しらすの彼

「バイト、って言ってませんでした?」
「うん。今はバイトの身。任務中にここ、やっちゃってね」
 そういって相良さんは、立てた自分の膝を、ぽん、と叩いた。

「普通に生活する分には問題ないんだけど、今までと同じ任務にはつけなくなっちゃって。その頃、独立してた先輩が声をかけてくれたから、退職して今はそっちに。バイトで、民間の探偵みたいなことやってる」
「もしかして、私、囮に使われました?」

 私が小野先生に執着されているのを知っていて、私に近づいたんだろうか。
 相良さんは、苦笑する。

「結局は、そうなっちゃった。誤解しないでほしいけれど、最初はそんなつもりじゃなかったんだ」
「最初?」
「あのスーパーで顔を合わせるようになったのは……君の近所に住んでいたのは、本当に偶然。君が小野と関係があると知ったのは、あいつが君をつけてきた日。まさか知り合いだとは思わなかった。君が狙われていることを知ってどうしたものかと上と相談したんだけど、うまくしたら今度こそ小野を起訴できるかも、ってことになって」
「やっぱり、囮にしたんですね」
 私が呟くと、相良さんは眉間にしわを寄せる。

「ずいぶん迷ったんだ。君は何も知らない一般人だし。だからあのまま小野を泳がせようって決まった時に、絶対君を守るって決めた。傷一つつけないように、俺が守るって。あ、万が一のために設置した防犯カメラ、あとでちゃんと撤去しとくから。ちなみに、部屋の中にはなにもしてないから安心して」
「……ちゃんと話してくれればよかったのに。勝手です」
 事前に話してくれれば、こんな風に怖がらなくてもよかったかもしれない。
 それが、守秘義務のある仕事だから仕方ないとしても。

「うん。巻き込んじゃって、本当にごめんなさい」
 そういうことがあったから、あの日、相良さんは私の家の前で見張りをしていてくれたんだ。
 そう言ったら、相良さんは私を気遣いながら言った。

「あいつ、狙った女性宅に夜中に忍び込んだこともあるんだ。結局同意があったということでそれも不起訴。おそらく脅されていただろう女性の証言を、俺たちは覆すことができなかった。彼女を救ってあげられなかったことが、本当にくやしかった。でも、もしかしたら今回の事で……」
 相良さんの声がぼんやりと流れていく。

 なんだ。そうだったんだ。
 私のことを心配してくれていると思い込んで、一人で浮かれてた。
 ばかみたい。すべて、小野先生を捕まえるために必要なことだったのに。

 私は、膝の上にのせた自分の手をみつめる。
「私を守ってくれたのも、家まで送ってくれたのも……みんなみんな、お仕事のためだったんですね」
 つとめて普通に言おうとしたけど、声が震えた。

 好き、になって、いたのに。
 相良さんは、ただの仕事で私の相手をしてくれていたんだ。なのに、自分が特別のような気になって。
 全部、私の思い込みだったのに。

 無理に作った笑顔を、相良さんに向ける。
「小野先生を捕まえたのなら、もう私に用はないですね」
「浅木さん」
「あは。相良さんといて、とても、楽しかったです。でも心配しなくても、もう、声、かけません、から……」
 あ、泣いちゃいそう。

「違うんだ、浅木さん。俺は……」
 少し焦ったような相良さんの声。
 私は、涙がこぼれないようにぎゅ、と目をつぶった。
「何が違うんですか! 全部……全部、嘘だったくせに!!」
「だからそれは……」
「それが、まるきりの嘘でもないんだな」
 突然、相良さんじゃない男の人の声が聞こえて私は顔をあげた。

 いつの間にか薄く部屋のドアが開いて、そこにスーツを着た男の人が一人、立っているのが見えた。

「不用心だね。小野は捕まえたけど、どこに変質者がいないとも限らない。ちゃんとドアの鍵は掛けとかないとだめじゃないか」
「諏訪さん」
 相良さんも驚いているようだった。その男の人はするりと部屋に入ってくるとドアを閉めた。