何度も放課後に呼び止めて、ひどいことをいった。ひどいことをした。必死だった。早く、早く終わらせて。早く、私を悪者にして。私がひどいことをしてるって、みんなに伝えて。私の居場所をなくして。

 尊藤君は決して私の悪事を人に話さなかった。私がこれを終わらせたがっているのを知っていたのかもしれない。罰など与えてたまるかと意地になっているようでもあった。クラス中に蔑まれ、人が離れていき、孤独を抱える。私はそれを求めていた。けれど尊藤君は、そんなものでお前のしたことが許されると思っているのかと怒っていたのだろう、私の気の弱さを知って、私が罰と受け取りかねないものを決して渡さないと決めているようだった。

 元はといえばあなたがミネを傷つけたのが始まりなのに。あなたの払っていない代償を植えつけているだけなのに。どうして私が葛藤しなくちゃいけないの。

 その頃、尊藤君がミネを見ているのに気がついた。悲しいほど優しい目だった。どうしてそんな目をするの。私が見ているのを知って、そんな目をするの? ミネに対して罪の意識があるというために。お前はそんな俺を傷つけているのだと、そういっているのかもしれない。

 だから私は、それを否定した。なにをミネのことを見ているのと。気持ちが悪いと。彼はそれを認めた。そうだねと。どうしてそんなことをいうの。それじゃあまるで、本当にミネのことを気にかけているみたいじゃない。

 後悔は日に日に大きくなった。尊藤君は悪い人じゃないのかもしれない。だから、あんな顔をするのかもしれない。だから、放課後に私と顔を合わせるたび、あんな怯えたような目をするのかもしれない。

 ほとんど消えたような炎で、必死に目立とうとした。私はこんなひどいことをしています、私はこんなにもひどい人間です。どうにか、普通の学校生活を手放したかった。これでいいはずがない。私は確かに人を傷つけている。

 そんなときだった。ミネがつらそうな顔をしていた。お弁当を食べながら「大丈夫?」と声をかけると、「なんか疲れた」と吐息のような声がした。「終わりにしたい、全部」と。

 そのすぐあとだった。ミネが学校を休んだ。いつもきている時間にまだこず、もしかしたらと思ったら本当にそうだった。

 結局、私は最低な人間だった。いや、人間なんて素敵なものじゃない。

 先生からミネの欠席の理由も聞き出した。手首を怪我して入院した。それを知った途端、前日のミネの危うげな表情と、吐息のような声のいった言葉を思い出した。その直後、恐ろしい言葉を吐いていた。

 「ミネ、尊藤君とトラブルがあったみたいで……もしかしたら」

 それを聞いている人がいたのは想定外だった。教室に戻ると、大島さんと結城さんが席にきた。
 それからはあっという間だった。二人にいろいろ訊かれ、曖昧に答えるうちにその日はなんとか終わったけれど、次の日には教室中大騒ぎだった。発信源は私として、その情報が教室に広まっていた。尊藤君の周りに、稲臣君と紙原君が変わらずにいてくれたのと、それに松前君が加わってくれたのが唯一の救いだった。尊藤君が一人にならなくてよかったと、本気で思った。

 ただ、先生が尊藤君とミネの間になにかあると知ってくれればよかった。藤村先生のことだから、きっとすぐに確認するだろうと思った。それで尊藤君が、過去にミネにしたことを思い出して、向き合ってくれればいいと思った。

 ひどい騒ぎの教室の中で、後悔がどうしようもないほどにまでふくらんだ。ミネがそばからいなくなってしまえば、私は完全に一人だった。自分の意思だけでここまでのことを起こしたのだという自覚が一気に湧いてきた。ミネはなにも、こんなことは望んでいなかったかもしれない。ただ、私が尊藤君のことが好きなのを知って、彼に近づくことで私が自分と同じように傷つくことがないようにと気を遣ってくれただけかもしれない。疲れたというのは、終わりにしたいというのは、私の暴走に対する思いだったのかもしれない。

 私は尊藤君にミネの傷を思い出してもらおうとして、その被害者のミネを利用した。大好きな友達を利用して、大好きな人を傷つけた。もっと冷静に、ちゃんと尊藤君を嫌いになるべきだった。それができないなら、ただ黙って自分がミネのそばにいるべきだった。そのどちらもできないで、感情に任せて動いた結果がこれだ。誰も救えない。ミネの傷はさらに深いものになったに違いない。ミネの手首の怪我が本当に私のいったような形で負われたものなら、その原因は間違いなく尊藤君ではない、私にある。

