男装獣師と妖獣ノエル ~騎士団で紅一点!? 幼馴染の副団長が過保護です~

 ユリシスが怪訝な顔のまま手を差し出して来たので、ラビも彼の手を握った。大きな手はやや冷たく、ラビの力に合わせてしっかりと握り返される。

 なるほど、これが挨拶かと、ラビは物珍しそうにそれを眺めた。

「ではラビ、僕にも挨拶してくれますか」

 手を離してすぐ、セドリックが向き直って来たので、ラビは彼にも手を差し出した。しかし、彼はラビの手を握ったかと思うと、不意にその手を引き寄せて抱き締めてきた。

 苦しさと困惑で、ラビは「うぎゃ」と色気のない短い悲鳴を上げた。セドリックの身体はノエルのように暖く、身体は大きくて硬かった。堪らず彼の胸板を両手で押し返すが、更に強く抱きしめられて身動きがとれなくなる。

「な、ななななな何ッ?」
「知らないんですか、友人同士の挨拶の抱擁ですよ。いつもノエルとやっているでしょう?」

 セドリックが、非常に落ち着いた声色で答えた。

 ラビは、ノエルとの日常的な触れ合いを思い出したが、あれは親友だから出来るのであって、セドリックの挨拶とは訳が違うと思った。
「ノ、ノエルは親友だからッ」
「僕だってラビの幼馴染で、あなたとは付き合いの長い友人同士です。何だか、僕だけが仲間外れのようで寂しいですよ」

 昔から付き合いはあるのだし、確かに親友に近い存在ではあるような気はする。

 しかし、苦しい事に違いはないのだ。めいいっぱい背中から締め上げられ、ラビの身体は悲鳴を上げていた。

「……友人同士のスキンシップっていうか、これ一方的に抱き締められているだけなんだけどッ。お前今までこんな事しなかっただろ! 苦しいからッ、はーなーせー!」
「社会に出て、友人同士の付き合いを学びましたからね」

 セドリックは、涼しい顔でしれっと答えた。ラビの髪が顎先に触れるのを感じながら、ふと苦しそうな表情で、彼は華奢な身体を更に強く抱き寄せた。

「――嫉妬しますよ。どうか、僕以外の男に触らせないで下さい。焦燥でどうにかなってしまいそうだ」

 風が吹き抜けた一瞬、彼は口の中で小さく囁いた。

 ラビは、風の音で聞き逃してしまった。彼が何を呟いたのか不思議に思ったが、苦しさに変わりはなかったので、強硬手段に出る事にした。
「くっそぉ、礼儀作法なんてクソくらえ!」

 勢い余って右足を振り上げたが、セドリックがひらりと離れていった。ユリシスがどこか苦々しい顔で、言葉使いの悪さを指摘したが、ラビは反省の色もなく二人を睨みつけた。

 どこか少しすっきりとした表情で、セドリックが、申し訳なさそうに微笑んだ。

「すみません、ちょっとした友人のスキンシップだったんですよ。どうか怒らないで下さい」
「どうせ、オレは礼儀作法の一つも知らねぇよ、悪かったな」

 ラビは舌打ちした。

 セドリックは馬車に戻る前に、ラビに「旅の件は保留にしておいて下さいよ」と何度も念を押した。必ず話し合う時間を作りますからと、有無を言わせず強く断言する。

 一体何を話し合えというのだ、とラビは鼻白んだ。旅とは、自由気ままに出ていいものではないのかと彼女が愚痴ると、ユリシスが物知り顔で「旅にもいろいろとあるのですよ」と上司を擁護した。ラビは、やはり彼の事は嫌いだと思った。

 二人を乗せて馬車が出てすぐ、ラビとノエルは、今度こそようやく踵を返して、我が家へと入っていった。
 帰宅してからしばらく、何故か、薬草師と獣師の双方が忙しいという滅多にない日々が続いた。

 二週間近く店を閉じていたせいなのか、まず、薬草を欲しがる常連客の訪問が続いた。紹介されたという人が不思議なほど多く、遠くから老年の男女までやって来て、腰通に効く塗り薬の材料を数人前も購入していった。

 ノエルは、帰宅してから二日ほどで【月の石】の副作用がようやく抜け、人が来ても堂々と寝転がれる幸福を噛みしめていた。

 薬草師として忙しい間、獣師としての訪問相談も続いた。

 獣師としての仕事に関しても、何故か隣町から数時間かけて馬車でやってくる人もいれば、遠方から半日以上かけて立ち寄る人もいた。こちらもまた紹介を受けた人がほとんどで、ペットを引き連れての直接相談も続いて、それだけで一日が終わってしまう事もあった。

