教室に入ると、雑談がぴたりとやんだ。代わりに無数の視線がこちらに向く。しばらくの静寂のあと、先ほどまでとは色合いの違う話し声でさわがしくなった。

「おっと」と松前が苦笑する。「馬鹿が大量発生してる」と呟く。

 「てことでいいんだよな?」と彼は紙原に声をかける。「さっきから大騒ぎだ」と紙原は肩をすくめる。

 「くたばんなよ」と俺の肩を叩いて、松前は自席へ向かった。

 席に鞄を置くと、「峰野の入院は本当っぽいな」と紙原がいった。「まだきてない」と。

 「そんで昨日、藤村はなんて?」

 「持ち前のしつこさを活かすときがきたって意気込んでた」と茶化してみる。

 「ふうん。じゃあまあ、とりあえずは安心……なのかな」

 「どうだろうね。なにがどこまでわかるのか」

 「でも、そんなにでかいことなのかな、これ。ただ鴇田が騒いでるだけだろ?」

 「……俺は、拓実の怪我について知りたい。なんで入院するほどの怪我をすることになったのか」

 「うーん、そうだよなあ。……うーん、峰野はまあ、普通に怪我しただけだとしても、鴇田がここまで騒ぐ意味がわからない。たまたまの友達の怪我と入院を結びつけるほど、お前が気に入らない? 峰野はともかくあいつはそこまで接点ないだろ、真っ赤な他人じゃん。いや恐ろしい話だよ、ホラーだホラー。この学校の怪談に加えるべきだね。そんでこのくだらない話を信じちゃう奴が学級の九割以上いるんだからまた恐ろしい」

 ああ、拓実に会いたい。拓実と話がしたい。怪我について、「ちょっと手のつき方おかしかったみたい」と笑ってほしい。鴇田のことは、『怖いなら見なければいいんだよ』と忘れさせてほしい。優しく暖かい闇の中、二人だけの世界で、心を落ち着けたい。

 記憶の中の安らぎを思い出して、我に返った自分をああそうだよなといやに冷静に受け止める。優しく笑ってくれる拓実はもういない。怖いなら見なければいいといってくれた拓実が、怖いと感じる瞬間さえある。

俺は鴇田だけではない、拓実にも好かれていない。それはむしろ、嫌われているという方が正しい。俺は拓実を大好きなまま、彼女の心を手放した。彼女の心が離れていくのを止められなかった。その資格を、そのときにはすでに持っていなかった。

 俺が会いたい拓実はもういない。俺が、消してしまった。