落ち着かない。怖くてたまらない。敬人が離れていってしまう。世の中のなにもかもが、敬人が離れていってしまう恐ろしい引き金のように思えてならない。それを引いてしまえば、敬人は衝動的に、どこか遠くへ去っていってしまう。

 彼女——サクとの距離が日に日に近づいているように見える。敬人があちらへいってしまったらと思うと眠れなくなる。

 なにもかもが壊れていくような感覚だった。ちゃんとできない、しっかりいられない、敬人が離れていってしまう、サクに敬人をとられてしまう。

絶望的だった。ちゃんとできないから敬人に嫌われる。嫌われてしまうから、敬人はサクの魅力に気づいてしまう。日に日に近づく距離の中で、甘く熱っぽい感情を自覚する。

その頃には彼の中に私はおらず、なんでもないようにサクとの間に冷静で情熱的な恋を実らせる。私とは違う、こんな無様にもがくことも必死になることもない。

もっとじょうずに、ちゃんとした人間同士、ちゃんと恋をする。二人は、私とは違う。どちらも私よりずっとちゃんとしている。惹かれ合うのは必然と思える。

 けれども、私にそれを祝福する余裕はない。そうできるほど、私は成熟していない。敬人が欲しい。敬人がいなくてはならない。私には敬人が必要だ。敬人と一緒に生きたい。

 もっと、ちゃんとしないと。

 もう、頑張らなくていいよ——。敬人の声が蘇る。優しいその声は、きっと諦めからあふれてきたものなのだろう。私がちゃんとしていないから、こいつはもうだめだと、見限られたのだろう。

 嫌だ。どず黒い重たい感情が湧きあがってくる。敬人は私が守る。サクには渡さない。もっとちゃんとして、敬人には綺麗なまま、私のそばにいてもらう。

敬人を、サクからとり戻す。敬人は誰にも穢させない。敬人はなににも穢させない。それがどれだけ大きな存在であろうと抗おう。敬人を守るためなら、どれほど大きな恐怖だって無視しよう。どんな危険にも立ち向かおう。

 ちゃんとするくらい、訳ない。それはもう、立派な人間になってやろうじゃないか。いくらでも学んでやろう。有名な大学に優秀な足跡を刻み込んでやろう。

そこに私の名前を残してやる。誰にも塗り替えられないほど濃く、大きく、この名前を刻んでやろう。

 それが敬人と一緒にいるための資格ならば、必ず手に入れてみせる。それで敬人が私を見てくれるのなら、私のそばにいてくれるのなら、是が非でもやってやる。