*

「そんなことがあったんだ」
「まぁな」

 羅衣源は満更でもない様子で淡々と答える。

(でも、きっと心の中では喜びの叫びを上げているでしょう)

 そう毒づきたくなるのも、彼にだけ持てる私の感情の一つかもしれない。

「じゃあ、私に声をかけてきたのも……」
「心が騒いだからだ」

 とても美しい表現で、羅衣源は言った。彼は遠くの真っ青な空を眺めている。その横顔が、ほんのりと紅色に染まっていた。

「あの時、私は抄華を探して歩いていた。そしたら男たちの声が聞こえたから、嫌な予感がして訪れたんだ。そしたら……」

 整った顔が、スッと私に向けられる。

「お前がいたんだ。見た瞬間、この人だと思った。私はこの人を探していたと」

 ドクンと私の胸が脈打った。くすぐったいけど高揚する何とも言えない気持ちが全身に広がる。

「私の魂が、私に叫んだんだ。訴えかけたのだ。そのおかげで、今がある」
「そうだったんだね」

 私は目を瞑って、スッと鼻の穴から立ち込める香りを肺に取り込んだ。甘く、時々爽やかで、何処か怪しい。それぞれの花が持つ個性を合わせた匂いが全身を駆け巡る。

 この匂いを嗅げるのも、帝である羅衣源の隣にいるのも、全てが偶然ではなかったと思うと不思議だった。
 
(私はそういう、特別な運命の元に生まれたんだ)

 現実味が帯びないけど、確かにそうだった。

 私はもう一度この景色を目に焼き付けようと、じっくり色を見つめる。この花園が生まれた話が、まさかそんなものだったなんて。

 おそらく私と彼と一部の人間しか知らないであろうその誕生秘話を知った今、目の前の景色がますます輝いて見える。

「もっと近づくか?」
「できるの!?」

 彼の言葉に、私は瞳を輝かせて問い返した。

「ああ、もちろんだ」

 ニッと不思議な笑みを浮かべた羅衣源は、私の手を取り庭に降りる。

 よく見ると、花と花の間に石畳の道が敷かれていることに気づいた。私は羅衣源と共にその道に足を踏み入れ、花園の中心へと向かう。

 自分のすぐ隣に、可愛らしく咲いた花が並んでいる。横を通るたび、ふわっと鼻腔をくすぐる爽やかな香り。

 真夏の太陽をたっぷりと浴びた向日葵が、私の体に軽く当たって揺れていた。綺麗、だなんて思った時、向日葵の匂いを打ち消して甘い香りが迫ってきた。

 何だろう、と振り返れば水仙が顔を向けている。心のときめきを感じる。

(夢みたい。こんなことが叶うなんて。なんて素敵なんだろう)

 振り返っただけで別の季節の花を見られる。まるで、時を自由に行き来しているみたいだ。
 
 私は忙しなく顔を動かして、あらゆる花達に視線を送った。そして、心の中で話しかける。

 みんな、とっても綺麗だね。
 どの花も、一番輝いている。
 だから、これからも元気に咲いてね。

 声をかけるたび、花は揺らめきで返事をする。分かったよ、ありがとう、と。四季折々の花と会話しながら足を進めると、いつの間にか花園の真ん中にいた。

「抄華、周りを見てみろ」

 言われるがまま視界を360度回転させると、私の心はまたも驚きに満ち溢れる。

「素敵……」

 屋敷の縁側から見るよりも断然いい。春、夏、秋、冬の花々が私を取り囲んでいて、四季という時間軸の狭間にあるような感覚になった。

「ここは気に入ったか?」

 毎度同じように、羅衣源は私の感想を尋ねてくる。

「うん、気に入ったよ……すごく気に入った!」

 満面の笑みを彼に見せた。このぐらいでもしなきゃ、私の心のうちは表せない。

「そうか、お前が喜んでくれて私も嬉しい」

 彼は頬を、丁度椿と同じように赤く染めた。照れてる羅衣源は、花に混じってしまいそうだった。

(花々を背景にしている彼もまた、魅力的だな)

 美しい美貌と可憐な花々はとても合う。声に出さす、そっと心で言ってあげた。

 そんな気持ちの私は、羅衣源をじっと見つめていたらしく、彼はその視線を感じ取ったのか、首をかしげた。

「どうかしたか?」
「いや、似合うなぁって」

 思わず口走った後で、しまったと慌てて口を閉じた。

(なんてこと言ってるの私!)
 
 さっきは心の中で留めておくと決めたのに。
爆発しそうなほど真っ赤になるも遅く、羅衣源は喜色を交えてニヤッと笑う。

「私がそんなに美しいか?」
「あ、いや、その……」

 最初は自然を泳がせていたが、彼のしつこさに耐えきれず、声を張り上げた。

「う、美しいに決まってるじゃない!」

 言ってしまった。それも、もう投げやりな気持ちで。

(もうどうにでもなれ!)
 
 しかし、意外にも羅衣源の態度はあっけない。

「そうか、抄華はそう思っていたか」

 こともなかった。

 彼は次の瞬間、腕を伸ばして私を自分の元へ引き寄せる。

「ほぇっ!」
 
 何が起こっているかを理解させる暇なんて渡さない。

 彼は私の頭をそっと撫でてから、軽く口づけをした。

「……っ?」

(えっえっ、今、何が起きたの?)

 一瞬すぎて、しかも私の頭上で起きたことなんて見る術もない。でも、確かに聞こえた。「ちゅっ」という音を、私の耳はしっかり捉えていた。

「ちょ、何したの!?」
「ん、何だと思う?」

 またこれだ。羅衣源は悪戯っぽく笑って勿体ぶるばかり。

「〜〜〜っ!」

 完全にやられた、なんて思っていると、彼は私の両手をそっと取った。

「私のことを美しいと思えるなら、抄華。私の妻になって欲しい」

 今さっきとは打って変わって、凛とした声で言い放つ。欲望、愛、緊張……さまざま入り混じった感情が、彼の表情を形成していた。

「私はお前の全てを愛している」

 同じ言葉、同じ意味。でも、その言葉に対して私が抱く感情は、今までのどれとも違う。

 私は今、羅衣源の緊張を解く。

「はい。私も、羅衣源とずっと一緒にいたい」

 張り詰めていた空気がふっと解けたことを、肌が感じ取った。私は顔を上げて、にっこりと微笑みを見せる。彼に向けての、特別な笑みを。

「私も、あなたしか見ていないから」

 羅衣源は驚いたように動きが固まる。しかし、直後解けた柔らかい笑顔を浮かべた。

 どうやら彼の感情は今、喜びが勝っているらしい。今度は真正面から私の顔を寄せて、唇に柔らかいものを押し付けた。  

「んっ……!」

 羅衣源の顔が信じられないほど近くにある。ドクドクと心臓が激しく動悸しているけど、不思議と心地よい。

 私も負けずに唇を押す力を込めた。フニッと優しい感触がある。甘いような苦いような酸っぱいような、なんとも言えない味が口の中に広がる。

 私達は、そのまま長い間唇を重ね合わせた。瞬間、強い風が私たちの周りを吹き抜け、花びらを大胆にまき散らす。

 色鮮やかな花びらの吹雪が、二人だけの空間を作った。まるで、私達の婚約を祝福してくれているかのように。

 その中に、植えられていないはずの桔梗の花びらが舞っていたことは、私と羅衣源だけの秘密。