明美は、東京の大手金融会社で事務員をしていた。現在、そこは丸咲金融第一支店となっているが、元々は別名で活動していた闇金業者の一つであったらしい。

 その支店を任されている男は、東京で古くから闇取引の根を降ろしている尾賀という男である。明美は彼と身体の関係はあったが、二人の間に愛はなかった。五月に新たな取引相手を探すことになった尾賀は、入港ルートのそばで学長を勤めていた富川に話を持ちかけたのだ。

 どういう経緯で尾賀が富川を知ったのかは、明美も常盤も知らなかった。ただその際、交渉役になったのが明美だったのだ。場を上手く提供するだけで女と莫大な金、裏で大きなバックアップを得られる利点に、欲深い富川は食い付いた。

「じゃあ本当に、明日なるのか」

 扉の前を一つの足音が通過した後、真顔に戻った常盤は声を落として尋ねた。明美は、机の上に張られているカレンダーを見ながら「そうなるわね」と呟き返す。

「……明日の、二十四日になるって尾賀は言ってたわ。予定より五日も早いけど、来週じゃ間にあわないからって、あの李(り)っていう中国人もだいぶ急かしているみたいだし」

 でもその理由は教えてもらっていないのだと、明美は訝った。

 常盤は明美へと視線を向けた。前髪の間から覗いた目を細め、整った女の横顔を見つめる。常に女を意識している明美は、どんなに性悪でも美人だと彼は思った。

「……なぁ、一体あの青いやつって何なんだ?」
「さぁ、私も聞かされていないわ。ただ、初めに配った人間がいつ頃服用したのか、って尾賀も李もすごく気にしていたけど、どうしてかしらね?」

 あんた覚えてる、と明美は常盤を横目に見た。彼は顎に手を当てて記憶を辿る。

「……俺が初めて配ったのは……そう、里久先輩だったな。確か、五月の第一週に受け取って翌週の月曜日に配ったんだ」
「じゃあ、一月半は過ぎてるのね。その十日前後に富川とあんたが一気に配ったのは知ってるけど……そう、初めの一人がいたのね。あたし、第二週の後半くらいって答えちゃったわ」
「どうせそんなに変わらないだろ」
「そうね」

 語尾短く二人は続け、不意に言葉を切った。

 窓も締められた室内は、薬品の匂いばかりが鼻をついた。部屋の奥には、使用されていない五つのベッドが並んでいる。

「明日の取引は、決定事項ってことか」

 おもむろに、もう一度常盤は尋ねた。明美は首にかかった髪先を払い、足を組みかえて可愛らしい顔を顰める。

「変なこと聞くのね、一番あんたが喜ぶと思ってたんだけど。なんだか、落ち込んでる子供みたいよ」
「別に、落ち込んでなんかいない」

 廊下に複数の足音がして、常盤は口をつぐんだ。

 彼は数日前、自分で悪党を発掘しようという素晴らしい考えに興奮していた。しかし、パートナーとなる人間を探し始めるまでには至らなかった。

 擦れ違う学生たちやクラスメイトを見て、彼らの内の一人が自分の隣にいることを想像してみた。そうしたら、そのたびに理想とのギャップに打ちひしがれ、結局その考えを実行に移す意欲も削がれたのだ。