風呂あがりに部屋に戻ると、濃緑の着物を着たあざやかな赤髪の背中があった。「なに」と声が飛び出した。狂ったような鼓動の音が響く中、おかっぱのような赤髪が振り返る。
暗い中でも艶のあるのがわかる、綺麗な赤髪だった。顔立ちは女性に見える。虹彩も髪の毛と同じような色味だ。俺を訪ねてきたのだろうか。
「あ、灯り……つけてくださいよ」
中に入って、天井から垂れさがる紐を引く。瞬きのような点滅のあと、部屋がぱっと照らされる。少女が眩しそうに目を細める。
「えっと、なにか御用ですか」
「峰野拓実」と落ち着いた声にいわれ、冷静さを取り戻しつつあった鼓動が狂う。
「か、彼女になにか」
「私は近々死ぬ」
ずきん、と心臓が震えた。「拓実が?」
少女は首を振る。「私自身のこと」
俺はとりあえず、少女の前に座った。正座だった。
「なにか、ご病気でも?」
「峰野拓実が殺す」
「はい?」なにをいっているんだと思うのと一緒に、頭の中に拓実のいろいろな表情が蘇る。冷たく鋭い目をすることはあったけれども、他者を殺めるようなことはしないだろう。なにより——。「えっと、彼女は今入院しているはずですが……」
「彼女の心が消えていく。だから私は死ぬ」少女の声に抑揚も感情もなかった。
「拓実になにがあったんですか。入院は怪我のためと聞いているのですが」
「峰野拓実はお前を愛していない」
塞がりつつあった傷口が開いたようにどこかが鈍く激しく痛む。「知っています」と答える声は震えはしなかった。
「だから私は死ぬ。峰野拓実の愛は間違っていた。本人も気づかないところで、ずっと」
「間違い?」
「峰野拓実は初めからお前を愛してなどいなかった」
「……それを、伝えにきたのですか」
「私はずっとここにいる」
座敷童子、という言葉が頭に浮かぶのに時間がかかった。しかし、見てみれば少女の視線は縁廊下へ向いていた。「まさか」と声が出た。
「『あなたを愛している』なんて嘘だ」と少女の機械的な肉声がいう。
「……拓実は、そういうつもりで俺に君をくれたの?」
「知らない。でもお前たち二人の心の間に私はいられない」
「だから萎れてきたの?」
少女はなにもいわない。しばらくして、薄く唇を開く。
「尊藤敬人、お前は峰野拓実に近づいてはならなかった。そうだな、それまではまだそれらしい想いもあったように思う」本物ではなかったけれども、と少女はいう。
俺は首を振った。「好きなんだ」と打ち明けると、見つめた手の甲が濡れた。「どうしようもなく、……好きなんだ」大好きなんだ。
「知ってる。お前はずっと峰野拓実を愛していた」
「愛なんて大げさなものじゃないよ」と俺はなんとか笑った。「ただ、大好きなんだ」
「それを愛というのではないの?」と、無邪気な声がいった。
俺は濡れた手で濡れた顔を拭って笑った。「なんだか気取ったいい方で好きじゃない」
「失敬な奴だ」と声の調子が戻ってしまう。
「……拓実に会いたい」
「会えばいい。吹っ切れるものがあるだろう」
「拓実はどこにいる?」
少女はまた黙ってしまった。「ああ」となんでもないように声を発すると、「藤村修平は知ってる」という。
「担任ね。でも教えてくれない」
「それはどうだろう。少し事が動いたようじゃない。鴇田という女が動いた」
「鴇田が?」胸の奥でうんざりしたような重さが膨らむ。「今度はなにを」
「お前も知っただろう、鴇田はお前が峰野拓実を愛するようにお前を愛してる。親友の心に寄り添おうとしたために破滅したんだ。根は純情な少女だよ」
「俺は鴇田が嫌いだ。できることなら忘れたい」
「そのために彼奴が動いた」
俺は少女の目を見返す。「どういうこと」
「終わらせようとしてるんだ、自分で始めたことを」
「じゃあ、今回の騒動が終わるの?」
「気分のいい形ではないだろうけれども。なかったことにはならない、けれども峰野拓実はお前に無関心のまま、鴇田は峰野拓実にくっついて、お前は紙原や稲臣、松前と共に過ごす。学級のみんなが少しずつ変わるんだ。要は問題を起こした二人が完全に他人になり、それをほかの生徒が見るんだよ」
「……紙原たちも変わるの?」
「いや、奴らは変わらないと思う。お前のことが大好きだから。事態が収束して一言二言、あれはなんだったんだ、とにかくよかったなとかいうくらいだろう。そのあとはきっといつも通り」
少女はふっと笑った。美しい笑みだ。「紙原、稲臣、松前、舞島。お前はいい友達を持った。藤村修平もいい教師だろう」
ちょっと鈍感だけど、と俺は内心呟く。
「……先生、拓実の病院教えてくれるかな」
「鴇田と向き合えて藤村に訊けないか?」
