「この子、ちょっと熱があるんですよ」

 明美が、撫でるような声で言った。頬にかかった髪を耳にかけ、上目づかいで矢部を見やる。常盤はここに訪れる男性教師の大半が、明美目当てであることを知っていたので「こいつもか」と内心呟いた。

 矢部はしばらく明美を見つめた後、常盤へと視線を戻した。数秒後にようやく「そうか」と力なく呟く。

 そこへ、先程廊下を歩いていった分厚い眼鏡を掛けた女性事務員が、きごちない歩みでやってきて「矢部先生、珈琲はいかがですか」と抑揚のない声色で告げた。愛想が全くない声は、話し掛けている相手を馬鹿にしているようで、常盤は気に入らず口をへの字に曲げた。

 事務女性は眼鏡の右ガラスを挟みこむようにして押し上げると、明美にも同じことを尋ねた。対する明美は「いいえ、大丈夫です」と、愛嬌のある声と仕草で答える。

 矢部と女性事務員が去って行くのを確認し、明美がゆっくりと扉を締めた。


「で、そっちはどうなってるわけ?」


 廊下の外に人の気配がなくなったこともあって、常盤は室内に二人きりになったところで、早々に話しを切り出した。
 
 明美が事務椅子にどかっと腰を降ろし、厚化粧の顔に不服そうな表情を浮かべて鼻を鳴らした。机に置かれている鏡を引き寄せ、自分の顔を覗きこみながら「明日よ。それが変更されることはないわ」と言って、指で髪を梳いて整える。

 常盤は横長の硬い椅子の背に両手を乗せると、足を組んで顎を引き上げた。

「取引が早まるんなら、初めからそう言ってくれないと」
「しょうがないでしょ。相手は海を渡ってくるんだから、日数がずれる事なんてざらにあるし、双方に都合がつく時間を取るのも大変なのよ。富川も言ってたけど、お金が早く手に入るんだからいいでしょ。あんただって、取引が始まるのを楽しみにしていたじゃない」

 文句を言わないでよ、と明美が露骨に眉を顰める。

「俺は別に明日であろうが構わないけど、うちの藤村さんを困らせるのはどうかと思う。富川学長は場所を提供しているだけであって、実際に運搬手引きして頑張ってるのは、藤村さんたちじゃん」
「そういえば、あんたは藤村組に肩入れしてるんだっけ。文句があるなら富川に直接言ってよね、藤村と富川の間を取り持ってるのは、あんたでしょう? あたしは、金融の尾賀と、大学の富川のやりとりだけで手一杯なのよ。どっちも同じ性癖だし、いちいち鼻にくるような話し方とかで自慢話を延々と聞かされるんだから」

 明美は大げさに目を回し、大胆に足を組み直した。

 膝上のタイトスカートが引き上がり、常盤は自然とそちらへ視線を向けた。露わになった白い太腿へと目を滑らせた常盤に気付き、明美が桃色に塗られた唇をついっと引き上げた。

「何? あたしが欲しいの?」
「まさか」

 常盤は嘲笑した。明美も、そんなこと最初から知っていたといわんばかりに「馬鹿じゃないの」と気の強そうな笑みを浮かべて見せる。