翌朝、雪弥は多くの生徒同様に白鷗学園の正門をくぐっていた。

 時刻は朝の八時を回っている。教室にはたくさんの生徒が溢れるいつもの光景が広がり、そこに修一と暁也の姿もあった。

 暁也の姿があることが珍しいとも思わず、雪弥は、「たった一人のおじさんが未青年の中に入る」ことの緊張を押し殺して、自分のクラスである三年四組の教室に踏み込んだ。女子生徒たちの視線はしばらく雪弥を追ったが、その先で暁也を目に留めると離れていった。

 雪弥が近づくと、修一が振り返って「おはよう」と陽気に言い、暁也が「おっす」とぶっきらぼうに言った。

 昨日電話で話しをした男、暁也の父である金島一郎を思い出してしまい、雪弥はぎこちなく笑って二人の少年に「やあ」と声を掛けてから、昨日から自分の席となっている場所に腰かけた。

 修一と暁也は、まるで付き合いの長い親友というような関係であった。教室では特に会話もなく、それぞれがスポーツ誌を読みふける。どちらかが話を切り出せば会話が成立し、短い単語でお互いのやりとりがきちんと出来た。

 暁也が「次の」と言えば修一は新しい雑誌を渡し、「それ、くれ」とくれば引き出しにしまってあるパンを分ける。暁也は修一が「なぁなぁ」と言えば無言で振り返って話を聞き、時には「俺の意見が聞きたいのか、一般論が知りたいのか分かりゃしねぇ」と愚痴ったが、顰められた顔には嫌悪感はなかった。

 雪弥は後ろから、そんな二人の様子をしばらく眺めていた。自分を「本田雪弥」として認識した生徒たちは、物珍しそうな視線も突拍子もない質問攻めもしては来なかった。談笑は少数で、ほとんどが友だち同士で問題集を広げあっている。

 そういえば、皆受験生だったな。

 他人事のように考え、雪弥は教科書やノートを引き出しにしまった。進学先を決めかね、各大学のパンフレットを広げている生徒の姿もある。

 教室はすっかり受験の雰囲気が浸透していたが、雪弥の前に広がる二つの席ばかりが別世界だった。参考書の一つさえ持っていない二人の少年が、悠々とした様子でパンをつまみながら雑誌を眺めているのだ。

 二人もこれからのことを考えた方がいいのに、と思わず心で呟いた雪弥の前で、暁也と修一がほぼ同時に雑誌のページをめくった。高校三年生の立場を考えると悩ましい光景だが、雪弥は教師任せにすることで気を楽にした。開いた窓へと視線を滑らせると、空に灰色の雲が薄く広がっている。

 今日は、町へ行ってみるか。

 そう考えて、雪弥は体力温存だと言わんばかりに仮眠を取る体勢に入った。数分でも睡眠がきちんと取れるのは、ほとんどのエージェントが持つ特技の一つだ。訓練によって誰でも習得でき、ときには丸三日寝ない状態で戦闘態勢に入ることも珍しくはない。

 四年前のゲリラ戦において、三日で場を鎮圧したエージェントたちも七十二時間動き回っていた。状況に応じて睡眠を取ることは、エージェントの基本である。

 それに任せて惰眠を貪っている今の状況はおかしいが、雪弥は考えるのも面倒だったので授業の合間に仮眠を挟んだ。こうして午前中の授業は、特に変わりもなく流れていった。

             ※※※

 昨日と違っていることは、今日が五時間授業という点だ。昨日より一つ分授業が少なく、そしてが最後の授業は、雪弥にとって白鴎学園に来て初めての体育であった。