それを見た翠翔が、また目を見開いた。

「君の笑顔は、初めて見た」

「……私、今笑ってました?」

どうやら、自分でも気づかなかったようだ。

「ああ。とても可愛かった」

翠翔は目を輝かせていた。初めて見た美雪の笑顔に、感動しているようだ。

──笑ったのなんて、いつぶりなんだろう……。

もう随分長いこと笑っていなかったので、最後に笑ったのがいつかも忘れてしまっている。

きっと、これも翠翔達のおかげだ。

翠翔に出会えなければ、感情は忘れたままだったはずだ。
七夏に出会えなければ、ずっと孤独だったかもしれない。

それと同時に、美雪はある思いに気づく。

──私は、この人のことが好きなんだ。

番だから、というのもあるのかもしれない。

でも、美雪は翠翔のことを、一人のあやかしとして、異性として。翠翔のことが好きなんだと、気がついた。

──口に出して言うのは、まだ恥ずかしいけれど……。

いつか、ちゃんと伝えたい。自分の思いを。
美雪はそう思いながら、微笑んだ。



「今後の事だが……。君は、家を出るつもりはあるか?」

「一応、高校卒業してからかな、と考えてはいます」

唐突な問いかけに戸惑ったが、将来的には家を出ようと考えていたので、すっと答えられた。

「そうか。──少し……いや大分早いが、家を出てここに住むのは、嫌か?」

「いいんですか……?」

一緒にいたい、と言ったのは美雪だが、両親との縁などはどうなるのだろうか。

そこで美雪はハッとした。

最近、法律の改正で成年年齢が十八歳に引き下がったことを。

成人になれば、ほとんどが自分の意思で、両親の同意が無くても決められる。

美雪は最近、十八歳になったのでそれが可能だ。

───そっか。それがあるから……。

翠翔を見ると、静かに頷いた。

だが、翠翔の屋敷で暮らせたとして負担をかけないだりうかと不安になる。

「俺は構わない。むしろ歓迎する。君がもう成人になっているなら、君がここに来れるよう全力で手助けをする」

「一ヶ月ほど前に、十八歳になりました」

「なら話は早いな。今から行こう」

「えっ」

流石に行動が早すぎるのでは、と美雪は思ったが遅すぎても両親に何を言われるか分からないので早い方がいいかもしれないと思い直した。








一日ぶりに、家に戻ってきた美雪。

扉をゆっくりと開けて、静かに家に入る。
リビングの方から、テレビの音と両親の笑い声が聞こえる。

美雪はそっと、物音を立てないよう部屋に行き、荷物の整理をした。

と言っても、自分の荷物はほとんどないので、鞄には必要最低限の物しか詰まれていなかった。

長年過ごしたはずの自分の部屋は、空っぽで何も無かった。


部屋を出て、静かにリビングに向かう。

「お、お父さん、お母さん……」

呼ぶと、こちらをゆっくりと振り返った両親。
先程まで笑っていたはずの両親の表情は、無だった。

「なんだ。何か用でもあるのか」

親なら、帰る時間が遅いと叱ったり、心配したりするだろう。

だが美雪の両親は、そんなことする気が起きないほど、自分の娘に何の感情も持っていなかった。


美雪は勇気を振り絞り、頭を下げ、声を出した。

「……今まで、お世話になりました。私は、この家を出ます」

美雪は、顔を上げてしっかりと両親の目を見た。

「は?」

「ぷっ……あははははっ!」

父の驚くような声と、後ろからの笑い声がしたのは同時だった。

振り返ると、そこには弟が立っていた。

「は、葉遥(はるか)……」

「ははっ……。帰ってきたと思ったら、家を出て行くだって? 家出して父さん達の興味を引こうっての?」

姉を見下し馬鹿にする弟に、美雪は静かに口を開いた。

「家出じゃない。出ていくの。私を待ってくれてる人がいるの」

「……姉さん、騙されてるんだよ。そんな人が、姉さんなんかを待つはずないじゃない。ああ、それとも……全部姉さんの妄想かな?」

葉悠は、姉を姉とも思わず嘲笑い続ける。






「騙す? 妄想? 君は、俺と俺の番をそんな風に思っているのか?」

その声に、美雪は目を見開いた。

「翠翔さ……」

「……き、希龍様!?」

それまで、ずっと黙っていた父が驚いたような口を開いた。

「お久しぶりですね。桜井さん」

──えっ。お父さんと知り合いだったの?

