「素晴らしい! 自身の爪で相手の腕を切り落とすとはね! まさか君が『爪』を隠しているとは思わなかったよ、実に素晴らしい!」


 速すぎて目で追えなかったよ、と愉快そうな声が聞こえて、雪弥はじろりと足元を見降ろした。車内に座っている夜蜘羅を想像し、気分を害して眉間に皺を作る。

 そのとき、地面に倒れていた化け物が、前触れもなくその上体を起こした。バネのように持ち上がった頭が、ぐるんとこちらを向いたかと思うと、地面に四肢をぐっと屈めて地面を弾くように突っ込んできた。

 風を打つほどの瞬発力に、爆音が発生した。

 化け物は柔らかい身体を捻じるように回転をかけ、車の上の雪弥だけを狙う。

「まだ動けるのかよ!」

 胸の中であらん限りの文句を唱え、雪弥は車体上部に滑り込んできた化け物の左爪を避けて、その巨体を飛び越えた先の地面へと着地した。攻撃態勢を整えるべく、その場で足を止めようとしたのだが――

 車に乗り上げた化け物が、不意に、その状態のまま残った腕を振るった。

 踵を返した瞬間だった雪弥は、反射的に地面を蹴って三メートル後退した。鋭利な爪が地面を裂いて食い込む様子を直視し、唖然としてしまう。

 あれに切られれば、強靭な肉体を持っていてもただではすまないぞと、自身の肉体がバラバラになる想像に顔が引き攣った。

「というか、百八十度ホラーチックに回る首とか、伸びてくる腕とかもナシの方向がいい……」

 思わず本音どころをこぼすと、バネのような両足で地面に着地した化け物が、地面に固定された自身の腕を引き寄せながらこちらを見た。長い身体が左右に揺れる様子は、どちらから切り裂こうかと考えているようにも見える。

 つまり、これは挑発されている。

 そう受け取った瞬間、プチリと堪忍袋の緒が切れた。

 化け物の毛や鼻の突起すらない顔にある赤い三つの目も、気味が悪いというよりは、それすら馬鹿にされているような気さえして思わず拳を作る。なぜか、自分のテリトリーを悠々と侵入されたような、動物的な強い不快感に殺意で頭の中が赤く染まった。

 鋭い殺気を覚えるがまま、雪弥は次の瞬間、激しく地面を蹴り上げていた。心が殺意で満ち、もはやコンタクトレンズでさえ隠せないほど淡く光る碧眼が、車の上にいる化け物をロックオンする。

「バラバラになるのは、お前の方だ」

 冷たい声を上げ、雪弥はコンマ二秒足らずで化け物に迫った。相手が鞭のように素早く身を翻すよりも速く、彼の指先が白銀の線を描いた。

 鈍い切断音を上げて、残っていた化け物の左腕が弾け飛んだ。

 両腕を失った化け物が車上から転がり落ち、軟体でもあるらしい背中と足だけですぐさま体制を整えて、怒り狂うように頭を振って裂け広がる口で咆哮した。こちらに向けられる赤い瞳には、動物的な怒りが宿っていた。