お母さんが驚きの声を上げる。ぼくは一人で、夢を見ていたんだろうか? 暗い世界に迷い込んだのも、あのお姉さんに出会ったのも。
 でもぼくは、髪紐を握りしめていた。夜を集めたような、深い藍色の髪紐は、あの暗い世界で、お姉さんに会った証拠だった。
 良かった、と泣きながらぼくを抱きしめるお母さんに隠れて、ぼくは髪紐をポケットに隠した。

 親たちも、神社の人達と一緒に必死で山狩りをしたらしい。禁足地の中は、入れなかったというけれど。
 ――神隠しにあった少年。
 町の人達も、ぼくを置いていった友達も、ぼくを見るとヒソヒソとささやいた。
 あの子は普通じゃない。あの子は化け物に魅入られた。
 ぼくは、いじめられはしなかったけど、みんなから遠巻きにされるようになった。

 遊んでくれる友達がいなくなって、ぼくはひとりでグラウンドからみんなを眺めたり、図書館にいることが多くなった。一年経ってクラス替えがあっても、少しも変わらなかった。
 中学生になるまでの辛抱だ、と自分に言い聞かせる。顔ぶれが変われば、状況も変わるはずだ。そもそも、かくれぼの日にぼくを置いていった奴が悪い。親に言われて謝りに来たけど、ほんとは悪かったなんて思っていないんだ。ぼくの方が悪いって思ってるに違いない。
 それから、図書館の帰り道、あの神社の前を通りかかる。
 二度と近寄りたくないと思っていたけど。
 ひとりぼっちでいると、考えてしまう。
 あの山にいたお姉さんのことを。暗い世界に、赤い着物をまとった、白い頬。淡々とした声。だけど、ぼくを取って食わなかった、鬼。
 ぼくはあの時に手に残った髪紐を、ポケットから取り出す。いつもずっと持っていた。
 あれが嘘でも夢でもないことを、この髪紐だけが証明してくれた。そしてあのお姉さんがいたことも。助けてくれたことも。恐かったけど。
 どうせ、誰もぼくのことなんか気味悪がって、相手なんかしてくれない。またいなくなったって、困らないんじゃないか。
 それに――お礼を言ってない。
 ぼくは迷わず山の方へ向かった。雨風にさらされて、色が古くなってぼろぼろの縄がある。向こう側もこちらも、何も違うようには見えなかった。
 大きく息を吸ってから、注連縄をくぐる。だけど、何も変わらなかった。