 獣師の相談依頼については、新規の客のほとんどが「恐れ知らずの、ちょっと風変わりな若い獣師様ですよね?」と開口一番に問いかけて来て、ラビは困惑するばかりだった。

 事情は分からないが、専門技術は持っていない事を前もって伝えて、相談は断らずに受けた。

 直接持ち込まれたペット相談については、動物によって症状も様々だった。単に餌の好き嫌い、実はアレギー持ち、恋の悩み、ストレス等あった。軽い捻挫や腰痛などに関しては、獣医に診てもらう事を勧めた。

 すると、明らかに地らの周辺区域出身ではない御者から、馬を見てほしいという相談まで来て、ラビは、ますますおかしいぞと感じ始めた。

          ※※※

 ラビの家に、珍しく手紙が届けられたのは、翌月に入って夏の日差しが暑くなった頃だった。

 忙しさに落ち着きが出た久々の休日、旅にまだ出られていない自分の状況に気付いて落胆していたラビは、ほとんど確認も忘れてしまうぐらい利用頻度のないポストに、手紙が挟まっている事に気付いた。
 手紙の差し出し人は、ルーファス・ヒューガノーズだった。

 セドリックの四歳年上の兄であり、ヒューガノーズ伯爵家の長男である。定期的に手紙を貰ってはいたが、こんな中途半端の時期に来るのは珍しくて、てっきり、母親のついでに手紙を書いたのだろうと思った。

 手紙には、癖のない綺麗な字でこう書かれていた。


『久しぶりだね、ラビィ。元気に暮らしているかい?

 君が手紙を読み進める事を放棄する可能性を考えて、堅苦しい前置きは省略しておこう。

 日々薬草師と獣師の仕事を頑張っている事は知っていたが、先日はセドリックに協力して見事、氷狼の事件を解決したらしいね。

 ちょっとした君の武勇伝の報告を受けた時は、大いに笑わせてもらった。でも危ない事は、あまりしないようにして欲しいとも思う。騎士団にも面子というものがあるから、打ち負かした事は、私達だけの秘密にしておこう。

 そういえば、ラオルテの一件で、怖い物知らずの風変わりな獣師の話しが伝わっているらしいけれど、知っているかい? 

 商人や旅人も多い町だから、恐らく君の事を知っている人でもいたんだろう。調べさせたら、

「剣をふりまわして、害獣も診る金髪金目の風変わりな獣師だけど、実は私のお得意先の薬草師でもあってね」

 と語っている、やたら元気な医者がいたそうだけど、多分心当たりはあるだろう? 君には『ゲンさん』と呼ばれていると、誇らしげに紹介して回っていたらしいよ。

 それから、近々母上が王都に戻る事が決まったよ。使用人も全て移らせるから、またスコーン三昧になりそうだ。

 あと、今回手紙を出したのは、こちらが本題なのだが、セドリックや他情報提供者から、君が村を出て行こうとしている件を聞いた。
 ゆく先の決まっていない旅については賛成できない。

 君の事だから、自分の家に帰ると言い出した時のように、忠告を聞かないだろう。だから、心苦しいが強硬手段をとる事にした。

 旅に出るのなら、私を納得させてからでないと許可しない。

             王宮騎士団総団長ルーファス・ヒューガノーズ』


 随分と強気な手紙だ。喧嘩を売っているのだろうかと、ラビは眉を潜めた。

 八年前、ラビが自分の家に戻るといった時は、伯爵や夫人は納得してくれていた。当時、ルーファスもセドリックも少年であり、強い反対は見せていなかったような覚えはある。二人とも、ラビが少ない荷物を持って伯爵邸を出る時は、口を噤んで黙っていた。

 そもそも、自分で決めた行動を起こすのに、何故ルーファスやセドリックの許可を得なければならないのだろう。

「別に、ルーファスの納得とかいらないし」

 彼のいう強硬手段については、恐らく伯爵夫人から説得でもされるのだろうと安易な想像が浮かんだ。

 しかし、こちらの決心は固いのだ。仲良くしてもらっている使用人総出で引き止められたとしても、ラビは旅に出るつもりだった。
 最後は喧嘩を売るような失礼な手紙でもあったが、客入りが妙に増えた事は納得出来たし、伯爵夫人が、ようやく王都で家族一緒に暮らせる事は喜ばしい報告だ。ビアンカも、さぞ喜んでいる事だろう。