「そういうわけでもないけど」
「私がくたばる前に会え。お前のためにも、峰野拓実のためにも」
暗い中でも艶のあるのがわかる、綺麗な赤髪だった。顔立ちは女性に見える。虹彩も髪の毛と同じような色味だ。俺を訪ねてきたのだろうか。
「あ、灯り……つけてくださいよ」
中に入って、天井から垂れさがる紐を引く。瞬きのような点滅のあと、部屋がぱっと照らされる。少女が眩しそうに目を細める。
「えっと、なにか御用ですか」
「峰野拓実」と落ち着いた声にいわれ、冷静さを取り戻しつつあった鼓動が狂う。
「か、彼女になにか」
「私は近々死ぬ」
ずきん、と心臓が震えた。「拓実が?」
少女は首を振る。「私自身のこと」
俺はとりあえず、少女の前に座った。正座だった。
「なにか、ご病気でも?」
「峰野拓実が殺す」
「はい?」なにをいっているんだと思うのと一緒に、頭の中に拓実のいろいろな表情が蘇る。冷たく鋭い目をすることはあったけれども、他者を殺めるようなことはしないだろう。なにより——。「えっと、彼女は今入院しているはずですが……」
「彼女の心が消えていく。だから私は死ぬ」少女の声に抑揚も感情もなかった。
「拓実になにがあったんですか。入院は怪我のためと聞いているのですが」
「峰野拓実はお前を愛していない」
塞がりつつあった傷口が開いたようにどこかが鈍く激しく痛む。「知っています」と答える声は震えはしなかった。
「だから私は死ぬ。峰野拓実の愛は間違っていた。本人も気づかないところで、ずっと」
「間違い?」
「峰野拓実は初めからお前を愛してなどいなかった」
「……それを、伝えにきたのですか」
「私はずっとここにいる」
座敷童子、という言葉が頭に浮かぶのに時間がかかった。しかし、見てみれば少女の視線は縁廊下へ向いていた。「まさか」と声が出た。
「『あなたを愛している』なんて嘘だ」と少女の機械的な肉声がいう。
「……拓実は、そういうつもりで俺に君をくれたの?」
「知らない。でもお前たち二人の心の間に私はいられない」
「だから萎れてきたの?」
少女はなにもいわない。しばらくして、薄く唇を開く。
「尊藤敬人、お前は峰野拓実に近づいてはならなかった。そうだな、それまではまだそれらしい想いもあったように思う」本物ではなかったけれども、と少女はいう。
俺は首を振った。「好きなんだ」と打ち明けると、見つめた手の甲が濡れた。「どうしようもなく、……好きなんだ」大好きなんだ。
「知ってる。お前はずっと峰野拓実を愛していた」
「愛なんて大げさなものじゃないよ」と俺はなんとか笑った。「ただ、大好きなんだ」
「それを愛というのではないの?」と、無邪気な声がいった。
俺は濡れた手で濡れた顔を拭って笑った。「なんだか気取ったいい方で好きじゃない」
「失敬な奴だ」と声の調子が戻ってしまう。
「……拓実に会いたい」
「会えばいい。吹っ切れるものがあるだろう」
「拓実はどこにいる?」
少女はまた黙ってしまった。「ああ」となんでもないように声を発すると、「藤村修平は知ってる」という。
「担任ね。でも教えてくれない」
「それはどうだろう。少し事が動いたようじゃない。鴇田という女が動いた」
「鴇田が?」胸の奥でうんざりしたような重さが膨らむ。「今度はなにを」
「お前も知っただろう、鴇田はお前が峰野拓実を愛するようにお前を愛してる。親友の心に寄り添おうとしたために破滅したんだ。根は純情な少女だよ」
「俺は鴇田が嫌いだ。できることなら忘れたい」
「そのために彼奴が動いた」
俺は少女の目を見返す。「どういうこと」
「終わらせようとしてるんだ、自分で始めたことを」
「じゃあ、今回の騒動が終わるの?」
「気分のいい形ではないだろうけれども。なかったことにはならない、けれども峰野拓実はお前に無関心のまま、鴇田は峰野拓実にくっついて、お前は紙原や稲臣、松前と共に過ごす。学級のみんなが少しずつ変わるんだ。要は問題を起こした二人が完全に他人になり、それをほかの生徒が見るんだよ」
「……紙原たちも変わるの?」
「いや、奴らは変わらないと思う。お前のことが大好きだから。事態が収束して一言二言、あれはなんだったんだ、とにかくよかったなとかいうくらいだろう。そのあとはきっといつも通り」
少女はふっと笑った。美しい笑みだ。「紙原、稲臣、松前、舞島。お前はいい友達を持った。藤村修平もいい教師だろう」
ちょっと鈍感だけど、と俺は内心呟く。
「……先生、拓実の病院教えてくれるかな」
「鴇田と向き合えて藤村に訊けないか?」
「そういうわけでもないけど」
「私がくたばる前に会え。お前のためにも、峰野拓実のためにも」