魅入られたと知らずに、その異界に心を奪われて、
 
それを恋だと錯覚した僕たちは、
 
正しく生きなければならない、この世界の理を踏み出して
 
どこまでも、どこまでも落ちていくのだ。


          ◆◆◆

 ねっとりと肌にこびりつくような生温かい空気は、吸い込むと自分が吐き出したものと区別がつかないほどの息苦しさを覚えた。本格的な夏が訪れてから夜風もぴたりと止み、町には熱気だけが溢れている。

 建物の裏に設置された排気口からは、建物内部を常に冷やし続けている冷房機の熱気が吐き出されていた。鼓膜を低く叩くその音と熱気に、少年は衣服が汗で張り付く心地悪さを強く感じた。

 額に浮かぶ脂汗を拭おうと上げかけた手に、ピキリと痛みが走り、少年は眉を寄せた。夕方に降ったにわか雨がたまった水辺に、街灯が鈍く反射して、自分の姿がゆらりと映っているのが見えた。

 そうか。また、顔以外を殴られたんだっけ。

 ひどく無関心に思って、少年は辺りを見回した。少し休みたい。そう考えて座れる場所を探す。

 鈍い動きで制服についた埃や靴跡を払い、すぐそばにあった瓶ケースに腰を降ろしてみた。頭上にある排気口から、むっとした熱風を直に受ける位置だと遅れて気付いたが、まぁ仕方ないだろう。

 回らない腕を、どうにか後ろへと回して携帯電話を取り出した。

 時刻は午後八時二十三分。両親には、今日も学校で数学の講座を受けると伝えてある。下校時刻だからだいぶ経ったこの時間に帰っても、大騒ぎになるようなことはない。

 少年は、脇に転がっている通学鞄を見やった。彼らはいつも、鞄や顔だけは傷つけない。どうしてだろうと考えたところで、やはりどうでもよくなって吐息をもらす。

「疲れた……」

 少年は、抑揚なく言葉を吐き出した。遠くから鈍く響いてくる、都会の喧騒を聞いた。