ああ、そうか。

 僕は、兄さんと話していたんだっけ。

 爪に肉片が挟まっていることに気付いたあと、雪弥はぼんやりとそう思い出した。携帯電話をそっと耳に当てるが、先程蒼慶とやりとりを交わした記憶も曖昧だった。

「……兄さん、聞いてる?」

 声を掛けると、数秒遅れで『ああ』と返ってきた。ずいぶん黙りこんでいたのか、潜めるような低い声色は少しかすれていた。

「少し、疲れているんだ。あとでいいかな」
『…………分かった』

 珍しく素直に電話が切れる。

 そこにも気が回らないまま、雪弥は新しく番号を探すと別の所へ掛け直した。

「こちらナンバー4、任務完了。処理班と少年たちの保護を許可」
『御意、鉄壁の檻を解除し処理班を入れます』
「あとはお前たちに任せる」

 雪弥は手早く指示を終えると、携帯電話をしまった。続いて、右耳の小型無線マイクへと手を伸ばし「暁也、修一」と柔らかく声を掛ける。

「終わったよ、嫌な想いをさせてごめんね。今から救助の人たちが来るから、大人しく待っていて」
『……俺らは大丈夫だぜ。俺も修一も、先生が来てからほとんど画面見てねぇし』
「そう、それは良かった。そっちにはヘリが向かうと思うけど、君たちに良くしてくれる人たちばかりだから、ちゃんと言うことを聞くんだよ。好奇心が湧いても、決して屋上から下へは行かないで」

 分かった、と暁也と修一は気まずそうに声を揃えた。

 ぷつりと会話が途絶えたあと、雪弥は右耳から小型無線マイクを取った。無造作に地面へと落とし、前触れもなく足で踏み潰した。


 小型無線マイクと共に潰した肉片が、ぷちっと音を立てたが、雪弥は靴底で地面に擦り続けた。その動作を見降ろす碧眼は、強い憎悪を孕んだような光を帯びて揺らいでいた。


 ふっと足を止めて、雪弥は血で濡れたままの手で髪をかき上げた。何かを潰していたような気がするな、とぼんやり考えながら、何気なく腕時計を見やる。

 時刻は、午後十一時十三分を指していた。