「くそっ!なんなんだよっ!」
薄暗い路地にて、男が纏っていた黒服を脱ぎ捨てながら、苛立ち紛れに文句を吐いていた。
「久しぶりに若い女が手に入ると思ったのに」
「仕方ないさ、検非違使が来たからには撤退する他ない」
他の2人も口元を覆う布を外しながら胸の内に膨らむ不満を呟く。
彼らは先ほど、抄華らを拐かした組織の一員である。検非違使が押しかけ、首謀者である男が捕まったため逃げ出してきたのだ。
「あーあ、折角良い女が手に入ると思ったのに」
怒り任せに、男は足元の足を蹴り飛ばした。それは、凄まじい勢いで飛んでいき、壁にぶち当たって焦茶の板にビシリ、とひびを作る。その力の強さは、人間には似ても似つかないほどだった。
「帝の道中があるってあいつに聞いたから、確かに色気ある女は多かったんだけどなぁ」
「今回はやけに数が多かったしな。おかげで10人ほど掻っ攫っても誰も気づきはしなかった」
「せっかく搾取できる好機だったのによぉ」
男らは嘆く。彼らがこういった事件を起こすのは、今回が初めてではない。
帝の番選びの道中には街中の女が中心の通りに集中する。誰もが帝に夢中で、身の危険など知らない。警戒が緩む女の中から、神力を持ち合わせていそうな者を選び、眠らせて運ぶ。それこそが彼らの仕事であった。
「それに今年は、強い神力の持ち主もいたじゃねぇか」
「ああ、あの女だな」
男たちの脳裏に浮かぶのは、黒服を着た集団ーー天狗ーーに連れ去られて行った女。
「相当な神力を持っていたらしいぜ」
「ちっ。売り飛ばしていれば大金が手に入ったのに」
その女も、結局は検非違使によって保護されてしまった。
「おしいなぁ」
男は拳を握りしめ、壁を思いっきり叩く。ドンっと大きな振動が生まれ、壁がひび割れた。ヒッと、中から微かな人の声が聞こえてくる。
「それによ、あいつ、最後、なんの飾りもない地味な女を見て驚いてただろ?」
「そんなこともあったな」
「なんでだか分かるか?」
尋ねられた2人は顔を合わせる。
「さぁ」
「あー、でもなんか言ってたな。ずっと探していたとか、ようやく見つけたとか。それに、運命人なんてことも言ってた気がする」
「運命人……?」
その言葉に、1人の男は首を傾げた。
(運命人……?どっかで聞いたことあるな)
と、男は思い出す。
遥か昔、暦でその文字を見たのか。噂として流れたのを小耳に挟んだか。
「運命人……運命人……あっ!」
男の頭の中で何かが光った。廃れていた記憶が鮮やかに蘇り始める。
「運命人は、あれだ。帝に次ぐ大きな神力を持った女のことだ」
「帝に次ぐ……?それって、ヤバいんじゃないか」
「ああ、滅多にいない、珍しい女だよ」
「まさか、それがあいつが言ってた……?」
「だろうな」
「じゃあ、そいつさえ手に入れれば……っ!」
男が瞳を欲望で輝かすも、その光は一瞬にして失せる。
「いや、だがそいつは検非違使と共に帝の御前に行ったんだっけか」
帝が居ては、女一人を連れ去るのも難しい。増してや護衛に検非違使がいるのだろう。状況は絶望的だ。
その時、バサリと空から黒い花が舞い散る。共に降り立ったのは、男たちと同じく黒服を全身に纏った者。
そいつは地面に足がついた瞬間、帯のように布がはらりと解けた。それらはそいつの足元に吸い込まれ、跡形もなく消え去る。
烏のような黒い翼、底の高い下駄、山伏の服装。それこそ、そいつの真の姿。
ーー天狗であった。
「おお、どうした」
男は天狗に問う。するとそいつは片膝を付き、こうべを垂れた。その様子に、どちらの立場が上から一目瞭然である。
「ご報告がございます。先ほど、ぬらりひょんが仰っていた女についてですが……」
