ついと顔を上げて彼を見つめたものの、一瞬さざ波を立てたはずの心にはすでに静寂が戻り、彼の中では無意識に情報整理と推測が再開されていた。自分が何かを感じて、何かを想ったはずだが、どうしてか覚えていない。

 暁也の言葉を聞いた時、雪弥は何かを思い出していたはずだった。しかし、再び静まり返った頭の中では「高校生の中にも覚せい剤を配っている者がいる」と推測された事項ばかりが上がっていた。

 多分、気のせいなんだろう。

 個人的な心情を置き去りにし、雪弥は仕事へ意識を戻す。

 滅多に開閉されなくなった旧地下倉庫に、大量のヘロインがあるらしいという事に関しては、恐らく事件の内部関係者の手引があっての事だろうと容易に推測される。そして、それなりに大学側で地位を持っている者でないと難しい。

 入手した情報が次から次へと推測を重ね、頭が重くなると同時に耳鳴りがした。

 雪弥は視覚で映し出される風景の向こうに、脳裏を流れていく映像や思考をぼんやりと眺めた。高校生に混ざってのんきに過ぎしている間に、蒼緋蔵家はどうなっているだろうか、と、ふと思ってしまう。


 休みがあれば、大ごとになる前に、蒼緋蔵家の問題もあっさり片づけられるはずであった。話し合いをする時間があれば、少なくとも心に余裕は生まれる。

 仕事の合間だとゆっくり考えられる時間もなく、父から連絡があったとしても、どちらかと言えばほとんどのらりくらりと言葉を交わしていただけだった。思えば、これまでおろそかにしていた事が、今になって一気に来ているような気もする。


 曖昧になっていた蒼緋蔵家との関係を、はじめから妥協の余地もなく断ちきってしまっていたら、どうだったのか。

 唯一の家族の繋がりのようにも思えて、母が愛していた『蒼緋蔵』の名字はそのままにしていた。権利関係から一切離れる法律上の手続きは行ったが、父達の意見もあって、その際にわざわざ名字だけは残す方法を取った。

 特殊機関の雪弥は、部下やそのとき使う人間には妥協したりしない。「家族でしょう?」と声を震わせる亜希子や父に構わず、蒼緋蔵の名を突き返して「家族とは紙一枚の関係ではないでしょう」と断言し、どこの誰でもないただの『雪弥』となっていれば、こんな面倒な事に巻き込まれなかったのだろうか?

 雪弥は不意に、過去の記憶を思い起こした。小学生の頃母が倒れて入院し、一軒家でたった一人になってしまった日の事だ。

 あの日は、ひどい雨が降っていた事を、今でもはっきりと覚えている。雪弥は訪ねて来た父に「縁を切ってください」と、専門の手続き書類を突き付けた事があった。彼はその時、「私の息子でいてくれ」と膝を折って抱きしめてきた父を、拒むことが出来なかったのだ。


「おい、雪弥? お前、なんか怖い顔してるけど――」


 その一声に、雪弥の思考は現実へと引き戻された。

 視界に近づく何かを見て彼が反射的に掴むと、「いてっ」と幼い声が上がった。そこでようやく、修一が自分に手を伸ばしていた事に気付いた雪弥は、慌てて力を緩めてその手を放した。

「ご、ごめん。考え事してて……その、驚いたというか」
「驚かしてごめんな。というか、お前って意外に力あるなぁ」
「あ、うん……」

 そうだね、と雪弥は小さく続けた。ひやりと感じた悪寒を隠そうと、笑みを浮かべるものの、今にも引き攣りそうになる感じがあるのを拒めなかった。