十三区もある僕らの町では、どんなことも仕事になる。

 たとえば靴を磨いたり、飼い主のかわりにペットの散歩に行ったり。赤子のオムツやゲロだけを片付ける仕事だけでなく、毎朝の起床を手伝うベル・チルドレンだってあった。

 当たり前のように義務教育を受け、住んでいる場所に関係なく大学に進学し、遊ぶ暇もあったなんて時代は、とうに昔のことだ。旧市街区には、確かに政府が救済とする総合学校があるけれど、仕事の合間に顔を出すだけで卒業資格が与えられるというずさんなものだった。

 そこには、政府から派遣されるずだった職員なんて一人もいない。教育の専門家達は、今や国にとって貴重で数も少なく――もうそこから既に差別化がされていて、僕らは卒業すると『最下層の人間』という認定を持たされて世に送り出されるようなものだった。

 清掃業の勤務歴八年、今年二十六歳になる僕が担当しているアパートD棟は、中央に細長い階段をもった物件だ。狭い階段を挟んで、各階に二つある部屋の玄関が向かい合っている。劣化したコンクリートは黒ずみ、窓枠が残っている階段は、いつも薄暗かった。

 僕の仕事は、午前七時三十分に会社へ出勤することから始まる。勤務の行動開始は午前八時ぴったりで、それまでにブラインドを開けたりと社内の整理整頓と軽い掃除を行い、それから時間になると仕事道具をかついで、徒歩五分の場所にある担当物件へと足を運んだ。

 アパートD棟には、六台分が停められる駐車場があった。所々錆がある軽自動車が二台停まっているだけで、いつもがらんとして殺風景だ。

 まずはそこで、風で運ばれてきた落ち葉や塵を簡単に集める作業にとりかかる。ひび割れたコンクリートにある緑や黒の苔は、月に一回落とすとして階段も同様にスピード感をもって進める。何故なら、お客様の部屋の掃除を丁寧に、時間をかけてしっかり行うことがメインであって、外には体力や時間をかけないものだったからだ。