「ああ、丁度今、その話をしてたところだ。何か分かったか?」
コクリと、天狗は首だけ動かした。ぬらりひょん、とは天狗らを指揮していたあの男。神力剥奪の力を持つ者のことである。
「どうやらあの女は、帝の御前には出向いてないようです。一部始終を見る限り、傘の男と共に街にいるかと」
「傘の男っつうのは……ぬらりひょんを討伐したあいつのことか?」
「はい」
「それも街に、か」
ふむ、と男は顎に手を当てる。女が帝の御前に行かないのも不思議だが、傘の男と街にいるほうがよほど不自然だ。
傘の男は何を考えているのか。そもそも、奴は何者なのか。あやかしを討伐できる人間だ。神力を持つに違いない。
男で神力。それも、強力な。その条件に当てはまる人間は、男には一人しか思いつかなかった。
「帝か……」
「えっ?」
「あの傘の男、おそらく帝だ」
「み、帝……!?なんでまた、そんな話に?」
「帝は実際に道中には参加しない。それに、ぬらりひょんを切れるほどの神力を持つ。それは帝しか当てはまらないだろ」
「でも、そしたら……」
いよいよ路頭に迷う。運命人と呼ばれる、強大な神力を持つ女を見つけたのは一遇の奇跡だ。しかし、女は今も帝と一緒にいるとなれば、手の出しようがない。
「どうすんだよ。あの帝だぞ?かなう筈がない」
確かに、帝という存在は自分たちが太刀打ちできるような相手ではない。でも。
「いくら帝が連れていったと言えど、番にならなきゃあいつのものにはならねぇよ」
「そうだが……女が帝の番になる申し出を断るとでも思ってんのか?」
男は頷く。確かに、彼の言い分は正しい。日本国の女にとって、帝の番とは最も名誉なことであり、全員が喉から手が出るほど欲しがる称号だ。それを断る考えなど、さらさらないだろう。
しかし、男は、問題ない、と口元を歪めてもっと嬉しそうに、そして愉しそうに笑う。
「女に帝の申し出を断らせればいいんだよ」
「はっ?」
訳が分からない、と一方の男は首を傾ける。
「断らせるって……」
「元はと言えば、運命人は帝の御前に行くことを拒んだ?おかしくないか?」
「それは……傘の男が帝だと知ってたんじゃないか?もしくは、明かされたか……?」
「いや、あいつが帝ということは、庶民は愚か、家族さえ知りえないさ」
「……」
「でも、断らせるったってどうすりゃいいんだよ?」
「毒には毒で、ならぬ、女には女だ。気の強い女どもを使って、あの気の弱そうな運命人を脅せばいい」
「なるほどな、そういう考えか……」
ふむふむ、と男が言ったことを解釈し、二人は男と同じ笑みを浮かべる。どうやらようやく分かってきたらしい。
「それなら出来そうだな」
「だろ?あとは番にはならないことを理由に帝から運命人を引き剥がし、俺らのところに連れ込めばいい話だ」
「ったく、お前の考えることにゃいつも頭が上がらないねぇ」
薄暗い路地で、3人の男は気味悪く笑い声を発した。彼らのいる場所の空気だけが澱んでいく。
「そうと決まれば早速行動をとらなきゃな。天狗、お前は運命人を見張っていろ。何かあれば念話で伝えろ」
「承知致しました」
深々と頭を下げると、天狗は再び黒い布を全身に纏い、翼を羽ばたかせて飛んでいく。
「肝心の女の脅し役の女はどうする?」
「狐女でいいだろ。番の座を欲しがってるし、何より俺らの仲間だからな」
「ああ。そうだな」
と、頷いた男の体に異変が訪れる。
肌の色が次第に黒みがかり、額の中央がバキバキと割れ始める。真っ黒に変色したそこから生えたのは、一本の角だった。
3人は鋭く光る角と爛々と光らせた瞳で顔を見合わせる。
「愉しみだなぁ」
その姿は、そう。
世にも恐ろしい姿と雰囲気を纏った。
鬼だった。