「夜になると時折、我々の世界と重なるからだ」
「我々の世界ってなに。ここどこなんだよ」
「ここはお前の住まうところからすれば、異界だ。人の来るところではない。お前など生きてはいけない」
「そんなの、嘘だ。ほんとうはどこなんだよ! 神社の裏山のはずだろ!」
 ぼくが叫ぶと、お姉さんは大きくため息をついた。音もなくゆっくりと歩いてくる。
「泣いてくれるな、めんどうだな」
 しゃくりあげるぼくを、お姉さんは見下ろす。
 どうすればいいのかわからない、というような声は、叱るような声でもなくて。
「そうだな。鬼は出ないかもしれん」
 少しだけ困ったように言った。ため息をつく小さな赤い唇がやけに気になった。
「うるさい奴だ。いいから、ついてこい」
「本当はお前が鬼なんだろう。ぼくを食べるんだろう!」
「お前のようなうるさい奴がここにいると、皆の気が休まらぬ。帰してやるからついてこい」
 お姉さんはくるりと背中を向けた。一つに結んだ長い髪が、背中をはねた。
 途端に、ゾッとして体が震えた。またひとりぼっちになってしまう。
 知らない人について行っちゃいけないとか、そんなの散々言われてる。でも、こんな真っ暗で、寒くて恐いところに、ひとりじゃいられない。ぼくとこの人の他に誰も居ないような場所で、やっと会えた人において行かれたくなかった。
「待って」
 慌てて走り出す。こんなに真っ暗なのに。ちょっとでも離れたら、分からなくなる。
「置いてかないで」
 袖から見える指先に、掴まりたくなった。白い指を掴まえようとしたら、お姉さんが慌てたように手をどかした。
 振り返って、恐い顔でぼくを見る。
「触るな」
 強く、はっきりと言った。
 あからさまな拒絶に、ぼくはビクリと肩をふるわせた。
「わたしに触れるな」
 もう一度、言葉をなぞるようにお姉さんは言った。
「でも」
 ぼくの声が震える。
 ――でも、もし、万が一、はぐれたら。
 離れたらもう誰にも会えない気がした。お母さんにもお父さんにも、友達にも、誰にも。真っ暗で不安なのに、手を繋いだらダメだと言われると、お前なんかうざいって友達と喧嘩したときよりも、ずっとずっと心細かった。悲しかった。
「どうして、触ったらいけないんだよ」
「異界の者に触れると帰れなくなるぞ」
 帰れなくなる。