少女は、前に会ったときの、記憶のまま、少しも変わっていなかった。俺と同じくらいだった目線が見上げてくる。俺はいつの間にか、小夜子の背を追い越していた。
「もう来るなと何度言えばいいのか」
 熱を持たない声が、心地よかった。
「本当に帰れなくなるぞ。異界は、気軽に足を踏み入れるべき場所ではない。何度言ったら分かるのか」
 俺は嬉しくて、笑いながら応える。
「それなら、俺の前に姿を見せなければいいんだ。わざわざ俺を連れて歩かなくても、俺を元の場所に返せるだろう」
 なんとなく分かっていた。迷い込んだ者を覆い潰すのも、追い返すのも、小夜子は簡単にできるのだろうと。異界の者の不思議の力ならば。
「何を笑っている」
 小夜子の細い眉が不機嫌そうにひそめられる。小夜子はいつものように、俺に手を出した。その目は、俺が握りしめた小夜子の髪紐を見ていた。
 いつもみたいに、送ってやるから帰れというのだろう。
 俺はその手を見て笑う。
 差しのばされた白い手を掴んだ。小さい頃、握ろうとして断られた手だった。小夜子の背をとっくに追い越した俺の手には、小夜子の手は小さかった。細くて、頼りなくて、冷たかった。
 反対の手を伸ばす。ずっとずっと触りたかった頬に触れる。指が震えた。
 白い頬は、とてもやわらかい。ひんやりしている。
「明皓」
 小夜子は、驚かなかった。だた俺の名を呼んだ。止めようとするように。
「もう遅い。小夜子に触った」
 振り払っても無駄だ。もう遅い。
 小夜子は、ふと笑った。笑った顔を見るのは、はじめてだった。
 それはあきれ顔で、やわらかくて、悲しい顔だった。少しだけ、泣きそうな。
 ――そうか。
 俺は小夜子の手を強く握りしめる。
 そうか。分かってしまった。
「嘘なのか」
 異界の者に触れたら帰れなくなるというのは。
「嘘だ。信じていたのか。馬鹿な子だな」
 いつものように言う。
 なんでそんな嘘を。問いかけようとした俺よりも先に、小夜子は静かに続けた。
「だが、嘘ではない」
 黒い目が俺を見る。奥底を覗かせない目が、俺を見る。
「触れたら、離したくなくなる」
 だから、帰れなくなると言ったんだ、と。小夜子は、昏く笑った。
 俺は小夜子を包み込んで、その目をのぞき込む。
「だったら、帰さないでくれ」
「愚かな子だ」