もっとじょうずに愛したかった。

 この世界が大好きだった。おもしろいものも綺麗なものもなんでもあった。楽しいことだらけだった。

 赤いクレヨンは赤い線を引いた。握った手を動かした通りにどこまでも赤が伸びていった。伸びゆく線は工夫すると人の顔になった。動物の顔になった。

線はなんでも作れた。優しい母、大きなお屋敷、綺麗な花、かわいい動物。やがて、線が言葉になることを知った。『あ』から『ん』までのひらがなと、濁点、半濁点で、声を出さなくても話ができることを知った。なんて素晴らしいことだろうと思った。

 文字を覚えると、すぐに郵便屋さんごっこが好きになった。画用紙に、文字で感じたことを言葉にして映し出し、残した。それを母に渡した。「お手紙です」。母は嬉しそうにそれを受け取る。「あら、誰からかしら」。

 母はどこからか紙を持ってきて、ペンで文字を書いた。私のとはまるで違う、気まぐれな鏡文字などない整った綺麗な字だった。少しして、その文字が届く。「お手紙です」。私はそれをわくわくして受け取る。「誰からかしら」。

 文字は私の知らない母を教えてくれた。出かけた先で見つけた綺麗な花の名前を調べていたこと、いざ調べてみればよく知った花だったこと、お茶を淹れるときにお湯が跳ねて熱かったこと、目が覚めたらタオルケットが腰の下にあってその日ずっと腰が痛かったこと。

口にはしない、声にはならない母のことが、文字になってこちらに伝えられた。