 どうにかしてこのすべてを終わらせなくてはいけないと思った。償いの真似事。

 尊藤君の本心を聞こうと思った。大人しくて目立たない、保育園からの幼馴染がいた。その人に、尊藤君が常に持ち歩いている文房具を取ってくるように頼んだ。尊藤君を知らない人だったので、食堂で目つきの悪い人と一緒にいる二人のうち、比べると髪の毛が長い方と伝えた。

 彼はチェスの駒を持ってきた。同時に頼んだ紙を入れるのも成功したという。あとは放課を待つだけだった。

 尊藤君は駒をケースと呼んだ。幼馴染の持ってきた王様がなんであろうと構わなかった。私は誰にも、なににも勝てはしない。奪った王様は元の国へ返す。

 王様を返してすぐに、どうしてミネに嫌われるようなことをしたのかと尋ねた。どうしてミネを傷つけたのかといえば、また感情的になってしまいそうだったから。

 結局、ミネと尊藤君の間になにがあったのかはわからなかった。ただ、尊藤君はミネが大好きだった。話をするうちに我慢できなくなった。ああ、叶わないんだと理解した途端、大好きが止まらなくなった。最後の最後まで、ちゃんとできなかった。ミネは守れないし、尊藤君は嫌いになれない。どうしようもなかった。

 当然、尊藤君は私を嫌いだった。とても冷静にいわれた。そして、二度と近づかないでほしいと、すべて忘れさせてほしいといわれた。

 私が最後にできることは、すべてを終わらせることだった。一刻も早くこの馬鹿な一件を終わらせて、少しでも早く尊藤君に平和な日常を返す。

 藤村先生に、ミネと尊藤君のトラブルは私の勘違いだったと話した。先生はミネの怪我の本当の原因を知っているのだろう、「そうか」と短くいっただけだった。私は何度も謝った。私の勝手に先生を巻き込んだこと、ミネのことも尊藤君のこともなにも知らなかったこと。そんな私が、みんなの人生を、心を掻き乱したこと。

 先生は優しく、「大丈夫だよ、教えてくれてありがとうな」といってくれた。そのやわらかな声が苦しかった。みんな、とても優しい人だった。とても真っ直ぐな人だった。平穏に過ごすべき人たちを、私は利用し、傷つけ、振り回した。私はノートに、尊藤君の存在を否定する言葉を書き殴った。否定されるべき存在は自分だというのに、それを知らないで彼を否定した。
 話している間、目の前ではずっと雨が降っていた。

 「やっぱり」と舞ちゃんがいった。「とーちゃんは優しい」

 「は?」なにをいっているのか、まるでわからない。私は舞ちゃんの友達をいじめた。ひどくひどく傷つけた。

 「敬人のいった通りだ」

 「……なにが」

 「ちょっと誤解があっただけ」

 喉の奥が重たくなって、足元を見た。誤解があった。誤解していたならなにをしてもいいの? そんな訳ない。私はミネを利用して、ミネを大好きだった尊藤君を傷つけた。その尊藤君の苦痛はどれほどだろう。大好きな人とうまく付き合えなくなって、その人が突然学校を休んでしまったと思えば、自分と問題を起こして自分で自分を傷つけたと噂が流れている。

どれほど怖かっただろう。ミネが死んじゃうかもしれないと思ったに違いない。自分のせいで、大好きな人が死んでしまうかもしれないと。その怖さがどれほどのものかなんて、私の想像力は追いつかない。想像さえできないほどの恐怖を、苦痛を、私は与えたのだ。自分の好きな人に、舞ちゃんの友達に。

 「敬人は今日、峰野に会いに行ったよ」

 見あげた舞ちゃんの表情は優しかった。

 「ミネ、本当はどうしてるの?」

 「先生のいった通りだよ。手首を怪我して入院してる。詳しいことは知らないんだけど」

 ふわっと体勢が崩れて、倒れると覚悟したとき、暑いほどの優しさの中にいた。「よく頑張ったね」と舞ちゃんの声がおりてくる。

 「確かにちょっと……うん、やりすぎだけど、峰野を守ろうとしたんでしょ?」

 頷けなかった。ミネを守ろうとした。でも、なにが残った? 全部、壊しただけだ。

 「とーちゃん」

 「……やめて」

 これ以上、私を最低なものにしないで。

 「俺じゃだめかな」

 なにが? 嫌だよ。やめてよ。

 「入学式のあとに会えたとき、すごい嬉しかった」嬉し泣きって本当にあるんだって思ったよとかわいい声が笑う。

 「とーちゃん。俺は、敬人の代わりにはなれないかな」

 「最低だよ」思ったより大きな声が出た。本当に、最低だ。ミネを傷つけて、尊藤君を傷つけて、今度は舞ちゃんを利用して癒されようっていうの? そんなの、許されるはずがない。私には、誰かに大切にされる資格なんてない。誰かに縋っていい理由を持っていない。助けてもらえるようなところに、私はいない。

