敬人がよく廊下から窓の外を見るようになった。そのたびに私は怖くなる。どうしてそっちを見るの? まさかそっちへ行きたいの? 途端に恐ろしいほどの焦りに襲われる。だめ、そっちへ行ってはだめ。

 私は敬人の後ろに立って、彼の目を覆う。体を抱きしめる。だめ、そっちへ行ってはだめ。だめだよ、敬人。私を見て。

お願いだから、私を見捨てないで。今はまだだめだけど、ちゃんとするから。ちゃんと立派な人になるから、もう少しだけ待って。お願い、お願い——。今の間だけ、だめな私を許して。ちゃんとできない私を、許して。

 「少し、休憩しようと思って」と彼はいった。

 「……おもち、食べる?」すあま。私の小さい頃から、母がおやつにと作ってくれた和菓子。

 「俺、拓実の家の庭、好きなんだ」

 「そんなに綺麗なものじゃないよ」

 「そうかな」

 「ただ、ちょっと広いだけ」なにも特別じゃない。

 「敬人は、もう明るいの怖くないの?」

 「少し暗い方が落ち着くけどね。でも、前ほどじゃなくなったよ」

 「……外、出たいと思う?」

 「こういう、綺麗な庭は散歩してみても気持ちいいかなと思うよ」

 「……そう」

 「ねえ、拓実」

 「なあに」

 「今度、一緒にどこか散歩に行こうよ」

 「……散歩?」

 「二人で。のんびり、なにも考えないで、歩くんだ。沢木公園なんて、春は桜がすごいし、梅雨には紫陽花祭りがある」

 「……私は、家にいたい。敬人と二人きりで」

 誰にも邪魔されない、二人だけの世界。玄関という結界で外界と遮断された、敬人と二人だけの小惑星。

 「桜とか、紫陽花とか、向日葵とか、秋桜とか、椿とか。きっと綺麗だと思うよ」

 「そうかな」

 どれだって、敬人ほどの魅力はないはずだ。

 「俺は、拓実と観てみたい。二人で」

 「二人……」暖かい、幸せな響きだ。

 「大人になったら、遠くにも行ってみたいな。北海道のラベンダーとか観てみたい」

 「……私は」いいながら、いや敬人の声を聞きながら、泣きそうになった。大人になってもそばにいてくれるつもりなのだ。あの頑張らなくていいという言葉が、諦めとは違うものからあふれてきたものなのではないかと期待してしまう。

本当に頑張らなくてもいいのではないかと、甘えてしまいたくなる。このまま、本当にちゃんとしなくても大丈夫なのではないかと、思ってしまう。

 「……沖縄で……沖縄そば、食べたい」

 敬人は優しく笑った。「いいね」と。

 「拓実となら、どこでも行きたいな」というその声が、幸せなほど優しかった。