電話からもれた低く穏やかな声色は、ひどく冷たかった。電話の向こうから真っ直ぐ銃口を向けられているようだった。


 夜蜘羅という男は、きっとあたしたちの仕事に興味なんて持ってない。


 どうしてか、こちらで何か問題が起こっても彼らはあっさりと簡単に尾賀たちを切り捨てて、助けないのではないだろうか、という怖い想像が脳裏を過ぎった。それに加えて、特にここ五日間ずっと、何者かに見られているような錯覚が拭えない。

 恐ろしい何かが起こるのではないか、と強迫観念にかられていた。

 とにかく、少しでも早く遠くへ、と明美の本能が告げるのだ。

 ハンドルを握る手は震えていた。それでも明美は、正確な運転さばきで学園通りから路地へと右折した。近道して大通りへ抜けようと、住宅街路を制限速度も守らずに車を走らせる。

 通りは死んだように静まり返り、左右が住宅に囲まれているにもかかわらず、不思議と人の気配がなかった。彼女は更に怖くなって、急いでアクセルを踏み込み、一時停止も無視してハンドルを切った。しかし右折した先にも、車や歩行者の姿はなかった。

 午後十一時という時間ではあるが、すぐそこの表通りは都心区であり、ここまでひっそりとして灯りが少ないのも滅多に見ない気がする。そのせいか、月明かりがやけに眩しく目に映った。

 どうして誰もいないのよ。

 明美は知らず、人の気配を探した。第三住宅街を進むが、見慣れた自動販売機だけが立ち尽くしているばかりだった。電柱脇に立つ街灯は明かりを失い、冷たい鉄の柱だけが月光に照らされている。

 思えば妙だ。

 どの街灯も光を灯していない。

 明美は廃墟のような住宅路が怖くなって、少し広い通りに車を滑り込ませた。白鴎学園から三百メートルは離れていることに安堵し、大通りに隣接するその住宅街を北向けに走行する。

 五十キロを越えていたスピードを時速制限の四十キロまで落としたとき、彼女は不意に、感じ慣れた強い視線を覚えて身体を強張らせた。


 瞬間、風を切る音が小さく上がった。運転席の窓ガラスに赤が噴き出し、目を開いたままぐらりと明美の身体が崩れる。ハンドルに頭部を倒した彼女の足が、力を失ってアクセルからずれ落ちた。


 左前方部の窓に小さな穴を開けた彼女の車は、操縦不能で減速しながら電柱へと突っ込んだ。フロントが凹み、衝突の衝撃で明美の身体が座席へと押しやられる。ぼんやりと浮かび上がる彼女の白い顔の右側が、じわりと血に染まり始めた。

 一発の射撃によって、明美は即死していた。

 白い面をつけた人間が、一人、二人、三人、とどこからともなく現れて車へと歩み寄る――

             ※※※

 その三百メートル先。

 この町でもっとも見晴らしのいい『特等席』からスコープを覗きこんでいた狙撃者が、「やれやれ」と乾いた笑みを浮かべた。癖の入った長い前髪が、スコープから離れる際にさらりと音を立てた。

「逃げられちゃ困るんだよ」

 一匹たりとも、と男の唇がその音の形を作った。

 白い外壁をした建物でありながら、普段出入り禁止となっているその屋上は、夜間は影を落として目立たないよう一見すると薄い灰色をにも見える特殊な加工をされていた。男は一人、そこに潜んでいた。