 「敬人」と舞ちゃんの声がいう。「たぶん、峰野と仲直りすると思うんだ」

 「……そう」よかった。ミネが尊藤君を許せるなら、二人、一緒にいればいい。少なくとも、尊藤君はそれを望んでいるはずだ。

 「とーちゃん」

 「……なに?」

 「大好き」ずっ、と洟を啜るような音がした。

 「一緒に、いさせてくれないかな」

 舞ちゃんのシャツをぎゅっと握る。何度も首を横に振る。「だめ」

 今度は私が洟を啜った。

 「舞ちゃん、おかしいよ」

 「うん。おかしいね。もうずっと、とーちゃんが大好きだ」

 「私は、舞ちゃんの友達を傷つけた」

 「うん」

 「舞ちゃんだってつらかったでしょ?」

 「うん」

 「いろんな人、傷つけた。ミネも尊藤君も、舞ちゃんも、……きっと、稲臣君も紙原君も、松前君も、つらかった」

 「うん」

 首を振る。「だめ、私には……大事にしてもらう資格なんてない」

 「じゃあさ」と暖かい声が落ちてくる。「俺に、とーちゃんを好きでいる資格はないかな」

 違う、そういうことじゃない。舞ちゃんは自由に、幸せになるべきだ。けれどそれに、私は関わってはいけない。

 舞ちゃんがぎゅっと腕に力を込める。思ってくれているのが伝わるこの腕の中は、とても居心地が悪い。苦しくてたまらない。

 「許せなくていいよ。とーちゃんが許せないなら、それでいい。忘れちゃいけないと思うなら、忘れなければいい。でも、とーちゃんは峰野を守ろうとした。それも本当」

 「やりすぎだよ」と叫んだ声に、「やりすぎだよ」という舞ちゃんの強い声が重なった。

 「やりすぎだよ」と、優しく繰り返される。その声のような手に、とんとん、と肩を叩かれる。「でも、とーちゃんが峰野を大切に思ってやったんだっていうのを、俺が教えちゃだめかな。それを忘れちゃうとーちゃんに、……教えちゃだめかな。友達のために戦ったんだよって。とーちゃんは優しい人だよって」

 「なんで……」必要以上に飛び込んでくる空気に、喉が鳴く。舞ちゃんの優しい手のひらが背中を叩いてくれる。「なんで、そんな……」

 「一緒にいさせて」と、舞ちゃんの優しい声がいう。

 「大好きな人のそばに、いさせて」と。

 「忘れることなんかないよ。いつか考えないときがくるだけで、思い出せなくなることなんかない。……それでいいじゃん。いつか、たまに思い出そう。一緒に思い出そう。ね」

 とーちゃん、と優しい声が呼ぶ。「とーちゃんを、一人にさせないで」
 初めて、敬人の家にきた。一階の縁廊下から見える、晴れた外に出された植木鉢に、なにやら斑紋の入った白い花が咲いている。紫色の斑紋だ。

 「あれ」と敬人が声を漏らす。「またなんか咲いてる」と。

 「また?」

 「あの植木鉢、ずっと拓実がくれた菊が咲いてたんだ。十年近く、ずっと」

 「十年? え、ずっと?」

 「うん。一回も萎れたり枯れたりしないで、ずっと。朝も夜も」

 「へえ……手入れがよかったのかな?」

 「そんなでもないと思うんだけど……」

 敬人が外と中を隔てる大窓を開けた。身を乗り出して植木鉢を引きあげる。どん、と重たい音がして廊下へあがった植木鉢は、乾いた土で少し足元を汚した。

 敬人は鉢に咲いた花を覗き込む。「なんか、変わった花だね。ちょっと百合の花みたいな」

 「これ、あれだよ」

 名前をいおうとしたとき、鳥の声が聞こえた。キョッキョッ、キョキョキョキョ。

 「そう、ホトトギス」

 「ホトトギス?」それはさっき鳴いた……、と敬人は開いた窓の外を見る。「お菊!」と声をあげるので、わけがわからず「え?」と声が出た。

つられて窓の外を見てみれば、濃緑の着物を着た、赤いおかっぱの女の子の腕に鳩ほどの大きさの鳥が止まった。鳥はお腹が白くて、ほかは茶色と灰色の間くらいの色をしている。

