激しい雨音の中、昇降口の柱の横で傘の水気を払う。

 「よう、敬人」と声をかけられ、見れば稲臣(いなとみ)が「すごい雨だな」と笑った。左耳のすぐ下で縦に長い菱形の赤い石がぷるぷると揺れている。誕生石なのだという。

 彼は「傘、穴開くかと思った」といって俺の隣に立ち、傘を振る。きつく吊ったまぶたの中が三白眼で、第一印象が悪いことを気にしている。

 「まだはっきり梅雨入りが発表されたわけでもないのにね」

 「うわ、そうじゃん」と稲臣は思い出したように声をあげる。「まだ梅雨入りしてないんじゃん、これ」

 「そうだよ。どっかもう入ったところもあるみたいだけど、この辺りはまだだよ」

 「嫌だなあ……」

 「稲臣、雨嫌いだっけ」

 「降ってない方が気を遣うことが少なくていい」

 「制服、濡れると変なにおいするしね」

 「もう家に服用の除菌スプレー常備してあるからね。俺くらいになると春夏から対策するから」

 「雨との闘いは降らない頃から始まってると」

 稲臣は俺の傘のすぐ近くに自分の傘を挿した。紺色の持ち手に白のインクで稲臣と書いてある。俺の傘が今まで平穏無事に過ごしているのはそのおかげなのかもしれない。稲臣は時折、目つきが悪いのもたまには役に立つときがある、という。

 廊下を歩きながら、「一限目なんだっけ」と稲臣が呟く。「化学じゃなかった?」と答えると「うわ、早速移動教室かよ」と気怠げな口調で笑う。

 「まったく、早く休みがほしいねえ」

 「まだ一週間始まったばかりじゃん」

 「勉強して、テストやって、学校卒業したと思ったらあくせく働いて。なにやってんだろうな」

 「つらいかな」

 「つらいだろ」

 「やっぱり、そうかな」

 「なんとか入った会社じゃ、なんとか見つけた気の合う同僚と、上司の悪口いってるだけの日々だぜ?」

 「いや、仕事仕事」

 「俺はそんなのお断りだよ。人を呪うだけの人生なんて不幸が極まるばっかりだ」

 「部下にぺこぺこしてるでっぷりした上司もいるかもしれない」

 「ああ……ちょっと禿げてて?」

 「丸い眼鏡でもかけてて」

 「本人はいつも暑がってて冷房かけるけど、部下は寒がってるみたいな」

 「部下の失敗とか押しつけられて」

 「ああ……。いや、部下も責任感持てよな。かわいそうになってきたわ」

 「そういう上司もいるかもしれない」

 「いるかなあ……」

 「目つきが悪くても優しい人がいるんだ、そういう上司だってきっといるよ」とふざけると、後ろから頭を叩かれた。「お前いつか泣かすからな」と。