修一は気前よく笑って、パンを押し込んだ引き出しに積み上げられている雑誌を一つ取り出した。スポーツに興味がある人間に悪い奴はいない、というのが彼のモットーであった。

 そんな単純な思考と行動力を持ち、スポーツと食べ物以外興味を示さない修一の引き出しは、すっかりスポーツ雑誌と食べ物入れに成り果てていた。教科書やノートは、いつも彼の足元に積み上げられている状況だ。

 その現状を目の当たりにするたび教師が嘆くという、教師泣かせの机は、三年四組にはもう一つある。まるで誰の席でもないかのような、何も入っていない机を所有している暁也である。

 稀に修一からもらった食べ物が入っているが、暁也の勉強道具は、鞄と一緒にロッカーに詰め込まれていた。上下二つ分のロッカーに押しやられた教材たちを見て、教師たちが眩暈と悲しみを同時に覚える傑作が、そこには仕上がっていた。


 学園の時計が八時三十五分を打ったとき、始業開始の予鈴が鳴り響いた。

 すっかり聞き慣れた音が止むまで、しばし教室の会話が途切れた。まるで教会の鐘だと感じる生徒もいて、重々しい鐘の音が鳴り響く数十秒間は、なんとなく口を閉ざしてしまう。


 まるで懺悔の時間のよう。ただ重々しい音に、そう黙りこむ者が大半だった。

「なんだか、沈んだ気分になるよね」
「そうかなぁ」

 女子生徒たちが話しを再開したとき、片足をかばうような聞き慣れた足音とともに教室の扉が開けられた。

 今年三十八になる担任の矢部(やべ)が、相変わらずの青白い顔で教壇に上がった。細身の長身は教師の中でも高かったが、俯き加減の猫背で影も薄くなっているような男だった。

 瞳は癖の入った前髪に埋もれて正面からは見えず、時々髪の間から見えるそれは、見ている方が気力を削がれるほど力がない。体力や気力、自信すらもないようにワンテンポ行動が遅れ、言葉を発する時は、いつも咳払いをした。

 不健康そうな外見ながら、三十八歳にしては白髪一つない弾力のある髪をした矢部は、学園創立時から教師として勤めている古株だった。

 職員室の廊下には、開校を祝ったおりの集合写真が貼られており、今よりも十年若い時代の彼が写っている。その写真は目尻の皺が今より少ないだけで、特に変化は見られない。髪型も落ちた肩も、目を覆うような前髪も今のままである。

 左足が少し不自由な矢部が、その足をわずかに引きずるように早足に歩く癖は、全校生徒たちが知っていた。

 無気力で自信もなさそうな雰囲気を持っているものの、歩く時だけはその背中がピンと伸び、歩みがゆっくりとなったときや立ち止まると猫背になる。一番地味だが特徴ある教師であり、学校で一番覚えやすい名も加えて、知名度は校長よりもあった。

 矢部は教壇に立つと、自然と猫背になって名簿表に視線を落とした。もともと彼の声が小さい事を知っている生徒たちは、静まり返って矢部が話し出すのを待つ。

 咳払いを一つした矢部は、その小さな咳払いよりもはるかに少量の声を発した。