傘を叩く雨音の中、書店に向かう松前たちとは途中で別れ、俺は総合病院の敷地に入った。自動ドアをくぐると傘を入れる袋があり、それに閉じた傘を入れて中に進む。

 カウンターで拓実の部屋を尋ね、面会の証明書を服に貼りつけてエレベーターに乗る。中には誰もいなかった。

重力が増したように体が重くなった。拓実は怪我の治療のためにここにいるのではない。怪我をした理由を癒すためにここにいるのだと、深く理解させられた。

 拓実がいるという三〇五号室は個室だった。扉を叩くと、「はい」と声がした。途端に泣きそうになる。拓実の声だ。久しぶりに、拓実の拓実らしい声を聞いた。

優しくてやわらかい、愛らしい女の子の声。けれど少し、疲れているような調子だった。

 愛おしくて寂しくて、泣きそうになる。拓実の声が聞こえた。この先に拓実がいる。こんな薄い扉なら、開けなくてもいいとさえ思えてしまう。声が聞こえた、そこにいることが感じられた、それだけで体の奥から悲しいほど満ち足りていく。

 洟を啜って扉を右へ引くと、上体を起こした形のベッドに拓実が寝ているのが見えた。雨粒が窓の外をふらふら流れている。晴れている日は明るい部屋なのだろう。

 目が合うと、あちらの表情は途端に数日前までのように冷たくなった。とうとう本当に泣きそうになって、必死に唇を噛む。薄汚れた白い靴が滲む。

拓実はもうきっと、いつかのようには笑ってくれない。けれども、拓実がすぐそこにいることがありがたくて嬉しくてたまらない。とても貴重な体験に思えた。

 「なにしにきたの」

 なんとか顔をあげ、「会いたかったんだ」と答える。

 「私は会いたくない」

 「……少し、話がしたい」

 ふうん、と興味なさげな声が返ってきた。ふいと視線をあちらの窓へ向けられ、俺はゆっくりとベッドの横の椅子へ向かう。

 そっと腰をおろすと、「調子はどう?」と声が出てきた。「回りくどいのは嫌」と冷たい声。

 「じゃあ……。なにかあったの?」

 「別に。なにもかも嫌になったからやっただけ。終わりにしたかったの」

 「……そう」

 しばらくの沈黙のあと、「いいよ」と拓実がいった。「話がしたいんでしょう、付き合ってあげる。昔の話でもしましょうよ」

 「うん。たとえばいつの?」

 「そうね」と冷め切った声がいった。