宮橋が静かな微笑を口許に浮かべて、グラスに浮かんだ水滴を眺めながら静かにそう言った。カヨが不思議そうな目を向けると、そっと目を閉じて「やはり、あなたは知らないか――いいえ、お話を続けてください」と優しい声色で促す。

 どうしてか少し寂しそうな気配を覚えて、真由はちらりと横目に見上げていた。彼は視線を返してはこなくて、気付かないふりでもするみたいにグラスを手に取った。

「子供が五歳になった年の夏の、いちだんと蒸し暑かった夜の事です。近くに住んでいた、彼の十歳年上のお兄様が騒ぎを起こしていると、深夜遅くに扉を叩く者がありました。私は子供が心配だったので、家で待っておりました」

 そう話しだしたしカヨが、俯いて膝の上でぎゅっと自身の手を握り締めた。

「しばらくして、夫は義兄を連れて帰って来ました。義兄は、ひどく気が動転しているようでした。心配する私にも『話しかけるな、放って置いてくれ』と普段の彼からは、想像がつかないほどの荒々しい声で言って、こちらの話を全く聞いてくれませんでした。夫とどうにか部屋に運ぼうとしましたが、彼は辺りを見ては始終叫び散らしておりました。『俺は決してしない』、『お前の魂胆は分かっているんだ』と」

 話を聞いていた真由は、その内容を想像して少し怖くなってしまった。つい、身体に力が入った事も気付かず、視線を落としているカヨを見つめていた。