ハイソンが新任だった頃、西の研究棟地下にある施設の大半の部署が忙しく走り回っていた。研究員というのは、当時は大学でも人気の職業ではあったし、内容も給料も魅力的だったという事もある。

 戦争を知らない若き学生たちは、謎や秘密に探究心と魅力を感じていた。

 昔からハイソンは、世界の謎を追う事に興味があった。部屋に閉じこもり、四六時中本を読んでいるような人間だった。パソコンが普及してからは、ネットにかじりつき、様々な非科学的サイトを閲覧して暇を潰したりした。

 頭は良かったが、期待された事はなかった。少しどんくさいところがあり、小振りでふっくらしたところも仲間から尊敬されなかった。

 運動は全然駄目で、唯一のとりえは真面目なところだけだろう。

 推薦採用された研究所には、当時たくさんの研究員が所属していた。技術室以外のオフィスには資料が積み上げられ、片付けるには何年かかるだろうかと、仲間内で囁かれていた程だ。

 暇のある者はすぐパシりにされたし、とにかく体力が大事だからと、新人が雑用を押し付けられる事も珍しくなかった。新入りは専任の部署を与えられず、人手の足りない部門の雑用を押し付けられながら研修期間を過ごすのだ。

 膨大な資料を飽きもせず、毎日せっせと真面目にデータ化し片付ける者は、ハイソンぐらいのものだった。

 数カ月も経つと、そこがハイソンの研修期間内の専任職となった。もっぱら一人で忙しく走り回り、時間も忘れて資料の中に埋もれる日々は大変だったが、放り出されてしまった研究や、謎に関わる資料の内容に自然と目が引きこまれ、ハイソンには面白くもあった。

 気付けば、数十人いた同期は、彼を含めて三人にまで減ってしまっていた。皆、面白味を感じなくなって辞めてしまったり、希望を出して余所へ移っていったらしいと風の噂で知った。