初めて、怖いものがなくなった。敬人がそばにいてくれるという事実に、儚いものであるという意識が湧かなくなった。

嘘じゃない、本当に敬人がいてくれる。敬人は離れないでいてくれる。今まで感じたのことのない安らぎは、呼吸を深くして体の深いところを温めた。

 廊下で庭を眺めながら、「もうすぐ卒業だね」と敬人がいった。

 「そうだね」

 「怖い人とかいなければいいけど」

 「沖小でしょ、大丈夫だよ。去年の陸上大会、沖小でやったけど、みんな普通だったもん。私たちの方が怖がられてるくらいじゃない?」

 「先輩の荷物持ちとかやらされたり」と敬人は笑う。

 「そんな奴がいたら、私が」

 私が許さない。後も先も考える必要はない、うんざりするほど相手を愚弄し、否定し、やがて絶望の恐怖を匂わせたあとに、腰の引けたそいつらを足元に果てしなく続くその底へ蹴り落とす。

精々、最期の最期まで自らの行いを悔い、失った意識の中で無意味な後悔に蝕まれるがいい。

咎人のそんな様は、見ていてさぞ気分のいいことだろう。果てしない後悔を抱えているのに、それに支配されているのに、それは贖罪にならなければ自らを癒すこともない。絶望とはそういうものだろう。

 ふと、敬人がやわらかく肩を抱いてきた。優しい温度に身を委ねる。眠たくなるような心地よさだった。ああ、敬人……。

彼に腕を回しながら、いつからだろうと少し考えてみる。いついから、こんなに敬人が好きだったのだろう。まるで溺れているようで、時に苦しくさえある。

感情が、暴力的に内側で広がってふくらんでいく。好きとか大好きとか、あるいは愛しているとか、そんな言葉が薄っぺらに感じてしまうほどだ。何度いってみたって、この感情は伝わらないのではないかと思う。

好きなんてものじゃないほど好きで、大好きなんてものじゃないほど大好きなのだ。彼の手が、自分の手が、触れたところから、いっそ溶け合ってしまえばいいとさえ思う。

自分という意識も実体も、いっそ、いらない。それで近づけるのなら、喜んで手放す。意識や実体を欲するものがあれば、喜んで私のこれを差し出す。

役に立たなければ、気に入らなければ捨ててくれて構わない。私にはそれを手放すことに意味がある。それで、彼に近づけるのだ。

 「敬人」

 なんて素敵な響きだろう。口にするたびうっとりする。体じゅうが幸せなもので満ちていく。敬人、敬人。

 「拓実」

 「うん」

 彼にとって私の名前も、それに似たものであればいいと願う。いや、もうそこまでの幸せなどいらないかもしれない。

敬人がいてくれる、こうして体温を分けてくれる、名前を呼んでくれる。そして、私もまた彼の名前が呼べる。これ以上の幸福なんて、身に余る。

 「拓実も、なにかあったら教えてね」

 「……うん」

 敬人が小さく笑った気がして、「なに?」と訊いてみると、「かわいいなと思って」といわれてどうにかなってしまいそうだった。

「うるさい」といえば彼はまた笑う。「もう一回いっていい?」といわれ、「だめ」と返すと「かーわい」と優しい声が笑った。