その十三回目の誕生日から、一日中、それを手に握っている。これこそが敬人との絆であるように思えた。

 朝に目が覚めてその輪を見ると、胸の奥がきゅっとする。顔が熱くなる。

 敬人に、——敬人に、プレゼントもらっちゃった。

 どうにか汚さないようにしておきたいのだけれど、嬉しくて嬉しくてどうしても触ってしまう。

 誕生日おめでとう、と敬人の声が蘇る。あまりに幸せで、耳を塞ぎたくなるように頭の奥が痺れる。布団の上でぎゅっとタオルケットを抱く。どきどきして体じゅうがそわそわしてならない。

 ああもう、平気でああいうことするんだから——。

 誕生日を伝えたのは幼稚園生の頃、ぽろっといったようなものだった。誕生日に買ってもらった絵本について話したのだ。四月十日。まさか憶えていてくれたとは思わなかった。

 散々布団の上できゅんきゅんしたあと、はっとした。考えるよりも先に体が勢いよく起きあがった。そこで思考が停止する。なにかしなきゃと思いながらも、なにをすべきかわからない。あわあわとまとまらない感情が駆け巡る。

 敬人に、追いつきたい。自信を持って敬人の隣にいたい。

 もっと自信を持っていいといってくれた声が蘇る。体の芯はきゅっと素直に喜ぶけれど、頭はいやいやと首を振る。

 本当に、こんなでいいのだろうか。敬人は私よりずっとちゃんとしている。私が今のまま縋っていたら、いつか嫌になるのではないか。

敬人は優しいけれど、優しいからこそ、ある日突然いなくなってしまうのではないか。限界まで限界まで我慢して、とうとうそれが爆発する。

 ——嫌だ。

 やはり、ちゃんと隣にいたい。敬人と、対等になりたい。いつか助けられることがあっても、またいつか、そのときには私が助けられるような、ちゃんと、大丈夫だと思って敬人の隣にいたい。

なにかあっても敬人がいる、なにかあっても私もなんとかできる。そういう、大丈夫という確信が欲しい。

 どうしたら、強くなれるだろう。強さも優しさも、わからないことは全部、勉強のように教科書や参考書を読んで手に入るものだったならいいのに。

 どうしてこんなことになってしまったのだろう。敬人は強く優しく、かっこよくなったのに、私は敬人に会った頃からなにも変わっていない。わがままで貪欲で、独占欲の塊のようなままだ。

敬人を求めるばかりで、なにも差し出せない。強くなりたいのに、優しくなりたいのに、——敬人と、対等になりたいのに、なにもできない。変われない。変わる術が見つけられない。

 このままでは、いつか敬人も私に嫌気がさす。わかっている。そうならないようにちゃんとしたい。なのに動けない。答えが、正解がどこにあるのかわからない。どこに行くべきなのか、どうすべきなのか、なにもわからない。

なにもできないまま、なにもわからないまま、敬人に嫌われたくない、置いていかれたくないと欲望ばかりがふくらむ。