敬人と部屋でのんびりして、別れてから勉強して優しさについて考えて、敬人にふさわしい人物像を追い求めるうちに、春休みは明けてしまった。

まったく、学校なんてなければいいと思う。敬人が見てくれているうちに、ほかの人の優しさに触れる機会を奪ってしまいたい。敬人が見てくれているうちに、二人きりになってしまいたい。

 敬人と二人の部屋は幸せに満ちていた。鳥籠のような安心感があった。私たちは鳥で、籠の中にいる。外の世界など知らないまま、二人で囀ってのんびりと過ごす。並んで止まって、互いに体を寄せる。

暖かくて優しくて、幸せな時間。私はそれを、独り占めにしたいと思ってしまう。結局私に、人になにかを与えられるように強さも優しさもないのだ。私は貪欲だ。どうしようもなく、敬人が欲しい。失いたくない。

 自転車を押して庭を出ると、敬人が同じようにして歩いてきた。「おはよう」と無邪気に笑いかけてくれる彼へ「おはよう」と答える。今日も会えた、と幸せな気持ちになる。

 生きているということがどうしようもなく幸せに感じられるようになった。夜に眠るのが怖くなるほどだ。眠って、もしも目が覚めなかったらと思うと怖くなる。

もしも目が覚めなければ、もう敬人に会えない。目が覚めたところで、敬人に会えない世界になっているかもしれない。

 「敬人」と名前を呼んで、自転車を自分の体に立てかけるようにして彼に抱きついた。敬人は私と違って、自転車を体の右側で押す人だった。

 「大丈夫だよ」といってくれる声に、とろけるような安心が芽吹く。学ランはまだ新しい生地の匂いがしたけれど、その奥に敬人の匂いがあった。ああ……大好き。このまま家に戻って、部屋でのんびりしたい。

 「教室も同じだから」と敬人がいってくれる。私はその穏やかな声に頷いた。

 「同じクラスでよかった……」

 「俺も嬉しいよ。拓実と一緒にいられて」

 私は思わず笑ってしまう。「本当?」

 「俺ね、拓実のこと大好きなんだよ」

 悲しみや衝撃を受け入れきれないというのはよく聞くけれど、人というのは、喜びであっても有り余るものは疑いたくなるらしい。

 ゆっくり離れて改めて見てみると、嬉しくなってなんだか笑ってしまった。敬人は優しく微笑んで髪を撫でてくれた。「いい朝だ」と穏やかな声がいう。