父は、ビクッと体を震わせ、引きつった笑みを浮かべた。

「お、お久しぶりです。希龍様……。なぜ、うちの娘と……」

「この間の商談は、とても素晴らしかったですね」

翠翔は父の言葉を(さえぎ)った。

「え? ああ、そうです、ね……」

翠翔は笑顔を浮かべていたが、その目は笑っておらず、強い怒りを(はら)んでいた。

父は───いや、美雪以外の全員が翠翔に恐怖を感じていた。

「桜井さんの家は、ご家族皆さんとても仲がいいとお聞きしたんですが……。どうやら、違ったようですね」

翠翔が父の方に少しずつ近寄る。


ふと部屋の中が暗くなった気がして、ちらっと外を見ると、先程まで晴天だったはずの空は、段々と曇り始めた。

「そ、それ、は……」

父の顔色はまるで、死人のように青白かった。

「美雪。おいで」

「は、はい」

先程の低く恐ろしい声色とは違って、美雪に対してはとても優しく、甘い声をだして微笑んだ。

「先に車に乗っていてくれ」

「え? で、でも……」

ちらりと横目で、家族の方を見る。

「大丈夫だ。すぐに行く」

「……わ、分かりました」

少し心配な気持ちがあったが、翠翔の言葉を信じることにして、車に乗った。

───大丈夫かな……。






♢♢♢



「な、なぜ、あ……の子に優しくするのですか……?」

翠翔に恐れている父でも、なぜあんな奴が優遇(ゆうぐう)されているのだと疑問を持っているようだ。

「さっきその少年に言ったのが聞こえませんでしたか? あの子は俺の番だと」

「つ、つがっ……!?」

父は心底驚き、弟はありえないという表情をした。

「あ、あの姉さんが、番……? しかも、あの希龍家の……」

母と弟は事の重大さをやっと察したのか、みるみるうちに顔色が変わっていく。

「まあ……。詳しい話は、また今度しましょう。理解する時間も必要でしょうから」

翠翔は部屋を出ようと、ドアノブに手をかけた時、「あっ」と何かを思い出したように振り返った。

「貴方達が、美雪にした事は既にこちらは知っているので。逃げたりとかは出来ないと思ってくださいね」

その瞬間、外で勢いよく雷が鳴った。

龍の怒りを表したような翠翔の笑顔は、三人に恐怖を植え付けた。



♢♢♢






屋敷に帰ってきた二人は、翠翔の部屋でゆったりとしていた。

──私本当に、ここに住むことになったんだ……。それに、あの夢のこともまだ分かってないな……。

自分で一緒にいたいとは言ったものの、と今更恥ずかしくなってきて、頬が熱くなる。

「大丈夫か?」

翠翔の心配そうな声にハッとして、こくりと頷く。

「大丈夫です。だけど、自分で言ったことなのにまだ実感が湧かなくて──」

その時、翠翔から顎を優しく掴まれ、美しい顔が近づいてきた。

美雪は訳が分からずに、ぎゅっと目を閉じた。

頬に熱く、柔らかいものが当たった。

それが何なのかを悟った瞬間、みるみるうちに美雪の顔は赤くなっていく。


少しして、翠翔の顔が離れた。

「これでも、実感は湧かないか?」

「あ、う、わ、わきま、す……」

顔を真っ赤にして言う美雪に、クスッと笑った翠翔は「そうか」と嬉しそうに言った。

「これから、よろしく頼む」

翠翔は、美雪の頭を優しく撫でた。

「はい。よろしくお願いします」

美雪は、初めて感じる幸福感を噛み締めながら微笑んだ。

──この人となら、きっと大丈夫。

そう思いながら。



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