきを食台の上に乗せ、シュエイインに食べさせる。
湯気が立つ蓮の葉を破かないようにそろりと剥き、中に入っている角煮入りの餅米を囓ると、甘みと塩っ気、それに肉の脂が口の中に広がる。粘り気のあるちまきを噛みながらシュエイインの話を聞くと、以前話していた人間の娘を娶るのに、どうしても日出ずる国に行って氷のような翡翠を採ってこないといけないと言う。
氷のような翡翠とはどんなものなのだろうか。コンが知っている限り、翡翠という石は不透明でまだらに緑色になっているか、透明感のある物でも向こう側が透けて見えると言う事はなく、深い緑色をした物だ。
わりと頻繁に裕福な人間の娘から貢ぎ物を貰うコンですら、滅多に質の良い翡翠はお目にかかれない。娘をまともにたぶらかす事の出来ないシュエイインがそう言った玉のことを知っているとは思えなかった。
「あのさ、兄ちゃん」
「ん? なぁに?」
にこにこしながらちまきを食べるシュエイインに、コンは毅然とした態度でこう言った。
「もうあの娘のことは諦めた方がいいよ。
そんな無理難題言ってくるなんて、厄介払いしようとしてるとしか思えない」
「そんな、でも」
「でもじゃないの。有るかどうかわからない玉を要求して海を渡らせて、厄介払いと思ってるだけならまだ良い。最悪、兄ちゃんが消えたらいいんじゃないかって、そう言う事考えてるかも知れないんだぞ?」
それを聞いてシュエイインはぐっと口を結ぶ。暫く手に持ったちまきを見つめて、口も付けない。
これは素直に思い直したかとコンが安心しそうになったその時。
「なんで、なんでコンは会ったことも無い人の事そんなに悪く言えるの?」
「なんでって、うーん……」
泣きたいのか怒っているのかわからない声色の言葉に、コンは思わず考え込む。そもそも、人間のことを良く思うだとか、悪く思うだとか、そう言う事を気にしたことが無いのだ。夢魔にとって人間はただの食糧で、自分達に物申す事が出来る物だという認識は無かった。ただただ従属する物だと思っていたのだ。だから多分、兄をここまで夢中にさせる人間の存在が許せないのだろうと、コンは結論づける。
ふと思う。ここでシュエイインのことを強引に引き留めても良いのだろうか。引っ込み思案で、今まで自分の影に隠れるように生活していた兄が、ようやく自分で目標を見付けて、それに向かっていこうとしているのだ。
正直言って頼りないシュエイインを、ひとりで長旅に出すのは不安しかない。でも、ここで過保護にしてしまったら、それこそ自分が居なくなった時、シュエイインが自活できなくなるのではないかと思ってしまうのだ。
手元のちまきはすっかり冷めてしまった。いろいろと考えて、コンが重い口を開く。
「どうしても行くのか?」
「うん」
間を置かずに返事をするシュエイインに、言い聞かせるように言葉を重ねる。
「兄ちゃんがひとりで日出ずる国に行っても、はっきり言って帰ってこられない可能性の方が高い。だからやっぱり、俺は反対だ」
ここで反論しないようなら、絶対に行かせられない。コンがそう思っていたら、シュエイインはきっとコンを見返して言葉を返した。
「帰ってこられないかも知れないけど、僕は行く。
行かなきゃ僕は、トオゥのことを諦めなきゃいけない。そんなのは絶対に厭なんだ。
海を渡ってもちゃんと、精気を食べて生き残るから。どれだけ時間が掛かっても帰ってくる」
今まで自分を頼ってばかりだった兄が、自力で生き残ると心に決めた様を見て、コンはもう反対など出来なかった。
コンはシュエイインの目の前に指を三本立てて突きつける。
「行くのなら条件が三つ。
一つ目は、出発まで六日待つこと。この間に、船に乗ってる間に食べる精気を俺が集める。
二つ目は、人間の寿命は有限だって事を忘れないこと。あの娘が死んだ後に帰ってきたんじゃ、元も子もないだろうからな。
そして三つ目は」
一旦言葉を切ったコンを恐る恐る覗き込みながら、シュエイインが訊ねる。
「三つ目は?」
「絶対に帰ってくること。喩え何百年、何千年経っても、絶対にここに帰ってくること。
わかったな?」
三つ目の条件を聞いて、シュエイインはぼろぼろと泣き始めた。怖じ気づいたのかと思ったら、喉を引っかからせながら何度も、絶対に帰ってくると、そう答えた。
自分の手元を離れることを決めた兄を見て、コンは寂しさとも諦めとも、安堵とも取れない気持ちになった。
それから、約束の六日が過ぎた。この間にコンは、街に住む沢山の娘達から精気を集め、玉に閉じ込めた物を用意し、シュエイインに渡した。その玉は上等な物ではないけれども、価値が無い物でもない。これが無くなったら食べる精気も無くすことになるから、絶対に人間には見つからないようにしろとシュエイインに言い聞かせる。ずっしりと重い、玉が沢山入った袋を受け取ったシュエイインと、コンも一緒に港町まで向かった。
道中、お互い口数は少なかった。それは歩き疲れたからなのか、それともこれからへの不安からなのかはわからない。長い道のりを経て港町に着き、シュエイインは日出ずる国へと向かう交易船に忍び込んだ。
このまま密航したことに気づかれないかどうかなど、不安は沢山有ったけれども、もう後には引けない。
兄が乗り込んだ船が港を離れていくのを眺めていると、コンの視界が滲んだ。