「えー、皆さんおはようございます。今日このクラスに新しい生徒が……」

 ぼそぼそ、と口元をわずかに動かせるように矢部が話し出したが、後半部分では吐息交じりになり、やがて聞こえなくなった。

 頼むから大事な報告だけでも声を張り上げてくれ。生徒たちが再三の事を思いながら、息がもれるような声から言葉を汲み取ろうと真剣な表情で身体を乗り出す中、最後尾の席にいた暁也が欠伸を一つした。

 矢部は再び小さな咳払いを一つして、教室のグリーンの引き戸式扉へと顔を向けた。

「入ってきなさい」

 どうも、と遠慮するように告げられた小さな言葉のあと、ゆっくりと扉が開いて一人の少年が入って来た。静まり返っていた教室が、にわかに騒がしくなる。

 真新しい白鴎学園高等部の制服を着込んだ少年は、三学年のうちでも背の高い暁也や修一と変わらぬ背丈をしていた。身体の線は細く華奢だが、すっかり出来あがった大人の体躯に見えない事もない。女性のように白い肌と柔らかな髪は、生徒たちに育ちの良さを印象付けた。

 少年の色素の薄い髪は、そよ風にもふわりと揺れた。教壇に立つと、彼は悪意を感じさせない整った顔に、はにかむような笑みを浮かべる。

 どこかしっかりとした雰囲気をまとったものの、その細い身体や表情もどこか中世的だ。「どうも」とぎこちなく返した声も澄んでいて綺麗で、特に女子生徒達が賑やかさを二割増しで強くした。

 生徒たちは、新しいクラスメイトに好印象を抱いて騒ぎ出した。その後ろで期待外れの落胆を覚えていた暁也は、ふと胸の奥がざわめくのを感じた。理由も分からず転入生を眺めると、目があったわけでもなく、矢部の隣に立った少年が浮くような黒い瞳をぎこちなく細めた。


 ああ、そうか。髪の色に対して瞳が真っ黒だ。

 思った瞬間、暁也はなぜか全身を冷たい物が走って行く錯覚に捕らわれた。印象強いその黒く大きな瞳の奥にどこまでも暗黒な闇があり、そこに自分の身体が落ちていくようで――


 しかし、はっと我に返ったとき、彼はすっかりその事を忘れていた。湧き上がった興味が、期待を背負って彼の中に戻って来たのだ。

 あの少年の髪は、陽の光で蒼色とも灰色ともとれない色合いを帯びている。強く染髪した髪は黒に戻しにくいこともあり、そうだとすると、少年は東京の学校で荒々しい問題を起こしてこの学校へ転入してきた可能性もあるのだろうか。

 あの柔和な雰囲気からすると、元は不良だったという想像も付かない。いや、本当に髪の色だけ、色素が薄く生まれてしまったのかもしれないけれど。

 でも、本当はそんな事、――構わないのだ。

 意外にも元不良で度胸があり、問題を起こした事がある生徒なのかもしれない、という小さな期待が心の中で芽生えるのもあったが、そんなこじつけは大きな要点ではなくなっていた。

 まとっている空気や雰囲気は悪くなかった。ただ純粋に、暁也は初めて修一と出会った時のような心持ちで、彼に興味を引かれるものがあったのだった。

             ※※※

「本田雪弥です。……その、よろしく」

 雪弥はぎこちなく挨拶をした。

 制服を着てマンションを出たときから、彼は緊張で胃がねじれる思いだった。この学園に足を踏み入れてからは、胸やけに加えてひどい胃痛を感じていた。常に突き刺さる、学生たちの強い視線のせいである。