 ラビは、ルーファスの喧嘩のような文面を忘れる事にして、手紙をしまおうとした。

『ポストの前で何してんだ?』

 先程まで鳥を眺めていたノエルが、ラビが持つ手紙に気付いて歩み寄った。彼は『ちょっと見せてくれよ』と手紙を覗き込み、尻尾でラビの背を優しく撫でた。

『なんだ、伯爵家の長男坊か。ずいぶん強引な文章だな』
「ルーファスは、旅に反対だってさ」
『……なぁ、最後の文面がすっげぇ引っ掛かるんだが』
「そう? 気のせいじゃない?」
『いや、あの長男坊ってあれだろ、人間にしてはちょっとやばい系の――』

 その時、ラビは通りを走る数台の馬車に気付いた。

 先頭にある馬車は、黒塗りで見覚えのない紋章が入っており、それを追うように二台の馬車が続いていた。後方の二台は、見覚えのある王宮騎士団のもので、ラビは「何だろう」と他人事にそれを見つめていた。

 セドリックか、ルーファスの帰省かな?

 先頭を急ぎ走る馬達も立派で、物々しささえあったので、貴族の考える事は分からんなぁと思いながら、ラビは踵を返した。

 その時、黒塗りの馬車から顔を伸ばした一人の男が、ラビの後ろ姿にむかって「ラビィ・オーディンだな!」と耳をつんざくような肺活量で主張した。

 ラビは飛び上がり、ギョッとして足を止めて振り返った。一体何事だと身構えている間に、三台の馬車が彼女の家の前の道で停まった。

 一台目の馬車から急くように降りて来たのは、黒い制服を着込んだ、四十代ほどのいかつい男だった。四角く浅黒い顔をした、鋭い眼光と濃い眉をした黒髪黒目の中年男は、あっという間にラビの眼前までやって来た。
 彼と同じ制服に身を包んだ二名の若い男達が後から続いて、彼の後ろに軍人立ちをして背筋を伸ばした。

 ラビが怖々と見上げていると、三人の中で一番偉いらしい先頭の大きな中年男が、視線だけでジロリとラビの姿を見据えた。

「お前が、ラビィ・オーディンだな」

 男は、大きな声でハッキリと口にした。ラビが「そうだけど」と口ごもると、彼は顎を引いて背筋を伸ばした。

 騎士団の馬車から、セドリックとユリシス、テト、ヴァン、サーバルが降りて駆け寄ってくる間に、男は構う事なく宣言した。

「私は王宮警察部隊のオルゴン・サリーだ。このたびは対害獣法令、貴重人材適正法が施行され、対象のラビィ・オーディンは、これより王宮騎士団の管轄下に置かれる事となった」
「は……?」

 ラビは、オルゴンと勝手に名乗り、淡々と語り出した男を茫然と見上げていた。

 そもそも対害獣法令って、なんだ……?

 一体何が起こっているのかよく分からなくて、難しい言葉を並べ続けるオルゴンの話を、ラビはしばらく聞いているしかなかった。
「当法令の施行については、全権限を王宮騎士団総団長が持ち、対象者は王宮第三騎士団が身柄を預かり、終了の日まで全行動権限が制限される。――以上」

 以上って何!? 

 ラビは我に返ると、「ちょッ、コラおっさん!」と詰め寄った。オルゴンの後ろに控えていた二人の部下が、「なんて失礼な」「命知らずなのか」と唖然としたが、ラビは脇目を振らなかった。

「何勝手に喋ってんだッ。つか、なんとか法って何さ!?」
「十八歳未満の獣師に適用される特別な法令である。お前で三件目になる、喜ばしく思え」

 オルゴンはラビの態度も気にせず、感慨深く肯いた。

「そんな事聞いてねぇよ!」

 こいつと話しても無駄だと悟り、ラビは、セドリックを振り返った。彼は目が合うなり、ぎこちなく片頬を引き攣らせるような愛想笑いを浮かべた。

「久しぶりですね、ラビ。お元気そうで何より……」
「久しぶりじゃない! なんだよコレは!?」

 彼女が思わずセドリックの胸倉を掴みかかると、彼は「すみませんッ」と反射条件のように謝罪を口にした。テト、ジン、ヴァン、サーバルが彼の後ろで、ラビを同情の眼差しで見守っていた。