雪弥が言い訳を述べる間もなく、香奈枝は短く息をついて「まぁいいですけど」と自分から話を切った。出会い頭の勢いでエネルギーをごっそりもっていかれたとでもいうように、深く考える事を放棄してひどく投げやりに言う。

「夜の学校に忍び込んで騒ぎを起こしてからは、全然学校にも来ないんですよ。皆は祟りだって言ってるけど、そんなの嘘ですよ。私、買い物に出かけたとき男と一緒にいる理香を見たんです。すっごく高そうな服とアクセサリーを着て、ぴんぴんしてましたよ。もう、その男に夢中って感じでした」

 香奈枝は一度深く息を吸うと、低い声色で「人の心を弄ぶような事する人、私は大嫌いです」と独り言のように吐き捨てた。押し殺すような怒りを感じて、雪弥が「まぁまぁ」となだめる言葉も聞かずに、彼女は踵を返して大股で歩き出してしまう。

 どう対応したら良いかわからず、雪弥は言葉もなく香奈枝を見送った。すると、愛実が「すみません」と申し訳なさそうに肩身を狭めた。

「香奈枝ちゃんは、優しい子なんです。ピアノを弾いていた筒井(つつい)君という人がいたんですけど、理香ちゃんのことでいろいろとあって退部してしまって……それで、香奈枝ちゃんは怒ってもいるんです」

 愛美は、トロンボーンを抱え直した香奈枝から、雪弥へと視線を戻して柔らかく笑んだ。全体的に少しあどけなさは残るが、これから大人になるような女性らしい雰囲気もあった。

「あなたは転入生、でしたね。私、三年一組の桐泉愛美(きりずみあいみ)です」

 雪弥は数秒遅れて「四組の本田雪弥です」と返し、曖昧に語尾を切って続けた。

「同級生なんだから、敬語じゃなくてもいいんだけど……」
「あの、すみません。癖なんです……」

 愛美は困ったように答え、雪弥もまたぎこなく笑みを返した。

 敬語が苦手でほとんどタメ口で話す彼と比べると、遠慮がちで上品な彼女は、正反対の位置にいる。雪弥は言葉使いに遠慮がなく、日本で最も恐れられている男にも、平気な顔で「あんた馬鹿だろ」と口を挟むほどだ。

 真っ先にそんな自分の事が脳裏に浮かび、雪弥は明後日の方向へと視線を逃がした。

「えっと、そういう癖っていいと思うよ、正しい日本語は美しい響きがあって耳にもいいというか……うん、礼儀と敬意を持って話さなきゃいけない相手がいる人に、見習わせたいと思うくらいだよ、ははは…………」

 雪弥は言葉を濁した。礼儀と敬意、と口にした辺りで、ちらりとナンバー1の顔を思い浮かべたものの、それが実行出来るかどうかと考えた直後に、心の中で謝っていた。

 ごめん、やっぱり礼儀とか敬意を持った敬語って、僕には無理そうだ。

「なんだか、本田君って大人の人みたいですね」
「えっ」

 雪弥は声を上げ、反射的に愛美を振り返った。愛美の遠慮がちな微笑を数秒目にしてあと、真っ白になった頭で慌てて訂正する。

「いや、僕は君と同じ三年生で、同じ年に生まれた学生であって、えぇと、少し老けていると言われなくもないけれど――」
「いいえ、そういう事ではないんです。誤解して受け取ってしまったのなら、ごめんなさい。とても素敵だと、そう伝えたかっただけです」