鴇田としては俺が学校から逃げるという絵を理想としていたのだろう。『HR後残って』なんてお誘いを受けるようになった。

そのたびに誘いを断るのを、「そうか」と受け入れる紙原たちの反応をありがたくもどこか寂しくも感じた。しかしそれ以上に、彼らがそばにいてはどれだけ弱ってしまうだろうという恐怖もあった。

 ある日の二人きりの教室で「ずいぶんしぶといね」と鴇田はいった。「そりゃどうも」と憎まれ口を叩いたのはただの強がりだった。

 「知ってるでしょ、私がやってるって」

 「知ってたらどうしろって?」

 「なんで喚かないの。先生にでも、ちくればいいのに」

 「なんで」

 「被害者になりなよ。私を加害者にしなよ。なんでそんな、なんでもないようにしてんの」

 「なんでもないから」もちろん嘘だった。なにもかも、怖くて仕方ない。ふと蘇った拓実の『怖いなら、見なければいいんだよ』という声に泣きそうになる。

 なにかすごい音がした。頭を叩かれたような音だった。けれど痛むのは左頬だった。いつの間にか、俺は右方へ首を向けていた。

 「びびってんじゃん」

 喉の奥で震えるものを飲み込んで、「そう見える?」と虚勢を張る。

 「なんでそんな顔してまで耐えてんの。馬鹿じゃないの」

 なんで——。ああ、なんでだろうな、とふと笑いが込み上げてくるようだった。怖くてたまらない。逃げ出せばいいのにそうしない。

なけなしの自尊心か、ありたけの衝動か。なにが残るのかという気づきで飲み込んだ衝動を人のせいにすることで満たしているのかもしれない。そんな馬鹿なとも思うけれど、そうしながら笑えない自分もいる。

 「あんた、ずっとミネのこと見てるでしょ」

 「……そうかな」

 「気持ち悪いよ」

 「……そうだね」

 少し笑いながら、ふと気がついた。鴇田は拓実が好きなのではないか。

 「峰野さんが好き?」

 見なかったからどんな顔をしていたのか知らないけれど、鴇田はしばらく黙り込んでから、「好きだよ」と答えた。それからすぐに「友達としてね」と付け加えた。

 「恋愛的な意味ならほかに好きな人いるから」

 「……そう」

 それならそちらへ意識を向けていた方が楽しいだろうに。どうして俺を攻撃するのか。

 「本当、気に入らない」と鴇田はいった。「大っ嫌い」

 「……そう」

 「さっさと被害者になりなよ。なんで耐えんのよ」

 「わからない」

 「馬鹿だね」と鴇田の小さな声がいった。

 大股で教室を出て行く鴇田の足音を聞いて、俺は深く息をついた。なんだか変な感じの残る頬を触ってみると、驚くほど熱かった。