 ふと思い出して、私は鉢の中の花を見おろす。「でもホトトギスの花って、早くても七月頃みたいだよ、咲くの。終わりに近いけど、今はまだ六月」

 それに——。

 「鳥のホトトギスはそろそろ声が聞けなくなる頃——」いいながら窓の外へ視線を移すと、女の子も鳥もいなくなっていた。

 「え、怖い。なに?」

 「見えた? 女の子」

 なんでもないようにいって、敬人は私を見る。

 「見えちゃった……」

 「拓実がくれた菊の花だよ、赤いおかっぱの子」

 まさか、それでお菊、と。

 「じゃあさっきの鳥は……?」

 「菊のあとにホトトギスが咲いた、ってことかな」

 「なにそれ」

 開け放った窓から、よく響く鳥の声が入ってくる。キョッキョッ、キョキョキョキョ。

 「たぶん、あの鳥はしばらくいるんじゃないかな」

 「慣れてるね。ああいう変なの、見える人なの?」

 「いや、お菊が初めてだよ。拓実に会いに行く勇気をくれたんだ」

 会いに行けてよかった、と無邪気に笑う敬人の愛らしさに、胸の奥で罪がふくらむ。私はこれから一生涯、この純粋な彼を騙し続ける。

あの綺麗な心を持ったかわいい女の子に罪を着せ続ける。彼はなにも知らないまま私に笑ってくれる。私はそのたびに耐え難い痛みを隠す。なんでもないように笑い返す。

醜い心のまま、悪事を清算しないまま、この純粋で綺麗な心に向き合わなくてはならない。大好きとごめんねの間を、幾度となく、幾度となく、行っては戻ってを繰り返す。

最期の最期まで、罪を喰らう。綺麗な心と二人きり、誰にも知られないまま後悔を重ねる。
 「ところで」と敬人は鉢の花を見る。「ホトトギスって?」

 「……ああ、この花びらの点々が、鳥のホトトギスの胸の模様に似てるって、そういう名前みたい」

 「ふうん」

 「ちなみに花言葉は——『私は永遠にあなたのもの』」

 「永遠?」と敬人は笑う。

 「そう、永遠」私は敬人の前であの輪を揺らした。「敬人のくれたこれと同じ」

 敬人の表情が、大人びて見えるほど優しくなる。

 「それ、まだ持っててくれたんだ」

 「……うん」

苦しい時期もあったけれど。いや、これからがもっと苦しい。あの頃に永遠も絆も捨ててしまえば、敬人を傷つけることはなかった。優しく真っ直ぐな女の子を、罪に染めることもなかった。彼を騙して生きることもしないで済んだ。

今後、敬人のくれる優しさは、無邪気さは、私に罪を深く刻み込む。私はやはり、敬人にふさわしい人ではない。

醜さを隠しているような奴が、嘘をついているような奴が、敬人にふさわしいはずがない。そんな奴に、人を、彼を、じょうずに愛するなんてことはできない。

 私は醜いまま、敬人にふさわしくないまま、彼のそばにいる。しぶとく、図々しく。

 「拓実」と手を重ねられ、輪が敬人の手へ移った。それから左手のひらを重ねられ、敬人の優しい指先が、その輪を私の薬指へ通した。

 「早いうちに、本物を」なんて敬人はいう。「拓実がとられる前に」と。

 手のひらが重なったまま指先に口づけを落とされ、その指先から全身が熱くなる。

 敬人の手が、腕の方へ進んでくる。痛みだけがなくなった手首に、優しい手のひらが触れる。「ごめんね」と敬人がいう。「敬人のせいじゃないよ」とだけ答える。

無数にあるうち、この特に濃く長い五本の傷は、敬人たちの心の傷と同じだ。痛まなくなっても、見ない瞬間があっても、きっと最期まで消えはしない。怨恨のように。

 敬人、トキ、稲臣、紙原。

 あと一人——。

 「敬人」と大好きな名前を呼ぶ。合図にしたように、優しい体温が包んでくれる。「拓実、小さくなったね」と無邪気な声が笑う。「敬人が大きくなったんだよ」

 ああ、大好きという感情がこんなにも苦しいとは知らなかった。恋が罰になるなんて、知らなかった。

 私は永遠に、敬人のもの。


 真っ直ぐに、ちゃんと恋をしよう——。

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