一学年の教室沿いは、灯り一つなく整然としていた。作りは三学年のフロアと全く同じである。瞳孔が収縮した雪弥の碧眼には、陰る廊下や教室が鮮明に見えていた。

 三メートル先にのそりと動く人影を捕え、隠しナイフを手にとって投げ放つ。

 すると、そこにいた男が気付いたように振り返ったが、そのとき男の拾い額にはナイフの先端がすっと入りこんでいた。鋭利なまでに刃筋を尖らせたそれは、柔らかい肉を切り裂くように貫通し、男は後頭部からどっと血飛沫を上げて崩れ落ちた。

 黒いスーツが、膨れ上がった巨大な身体にピッチリと張り付いていた。沈黙した死体は、かなりの大男で、大きな顔にめり込むような細長い黒のサングラスをかけている。

 悲鳴すら上げる暇もなかったのだろう。雪弥は、男の呆気ない絶命を思いながら頬をかいた。

「……ちょっと強かったかな」

 頭の中にとどめるつもりだったのに、と呟かれる独り言が廊下に広がった。

 特殊機関が用意する刃物は、すべて肉も切断するほど鋭利になっている。それでも、持ち手には当然のように刃がついていないので、どんなエージェントが投げても柄が頭蓋骨を砕いて貫通することはなかった。

 指で弾いた場合でも、雪弥は時速百キロを上回ってしまうので、木の枝や鉛筆、シャーペンであろうと人体を貫通させてしまうのである。


 雪弥が男の死体を通り過ぎようとしたとき、二つ目の教室の窓ガラスが内側から砕け散った。


 白衣が宙を待って廊下へと躍り出る。長く細い手足が廊下に着地すると、その顔が動いて、暗視スコープのような機器が埋め込まれた目が雪弥の方を向いた。男は決色の悪い顔に笑みを浮かべ、白衣が翻る間もなく両手にメスを構えて地面を蹴る。

「おいおい、いちいち派手に壊すなよ」

 つか、なんで医療道具を武器にするんだよ、と続けながら、雪弥は鋭利なメス先を避けた。突っ込んできた男と間合いを詰めると、その勢いを殺す事なく、男の折れるほど細い腹部に素早く左手を伸ばした。

 ぐしゃり、と音が上がって男の身体が激しい痙攣を起こした。

 からん、と床に乾いた音を上げてメスが転がり落ちる。男の背中に舞い降りた白衣の中央が赤く染まり、彼の腹部を貫通した雪弥の手が白衣の裾に触れた。

「隙がありすぎだ」

 雪弥は、無造作に男の腹部から左手を引き抜いた。男の身体が崩れ落ちるのも構わず、前方を見据えたまま鋭く尖った爪先についた血肉を振り払う。

 その直後、ふわりと地面に吸い込まれていく白衣の後ろから、突然突き出た頭部ほどある巨大な拳を「見えてるよ」と右掌で受け止めた。それは白衣の男と同種ではなく、先程見たブラックスーツの大男と同じ姿をしていた。

 サングラスを掛けたその屈強な顔は、先程の大男と同じように眉一つ動かなかった。雪弥は受け止めた男の拳を砕いたが、その大男がまるで反応しない様子を見て「なるほど」と察した。


「白衣にしろスーツのやつにしろ、どちらも人体改造済みってわけか」