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「くそっ……っ!一体何処へ行ったんだ」

 私は焦っていた。無我夢中で街を駆け巡り、愛おしいあの少女の姿を探す。だが、何処に行っても見つからない。

「何故……何故なんだ抄華っ!」

 ぎりっと奥歯を噛んだ。彼女が見えないことに、そして、こんな事態になってしまったことに苛立ちを覚える。

 抄華と私を引き裂いた、謎の煙。あれは間違いなく、あやかしによる襲撃だ。赤紫の煙は、奴らが使った神力が汚染されたもの。すなわち、邪気による攻撃。

 一目見た瞬間に分かった。今まで何度あやかしに出会い、その力を目の当たりにした。その経験が、魂に警鐘を鳴らす。

(私が見た邪気は、ただものではない)

 触れられただけでぞくりと背筋に走る悪寒。甘ったるく、それでいて鼻の奥が痛むような匂い。毒々しさを醸し出す色合い。
 
 普通のあやかしの神力が汚染されただけだったら、あれほどまでに悍ましいものにはならない。つまり、力の強いあやかしが放ったものだ。

(少なくとも、正十位以上であることは間違いないな)

 だが、そうだとするとかなり強力な相手となる。人間の自分が、そいつに太刀打ちできるかどうか。

(いや、怯えるな)

 私は自身を叱責する。そんなことで恐怖を覚えていてはこの先やっていけない。愛する人を連れていかれたのだ。何としてでも、それこそ命をかけてでも取り戻さねばならない。

 炎天下、走り回っているせいか額に汗が滲み、頬をつたって落ちる。人の間を掻き分け、とにかく足を動かした。途中ではぶつかったり文句を言われたりとしたが、通行人などどうでも良い。大切なのは、抄華を見つけること、ただそれだけなのだから。

「っはぁ……はぁっ……はぁっ……」

 走り回っているせいで足に溜まった疲労から限界を感じ、人気の少ない日陰で立ち止まる。傘を被って太陽を遮っているにも関わらず、体が燃えるように暑かった。

「くそっ……なんで、だ……何故、見つからない……」

 これだけ体力を削っているというのに。これだけ必死になっているというのに。抄華の姿は未だに確認できていない。彼女が消えてからすぐに駆け回ったため、近くにいるだろうと思ったが、甘かった。

「一体、どうすればいいんだ……?」

 どうしようもない怒りと不安が競り上がり、拳を握りしめる。一刻も早く見つけなければならないのに。

 早く助けなければ、彼女は……。

「……っ!」

 最悪の事態が脳裏をよぎった。

(いや、まだ決まったというわけではない)

 一番迎えたくない結果を仮定する前に、力を尽くす方が大切だ。とは思っても、やはり場所が分からないのでは無駄骨となってしまう。連れていかれたところなんて見当もつかない。もし転送の力でも使われていたら、それこそ探しようがない。

「……っ!私は、まだ、無力だ……」

 いくら帝と言えど。
 いくら神力を扱えると言えど。

 所詮は、まだ未熟な生き物だ。大切な人一人さえ守れないのでは、国を治めることなど到底できない。

 途方に暮れていた。何をすれば良いのか、どうすることが正しいのか見えない。困り果てた末に俯く。

 不意に、ふわりと甘い香りが鼻腔を駆け抜けた。邪気の匂いとは違う、甘くて、爽やかな青色の香り。

 ハッと顔を上げれば、目の前に紫色の花びらが数枚、ふわりと舞っていた。それは、懐にしまっていたはずの桔梗の花びらだった。九尾に貰い、抄華に名を教わった花。風か、と思ったが違う。今、街は無風に等しい状態だった。すなわち、この花自身で浮いている。

「これは、一体……?」

 花びらを掴もうと手を伸ばすが、桔梗はするりと私の指の隙間をすり抜ける。そして、ゆっくりと浮遊しながら前へ進んでいった。全ての花びらが、同じ方向に。

 ハッと、ある予感が閃く。

「もしかして、抄華の場所を知っているのか……?」
 
 声にするも、相手は無機物。もちろん返事などしない。だが、私には頷いたように見えた。

 九尾の神力が宿っているものだ。自ら抄華の居場所を検索し、突き止めたのかもしれない。

 これについていけば、彼女を見つけられるかもしれない。あくまで仮定。しかし、そうであると心の中の何かが確信する。

 ごくりと喉を鳴らして、私は日陰から出た。

「待ってろ、抄華」

 ふわりと舞っていく花びらに導かれた道を、私は再び駆けた。