ある日、拓実に「どうしてお外に出ないの?」と訊かれたことがある。そのときも拓実は和装だった。

 「……外は好きじゃない」

 「そうなの? まあ、暑いし寒いもんね」

 かわいらしく笑って、拓実はすっと立ちあがった。座ったままの俺を見る。

 「ねえ、廊下に行こうよ。ひなたぼっこしよ」

 こうもまっすぐに誘われてしまえば断るにも断れない。恐る恐る腰をあげると、彼女の手が右手を掴んだ。

引かれるままに歩いていくと、拓実は障子を開け放った。目の奥が痛むような眩しさに、俺は目を細めて顔を背ける。

 「どうしたの?」と拓実の声が優しく響く。

 「なんでもない」と答えるけれど、前は向けない。まぶたも開けない。

 「嘘だよ」と拓実はいった。悲しそうな声だった。「敬人君は嘘ついてる」と。

 拓実の声の悲しさにつられてこちらまで悲しくなった。

 時間をかけてようやく、「怖い」と声を出した。「なにが?」と拓実の声が優しくなる。俺は思わず、右手に繋がった彼女の左手を握った。

 「……明るいの、怖い……」

 間があって、「明るいのが?」と返ってきた声は驚いているようだった。それもそうだろう。暗いのが怖いという人はいるけれど、明るいのが怖いというのは俺も自分のほかには知らない。当時も、今も。

 「……いっぱい、見える……」

 特別なものが見えていたわけじゃない。誰にも見えない恐ろしいものが見えていたわけじゃない。あの一瞬には、庭にある植物や岩が見えているだけだった。

遠くの木々が見えているだけだった。明るい空とそこを泳ぐ雲が、先の道路を走る車が、のんびりと進む自転車が、歩道を歩くおばあさんが見えているだけだった。

それでも、当時の俺には耐え難いほど怖かった。胸の奥がざわざわするようで、逃げ出したくなった。明るいところでは、目を向けて見えるものが、あまりに多すぎた。

 拓実はそっと俺の手を包んでくれた。「大丈夫」と囁くような声は、こっそりと魔法を見せてくれるようなやわらかさだった。

 彼女は俺の手を離すと、両手で俺の目を覆った。途端に、方向も重力もない安らぎの暗闇に包まれた。

呼吸が深くなるのと同時に、体から力が抜けた。半歩後ろに左足をついて、拓実の方へ倒れるのは逃れた。

 「どう、暖かくて気持ちいいでしょ?」と、おまじないでも唱えるように優しい声が囁いた。「ひなたぼっこだよ」と。

 「怖いなら、見なければいいんだよ」

 浮かぶような心地よさを揺らす優しい声に、救われたような心地がした。真昼の優しい夜闇の中、俺は拓実だけを感じた。ひなたぼっこ。なんて幸せな時間だろうと思った。

なにも見えない。後ろに拓実がいる。優しい温度だけがそこにあって、怖いものも嫌なものもない。

 俺が名前を呼ぶと、彼女は「敬人君の目はね、すごく綺麗なんだよ」といった。

 「だから、怖いくらいいっぱい見えちゃうの」

 拓実の声が、周りからどんどん重力を奪っていった。ふと糸が切れたように脚から力が抜け、崩れるようにへたり込んだ。

拓実も一緒に座ったようで、目は覆われたままだった。そっと片手が離れ、一本の腕が優しく抱きしめてくれた。周囲はまだ、重力を無くしたままだ。

 「でもね、怖いものなんてなにもないんだよ。……だって世の中には、嘘しかないんだから」

 俺が手に触れると、拓実は小さく笑った。「そうだよ」とちょっと意地悪に囁く。

 「世の中にはね、本当のことなんてないんだよ」