「時間外まで、矢部啓人を演じる義務はないよ」
「それって、絶対そうしなきゃいけないの? 本当に先生の声聞きづらいし、変な歩き方とか猫背とか、意味あるのか?」

 修一は、横になった矢部の顔を上から覗きこんで、不思議そうに尋ねた。

 暁也がじっと横目に見つめる中、矢部は修一の向こうに広がる星空を眺めていた。彼の口にくわえられた煙草は、撫でるような風に揺らいで上空へと登っていく。

 しばらく間を置いて、矢部が「……そうだねぇ」と口元に小さな笑みを浮かべた。


「一言で述べるのなら、そばにいたいから、かな」


 修一の顔に疑問符が浮かぶのを見ると、矢部は困ったように視線をそらした。言葉を選ぶように、口にくわえた煙草をもごもごとさせる。

「ん~、なんというか、ここにいるためにはそうでなくてはならない、という感じかな。口下手で身体が悪くて自信がない、本来の自分とは全く別の人間を演じる必要があるんだ。――そして、足を負傷したのも私でなければいけないんだ」
「ちッ、さっきから分かんねぇ事ばっか言いやがって。そんな悠長に寝てっと、真っ先に殺(や)られんのが落ちだぜ」

 暁也が愚痴ると、矢部は煙草をくわえたまま「やれやれ」というように笑んだ。一呼吸置いて、彼は断言するようにこう告げる。


「寝ていても殺せるよ」


 ぴたりと風が止んだ。

 その静けさに響いた台詞に、暁也と修一が目を合わせて口をつぐむ。

 暁也は、きょとんとした修一から先に目をそらした。悠々とした様子で煙を吐き出す矢部を睨みつけ、「おいコラ」と喧嘩を売るように声を掛ける。

「俺ぁ、お前が嫌いだ」
「私は好きだよ」

 ほぼ同時に言葉が上がった。暁也が仏頂面で鼻を鳴らす隣で、矢部を見つめていた修一が「俺、こっちの先生の方が好きだけどなぁ」とのんびりとした表情で言った。

 矢部は夜空を見上げたまま、懐かしむように目を細めた。口からゆっくり煙草を取り、煙を吐き出しながら二人の生徒にこう言い聞かせた。

「どうか、勘違いしないで欲しい。私と彼らが持っている『人を殺める技術』は、国家と人民を守るためのものなんだよ」

 その言葉のあと、遠くでくぐもるような銃声音が上がった。