近づいてくる少年たちの騒ぎっぷりを見ながら、雪弥はゆっくりとした歩調で動き出した。気が乗らないように頭をかき「しょうがないか……」と呟く彼の脳裏には、サッカーの基本ルール二つが流れている。

 ゴールコートに迫った西田が、森重の前から歩き出す雪弥を見て不敵に笑った。「相手は優等生、こりゃ楽勝だぜ!」と叫んだが、不意に、その足元からボールが消えて目を丸くする。

 視界からボールが消失し、西田は何が起こったかも分からずに動きを止めた。「やれやれ」といった様子で歩み寄った雪弥が、通り過ぎようとした彼から軽い足さばきでボールを奪い取ったのだと遅れて理解し、唖然とする。

「え……?」

 西田が、一瞬でボールを奪われた事が信じられない、という顔で振り返る。

 そのとき既に、雪弥は口笛を吹くような表情で、ボールを膝で小さくバウンドさせていた。彼の頭上へ力なく舞い上がったボールが、ふわりと上昇を止めて、ゆるやかに落下を始める。

 その直後、雪弥が左足を軸に右足を振り上げ、そのボールに軽く弾むような回し蹴りを入れて弾き飛ばしていた。おっとりとしたように見える仕草以上の力を加えられたボールが、軋むように円形を凹ませて宙に跳ね上がる。

 対戦相手である三組の円藤が守る、ゴールコート付近まで飛んだボールを追い掛けた修一が、歯を食いしばって強靭なヘディングをかまし「暁也!」と視点の定まらない様子で叫んだ。

 想定外の事態に数秒反応が遅れた生徒たちを尻目に、暁也も修一と同様、一番に敵陣地へと駆けこんでいた。彼は西田の制止の叫びも聞かず、胸でボールをチャッチしてすぐ、斜め方向から強烈なシュートをゴールコートに放った。

 円藤が咄嗟に守りに出たが間に合わず、見事にゴールが決まった。途端にわっと四組の生徒が湧き、授業終了のチャイムと同時に、教師のホイッスルがグラウンドに鳴り響いた。

 西田が崩れ落ちる様子を見ていた雪弥は、「本田君、すごいっす!」と森重に言われて、ぎこちない笑みで応えた。手で触らず、足で蹴ればいいスポーツと浅い認識で行ったことなど、騒ぎ立てる双方の生徒たちは気付かないままだった。


「お前すげぇじゃん!」


 走り回っていた心地よい疲労の余韻を残したまま、生徒たちが各教室へ戻っていった後、修一は教室で着替えを済ませてからも、興奮が冷めない様子だった。教室に入って来る担任の矢部にも目を向けず、彼は後ろの席にいる雪弥を見つめる。

 体育の授業で唯一汗をかかなかった雪弥は、先程からのらりくらりと言葉を避わしていた。彼の机の上には体育着のみが詰め込まれた鞄があり、すでに帰る準備は整っていた。

「マジですげぇよ、あんな強烈なパスは初めてだぜ! 抜かれた西田のあの顔、見たか? めっちゃびっくりしてたなぁ」
「たまたまタイミングがあっただけだよ。僕は頭脳派だからね」

 そう答える雪弥の鞄に、学習道具の一つさえ入っていないことを見ていた暁也が「ホントかよ」と言いたげな視線を向けた。何故なら、暁也の鞄には、筆記用具くらいは入っていたからだ。