確かに、私の頭の奥は敬人という熱に溶けていった。寝ても覚めても敬人のことを考えるようになった。夢の中の敬人は普段よりもかっこよかった。

夢の中では、普段よりも敬人のそばにいられた。普段よりも近いところにいられた。しかし幸せな夢というのは覚めてしまうとあまりに寂しいものだった。直前まで手や肩が触れるようなところにいた敬人がいないのだ。

 敬人もまた溶けていった。私なんかにではない。私にそんな力はない。彼を繋ぎ留めておけるような優しさも愛らしさも持っていない。

 教室に入ると、敬人が隣の席の女子と話しているのが見えた。私とも親しい女子だった。胸の奥が不愉快に疼く。敬人……。

 どうしてそんなに楽しそうに笑うの。どうしてそんなかわいい顔を見せちゃうの。どうして、どうしてそんな——。なんて、無防備なの。そんなことしたら敬人、その人……。

 視界の中心で、女子の方が立てた人差し指を唇の前に持っていった。敬人は少し恥ずかしそうに笑って頷く。そしてなにか、短くいった。

 敬人、敬人……だめだよ。そんなふうにしないで。そんな、綺麗に笑わないで。そんなかわいい顔、無防備に振りまかないで。

 「どうしたの?」と声をかけられ、見れば前の席の女子が登校してきたところだった。「今日のランドセル重くない?」といって、どかんと机にランドセルを置く。

 「拓実、ぼうっとしてるよ。朝ごはん食べなかったの?」

 「私がそんなことできると思う?」

 「寝坊しても食べるんだもんね」と彼女は笑う。

 ああ、でも、と少し思った。いっそ、今まで一度も抜いたことのない朝食を抜いてしまえば、この頭も働かなくなるだろうか。

敬人がいなくなってしまうなんて考えずに済むだろうか。いっそずっとこの頭が働かなければ、敬人がいなくなってしまっても寂しさを感じることもないだろうか。

 「なにも、考えたくないね」

 「ん?」と言ってぽかんとした顔をする友達へ、「なんでもない」と笑い返す。

 感情も欲望も、なにもかもなくなってしまえばいい。こんなことを考えることも、願うことも、なくなってしまえばいい。願いが叶う幸福と引き換えに、願いが叶わない不幸を消し去ってしまいたい。