やわらかな雨音で目が覚めた。針は普段起きる時間のほんの一分か二分前を示していた。時計の電源を切って体を起こす。

 障子を開けて縁廊下へ出る。空はどんよりと雨を降らせていて、陽が昇っていても暗かった。吹きかけていた時間もあるのか、大窓がすっかり濡れている。

俺はそっと、大きく咲いている一輪の花のそばへしゃがむ。あざやかな赤の花弁の菊だ。もう十年近く咲き続けている。菊は多年生植物と聞くけれど、毎年咲くといったことではなく、十年近く毎日咲いているのだ。朝も夜も、変わらず咲いている。

もうずっと前に、菊という花がどれほど咲き続けるのか調べたことがある。適当な温度の室内に置いておくのなら、一か月ほどは咲き続けるものらしかった。それにしても、この花はよく持つ。植物には詳しくないけれど、個体差、という幅のある言葉でも片がつかないのではないかと思う。なにせ、大した手入れもしないで萎れる様子もなく十年だ。

 この菊は峰野拓実にもらったものだった。たくみというけれど女の子だ。同じ高校二年生の、優しい女の子。彼女にこの花をもらうまで、植物を育てたことはなかった。小学校で朝顔やミニトマトを育てるのよりも先に、拓実にこの菊をもらった。

小学校一年生の秋のことだった。「敬人君、お花好き?」といわれ、「これあげる」とそのまま差し出されたのがこの菊だった。あざやかな赤色がとても美しかった。このような赤を初めて見た。深みのある、それでいて明るく、どこかやわらかな赤。命の宿った色だった。

 そっと菊へ鼻を寄せ、息を吸い込む。独特な強い香りがする。好みが分かれそうだけれど、俺は嫌いではなかった。

 朝食のあと、居間へ戻って鞄を手に持つと、母が「もう行くの?」と声をかけてきた。「雨が強いから」と答える。「やばい、卵がない」と姉が台所で声をあげる。

 居間を出ると、「ちょっと待って」と母がそろそろと出てきた。前掛けで手を拭うと、「さ、前を向いて」という。

玄関の扉の方を向くと、右肩の辺りで、かっ、かっと軽快な音が響いた。「行ってらっしゃい」という母に「行ってきます」と答え、玄関を出る。

 胸の奥が少しどきどきしている。大丈夫。行って、帰ってくればいいのだ。

 雨は大粒で、庇からにぎやかに落ちてきては地面で弾けている。傘を開いて出ると、傘は早々に濡れそぼった。弾けた一粒一粒に靴や制服の裾が濡れそうだ。